(承前)
(大枝神社)
大枝神社を出て山陰道を西へ200ⅿで桓武天皇の母、高野新笠の御陵参道入口に着く。九十九折りの細い急坂を上って行くと丘の高みに御陵がある。
今回の銀輪散歩は先月小塩山上の淳和天皇陵を訪ねた際に、その母の藤原旅子(桓武天皇夫人)の御陵が近くにあることを知り、これを訪ねようと思ったのがきっかけで、桓武天皇母の御陵も近くにあるのでこれも訪ねよう、ならばご本人の桓武天皇陵も訪ねなくてはなるまい、京都駅出発なら途中に白河、鳥羽天皇の御陵もある、ということで、泥縄式に出来上がったコース設定でありました。
(御陵参道入り口) (参道)
(桓武天皇御母御陵)<参考:高野新笠>
高野新笠陵から山陰道を南へと戻る。大枝小学校の手前で左折して脇道の坂を上り切った処に三宮神社がある。
神社の参道脇に御陵への参道入口があり、宇波多陵敷地と刻された石碑が立っている。桓武天皇夫人藤原旅子の御陵である。
(三宮神社)
(桓武天皇夫人陵参道)<参考:藤原旅子陵>
(桓武天皇夫人・贈皇太后旅子宇波多陵)
(同上)
藤原旅子は藤原百川(宇合の八男)の娘で桓武天皇夫人となり、大伴親王(のちの淳和天皇)を産んでいる。
桓武天皇の皇后は藤原良継<宿奈麻呂>(宇合の次男)の娘の藤原乙牟婁で、安殿親王(平城天皇)、神野親王(嵯峨天皇)を産んでいる。
平城・嵯峨天皇と淳和天皇の関係や承和の変へのつながりなどは2月17日「小塩山登山」の記事に少し触れているので記載省略です。
(三宮神社)
三宮神社から山陰道に戻り、国道9号線に出て、千代原口交差点の先の脇道を右折して東に1.5kmほど行くと桂離宮の裏手に出る。その一角に御霊神社があった。御霊神社というと、祭神には早良親王、藤原広嗣、菅原道真、井上皇后、他部親王などと共に橘逸勢の名も上るが、此処の御霊神社は祭神として橘逸勢のみが上っていたのも今回の銀輪散歩には符合したものであり面白く感じましたので、写真に収めることとしました。
淳和天皇の息子の恒貞親王が仁明天皇の皇太子となっていたが、仁明帝に男子(道康親王、のちの文徳天皇)が生まれたことから、皇太子の身を案じた取り巻きの橘逸勢や伴健岑らが仕組んだ謀反事件が承和の変である。つまり旅子夫人の孫にかかわる事件であり、その事件で処罰された橘逸勢が祭神となっている御霊神社との遭遇という偶然の面白さという訳であります。
(御霊神社)
<参考:承和の変>
(桂離宮)
桂離宮の裏を掠めて桂川を渡り京都駅へと向かう。
まだ少し字数に余裕があるので、桂離宮と万葉集との関係を話すと、万葉集の平安古写本五部の中でも最古のものが桂本である。正親町天皇の曽孫八条宮智忠親王と後水尾天皇の養女富姫との婚儀に際し、富姫の実父の加賀藩主前田利常が娘の輿入れの引き出物として持たせたのがこの万葉集の古写本なのである。智忠親王は加賀藩の財力によって造られた桂の里の別荘・桂離宮を愛し、もっぱら此処に住んだので、桂宮と呼ばれ、万葉古写本も桂本と呼ばれるようになったそうな。上掲の御霊神社説明板の智仁親王はこの智忠親王の父親である。
(桂橋。橋の向こうに見える林が桂離宮である。)
以上で京都南部銀輪散歩終了です。今回もお付き合い下さり有難うございました。