本日19日は、伏見を自転車散歩して来ました。そして、気の向くまま、宇治川・淀川沿いに下流へと走り、東大阪の自宅まで、走り切ってしまうという、成り行きとは言え、結構な距離の銀輪散歩となりました。
来月25日に大学の先輩が関係されているNPO法人主催の歴史ウォークの案内役を引き受けさせられたので、その下見を兼ねての銀輪散歩である。
ウォークのコースは、近鉄・京阪丹波橋駅前集合~桓武天皇陵~明治天皇桃山陵~昭憲皇太后桃山東陵~乃木神社~大光明寺陵~御香宮神社~伏見奉行所跡~宇治川畔~長建寺~寺田屋~京阪中書島駅解散、というものである。当初案では、大光明寺陵、伏見奉行所跡、宇治川畔は入っていなかったのを、小生の提案で付け加えて戴いたもの。そんなことで、変更後のコースは小生の責任もあるかと、念のため下見をして置こうというもの。
ご覧戴いてお分りのように万葉とは何の関係もない。まあ、最初の桓武天皇陵が辛うじて関係なくもないと言うものである。そんな訳でご依頼のあった時はお断りしたかったのであるが、ガイド役が見つからず困っているとの先輩のお話。無下にお断りも出来ず、にわか勉強でやらせて戴くこととしたものです。そんな次第で、少しは万葉に関連付けようと、宇治川畔を加えました。宇治川を歌った人麻呂の歌など、万葉集には何首か宇治川を歌った歌があるからです。
では、丹波橋駅から出発ですが、今日から何回かに分けて立ち寄り先をご紹介申し上げることと致しますので、お付き合い賜れば幸甚に存じます。
軽量折りたたみ自転車のトレンクルを持って、近鉄西大寺経由丹波橋駅へと向かう。西大寺発9:50京都行き特急に乗車、丹波橋10:13着。駅前で自転車を組み立て、桃山丘陵への緩やかな坂道を上って、先ず、桓武天皇陵を目指します。
(桓武天皇柏原陵)
桓武天皇は京都に都を置いた最初の天皇である。天智天皇の皇子であり万葉に優れた歌をのこしている志貴皇子の孫に当る。
781年父親の光仁天皇(白壁王)から譲位され、山部親王が即位、桓武天皇が実現する。しかし、即位直後に氷上川継の乱が起こるなど、即位に反対する勢力も多かったものと思われる。藤原百川など藤原氏が強引に山部親王を天皇位に付けたものであったからである。
そういう事情もあってか、寺社勢力など旧勢力の強い、平城京を嫌い、長岡京への遷都を行う。新京完成直後、新京造営の責任者であった藤原種継が何者かに射殺されてしまう。
捕えた被疑者が、事件の首謀者が大伴家持(前年に死亡している。)で、同母弟の早良皇太子も関与していると証言したことから、家持は墓を暴かれ官籍剥奪、息子の永主は隠岐へ流罪、早良は廃太子、淡路へ流罪となる。早良は無実を訴えつつ、流される途中で憤死してしまう。
これで、長岡京にも嫌気がさし、792年平安京遷都となるのであるが、平安京最初の天皇は、以後早良皇太子の怨霊に悩まされ、決して「平安」ではない生涯ではなかったかと・・。
桓武天皇陵も南北朝や戦国の動乱の中で所在が分らなくなり、秀吉が伏見城を築城したこともあって、いよいよ所在究明が難しくなってしまう(伏見城二の丸跡の地にあったとする説など)。現在宮内庁が桓武天皇陵としているものは、明治になって定めたもので、確かな根拠があってのことではない。その意味では、死後も「平安」ではない状況にあると言うべきか。
桓武天皇陵は今年の3月にも訪問しているので、半年振りの再訪ということになる。
<参考>
京都南部銀輪散歩・白河・桓武天皇陵から大枝神社まで 2012.3.24.
桓武天皇陵を後にし、明治天皇陵・同皇后陵へと向かう。来月のウオークのコースには入っていないが、途中なので、少し回り道をして伏見桃山城天守閣にも立ち寄ってみることにする。
(伏見桃山城天守閣)
伏見桃山城というのは、秀吉の伏見城とは関係なく、1964年開園の「伏見桃山城キャッスルランド」という遊園地の施設として建設された天守閣であり、文化的な価値はない。建っている場所も伏見城の花畑地であり、実際の伏見城の本丸跡地は現在明治天皇陵のある辺りだが、本丸跡地やその周辺地域は、宮内庁書陵部の管理下にあり、一般の者は立ち入りが禁止されている。
この天守閣は偐万葉、偐家持とは似合いの存在と、写真に撮ろうと近寄って行くと、白人女性の二人連れと遭遇、「城の中に入りたいがオープンしていないのか」と質問を受ける。
遊園地閉園に伴い天守閣は京都市に無償譲渡され、現在は京都市の管理下にあるが、耐震基準を満たしていないということで、建物内への立ち入りは禁止となっている。
そういうややこしいことは説明のしようもないから、「not opened.」で済ます。すると、今度は「買い物をしたいが、ダウンタウンへはどう行けばよいか」と聞かれる。地図を広げて説明するが、小生の説明が不十分であったのか、大手門に回った処でまた別の人に道を尋ねているらしい二人が遠目に見えました。小生の説明通りに進めば大手門の前には出ないのであるが・・(笑)。
(大手門)
坂を下って左折、石田三成を連想させる治部池という池の前の道を進むと明治天皇伏見桃山陵の参道に出る。参道脇には伏見城に使われていたという石が並んでいたりもする。
(伏見城の石垣に使われていた石)
早くも文字数制限に掛かりそうです。明治天皇陵は次回とします。平安京を開いた天皇と平安京を閉じた天皇がこの桃山丘陵に並んで眠って居られるというのも、何やら面白いですな。
平安を 開きしみかどと 並び居て
何と言ふらむ 明治のみかど (偐家持)