カテゴリ:銀輪万葉
(承前)
渡月橋を南に渡って中ノ島公園に入り、中ノ島橋という洒落た橋を渡ると京都八幡木津自転車道の入口がある。 (中ノ島橋)<参考>京都府道801号京都八幡木津自転車道線 京都八幡木津自転車道は、嵐山を起点とし、桂川沿い(一部鴨川沿い)を下り、八幡市の桂・宇治・木津三川合流地点に架かる御幸橋経由で木津川に入り、木津川市木津の泉大橋畔を終点とする全長45kmの歩行者自転車専用道である。 この道は何度か走っているが、今回は淀まで走って、伏見経由で、城南宮などに立ち寄って、再び桂川沿いに戻り渡月橋まで帰り、JR山陰線・嵯峨嵐山駅で切り上げとする、というコース計画である。 キバナコスモスの咲き群れる、桂川右岸の道を下る。 (キバナコスモスを愛でつつ) 松尾橋で河川敷の自転車道から地上に上がり、松尾大社にご挨拶して行くこととする。 (松尾大社・一の鳥居) (同上・二の鳥居) (同上・神門) (同上・説明碑) 松尾大社は大宝元年(701年)秦氏の神社として創建されたのが起源。 祭神は大山咋と市杵島姫。 (同上・本、拝殿) 再び、自転車道に戻り、上野橋を潜る。この辺りから西大橋にかけての道は、両サイドに畑が広がり、さながら農道を走っている気分である。 西大橋で右岸から左岸の道に移る。 先ず阪急京都線の鉄橋下を通過。 桂離宮を対岸に見て、桂大橋を潜ると桂川緑地である。 緑地はJR線の鉄橋の下辺りで終わっているが、その少し手前で、支流の天神川に架かる小さな橋を渡って、道は天神川の左岸沿いとなる。 JR線、東海道新幹線の鉄橋下を通過。 (天神川沿いの道。右手の並木の向こう側が桂川が流れている。) 天神川と桂川の合流点を過ぎると、道は再び桂川沿いとなる。久世橋、桂川橋の下を潜り、久我橋で府道202号と地上で交差する。 (久我橋) ここで、左折して府道202号沿いに、西高瀬川、鴨川を渡り、鴨川左岸沿いの道に入る。 ススキの穂が銀色に輝いて美しい。 人皆は萩を秋と云ふよしわれは尾花が末を秋とは言はむ(万葉集巻10-2110) (注)末(うれ)=穂先 (鴨川沿い・川原のススキ) (同上) 鴨川はこの先の羽束師橋の手前で桂川と合流する。 従って、道は鴨川沿いから、再び桂川沿いとなる。 羽束師橋の次の橋が宮前橋。 三川合流点の御幸橋の一つ手前の橋である。 (宮前橋) ここで、自転車道とお別れして、納所交差点に向かい、これを右折して、淀城跡公園に向かう。 先般(7月23日)の友人・偐山頭火氏との銀輪散歩の際には、此処に立ち寄って、というのが小生の目論みであったのだが、素通りして横大路運動公園まで車を走らせ、そこに駐車して銀輪行を開始した結果、立ち寄らず仕舞いとなってしまっていたので、その宿題を果たそうと思った次第。 <参考>深草北陵銀輪散歩 2018.7.23. 淀城・Wikipedia 淀古城・Wikipedia (淀城跡公園) (同上・明治天皇御駐ヒツ之址碑) (同上・天守台跡) (同上・淀城の由来) この淀城は、元和5年(1619年)の伏見城廃城に伴い、築城されたもので、秀吉築城の淀君ゆかりの淀城(古淀城)の跡地はここより約500m北の地にあったという。 この公園に来るまで、漠然と秀吉が淀君のために建てた淀城の跡かと思っていたので、その思い違いが正されたという次第。 (古淀城の位置) 今回は、古淀城のあった付近には立ち寄らずでありましたので、また何れかの機会に、ということにします。 (唐人雁木跡) (同上・説明碑) (同上) (稲葉氏時代の淀城下古図・稲葉神社の祭神と淀藩) 淀城跡公園に隣接してと言うか、公園内と言うか、この淀城の城主であった稲葉正成を祀る稲葉神社がある。 (稲葉神社 稲葉正成と春日局をまつる) 隣に与杼神社があるのだが、これは明日の記事とします。(つづく) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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