カテゴリ:花
ぼろは着てても こころの錦
どんな花より きれいだぜ・・・ こんな歌があった筈と調べたら、「いっぽんどっこの唄」というタイトルの水前寺清子の歌(作詞:星野哲郎、作曲:安藤実親)でした。 この歌詞を想起させるのがこの花。ノボロギク(野襤褸菊)。 (ノボロギク) (同上) この花は筒状花または管状花と言って、蕾のようなつぼんだ状態のままで推移する花である。 野襤褸菊という余り有り難くない名を頂戴しているのは、その花姿、綿毛となって弾けた姿がボロをまとっているように見えるからである。 もともとボロギク(襤褸菊)というのは、サワギク(沢菊)の別名としてあり、サワギクが水辺など湿地に生えるのに対して、こちらは野に生えるということで、野襤褸菊という名になったようである。 サワギクの写真の持ち合わせがないので、Wikipediaの写真を借用して参考までに下に掲載して置きます。 (サワギク・Wikipedia 別名:ボロギク) 本家ボロギクは普通に花が開いて咲くし、上を向いて咲く。 これに対してノボロギクは花がつぼんだままで、うなだれているものが多い。 襤褸を着てても心は錦、という言葉はご本家ボロギクの方にこそ相応しいのかもしれないが、うなだれているノボロギクに対しては、これを応援・励ましの言葉とさせていただこう。 しかし、「どんな花よりきれいだぜ」とまで言うと、それは言い過ぎ、褒め殺しになるというものではある。 (同上)<参考>ノボロギク・Wikipedia 襤褸のことを古語では「かがふ、かかふ」というが、この言葉を覚えたのは多分、万葉集の「風まじり 雨降る夜の 雨まじり 雪降る夜は・・」で始まる、山上憶良の貧窮問答歌(巻5-892)によってだろうと思う。 それには「海松のごと わわけさがれる かかふのみ 肩に打ち懸け・・」とある。「かかふ」は万葉仮名では「可々布」と表記されている。ぼろ布のことである。「海藻のミルのように裂けてぼろぼろになった布を肩に羽織って・・」という意味である。 さて、このノボロギクも種類が色々あるようで、花が赤いのがベニバナボロギク、葉に深い切れ込みがないのがダンドボロギクだとか。 <参考>ベニバナボロギク・Wikipedia ダンドボロギク・Wikipedia それで遠目ながら葉に切れ込みが見られないようなので、ダンドボロギクではないかと思ったのが次の花であるが、違うようでもあり、何ともよくは分からないのであります。 (ダンドボロギク?) (同上) このノボロギクに似た花にノゲシ(野芥子)がある。 ノボロギクに比べて一回りも二回りも大きい草花で、花も普通の通りに咲くので、両者を見間違えることはないのであるが、似ている花である。 今回は、白花のそれを見つけたので撮影したのであるが、普通に見かけるのはタンポポに似た黄色の花である。 (ノゲシ<白花>※白花はウスジロノゲシともいうようです。) (同上) ノゲシにも大型のオニノゲシというのがあり、両者の区別も必ずしも容易ではない。オニノゲシも成長段階では普通のノゲシと変わらぬ、或いはそれ以下のサイズのこともあるからである。 あと、秋に咲くアキノノゲシというのがあるが、これはまた別である。 <参考>ノゲシ・Wikipedia オニノゲシ・Wikipedia アキノノゲシ・Wikipedia 黄色の花のノゲシの写真は過去のブログ記事に掲載の筈と探すと以下のものが見つかりました。 (ノゲシ<黄花>)※下記記事掲載写真からの転載 銀輪散歩・花は盛りを見るべかりける 2017.4.10. (同上)※下記記事掲載写真からの転載 墓参・立夏・花散歩 2018.5.9. ノボロギクは明治初期に帰化したそうだから、万葉集に登場しないのは当然として、ノゲシは有史前帰化植物と言うから、万葉時代には我が国にもあったことになり、万葉集に登場していてもいい花である。しかし、万葉集にこの花は登場しない。結構目立つ花だと思うのだが、万葉人の関心を引く花ではなかったということか。まあ、現代人にもこの花に心惹かれるなどという人はいそうにもないから当然であるか。 道の辺の 野芥子の花の かなしかり 咲けど見る人 詠む人なかり (偐野芥子麻呂) ということで、ヤカモチが、おざなりにではありますが、一応詠んであげました(笑)。 今日は、ノボロギクとノゲシでありました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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