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2017年07月24日
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 まず最初に。約2週間、高校野球の記述にお付き合いいただきましてありがとうございました。今年は母校扱いの大船渡東が上位進出したこともあり、例年よりかなり多くの試合を見に行くことになりました。内訳は…船東5、高田2(船東戦含む)、大船渡、住田、盛岡誠桜、沿岸連合、内陸連合各1。

1.「十代後半の野球」を見に行く理由。

 93年度に卒業して以降、07年度末に大船渡農が統合されるまで、大農の試合はすべて見に行っていました。08年に新たにできた大船渡東高校野球部…もういいか、と思う部分もありましたが、初年度は大農部員もいましたし、以降も何のかの言いながら1試合は見届けに。

(10年船東-花高)

 高校野球見に行く目的が変わったのは11年の東日本大震災。理由…うまくまとめられませんが、強いてつなげるとしたら「義務感」でしょうか。気仙の野球の後輩を見届ける義務感みたいなものが後押しして。

(11年高田-盛工)

 その年以降は
 (1)気仙地区4校
 (2)少人数部員チーム
 …を見ることに。

(13年大船渡)

 ただ私も、時間の融通は利かしやすくても仕事も家事もある人間なので、まったく全部、というわけにいかず、「どこも1試合は見届けよう」と思って後回しにしたら番狂わせで見に行けなかった(13年船東)てなことも。13~16年の「注目チーム連敗」も堪えました。

(15年住田専北)

2.今夏の記述スタイルと「十代後半の野球」=高校野球の行方。

 で、今年は拙稿ブログでの自前写真掲載も行いました。なるだけの節度を持って行ったつもりですが果たして良かったのかどうか。SNSの広まりと共に弊害も言われるようになったので、社会人野球の記述と併せてどうすりゃいいか、悩んでもいます。実のところ。やってから言うのも難ですが。
 悩むと言えば…高校野球の存在そのものについても。学校部活動における弊害も取り沙汰されるようになり、マスコミ報道なども多い高校野球はその象徴としてみられてもいます。私自身も高校野球で育てられた人間ですが「発展的解消も含め“形式の進展”は必要」とも思う立場です。

 ただ、ジレンマもひとつ。我が家の貧乏経験も踏まえて考えると、社会福祉の利く学校部活動の範囲でなければ野球をする場所がなかったという実情もありうるでしょう。そんなもので、ジレンマ矛盾あるのは仕方ない、弊害を一枚ずつ剥いでいきながらベストを作る、で対処します。

3.やって来たことは土台に-大農野球部を代表する万年補欠から。

 こうしてるる野球の記述書いてますけどね、部員ギリギリしかいない野球部で、3年間在籍して、一度も一桁番号着けてない奴の記述なんて「はえはえ」ぐらいにしか思われないですね(自虐)
※大船渡農野球部で、(1)部員数が10人を越えない学年-10人越えは40学年で4回はない-(2)入学してから三年間完遂した部員で、一桁番号の経験がないのは…私だけ。
(1)は10人以上いればつけられない人もいるし(2)は出入り多い野球部なもので。

 でも、まかりなりにも大農野球部で一生懸命に活動し、「ああ、大農の勉か」と言われ、一介の補欠捕手が新聞のチーム紹介に名前ついて説明されるほどの存在感を得たことが、その後の人生に生きている。社会人野球に加わり、赤崎クに身を置いているのも原点は大農野球部。
 なにより…高校最後の試合で試合に出て、九回ツーアウトから打席に立ち、全校応援の前でフォアボールをもぎ取った。この経験は、私の人生の大きな支えになっています。(ここら辺は例年書いていますが酔っ払いのくだまきと思ってお付き合いください)

(伊東写真)

 過日の試合時に、自らのプレーも因でビハインドになった九回に逆境を跳ね返す安打を放った選手がいた。丁度、その選手の関係者が私の知己の人で。終わった後に(生意気にも)一声。

「あそこでヒットを放ったことが、人生の大きな支えになる」、とかけさせていただきました。

 今年の…いや、卒業して以来ずっと見届けた10代後半の野球、高校野球。強い、上手いだけでない、過ごしてきた時間が凝縮して現れる高校野球。その場で自分のしてきたことを発揮した。それまでの軌跡と共に「してきた全て」が、この後の人生の支えになる。
 私自身も…フォアボールをとった経験ってのもだけど、全校応援の-それも「あと一人」の場面も手伝って必死の声援。あれほどひとつの声の塊が、後押ししてくれた。その経験が、人生の困難時に転落をしない大きな力のひとつになったわけ。いろんな意味合いはありますが、要は「真剣に見てもらっている」。それを裏切るような行為ができるか-という理由です。

 そういうふうなターニングポイントは、みんなそれぞれにあるんでないべがね、と思うもので。

(応援とグラウンド)

4.甲子園出場は盛岡大附-起意からはじまる挑戦。それは誰にでも。

 今日は決勝戦が行われ、準決勝、あれだけの試合をした久慈が0-9で盛岡大附に敗退。盛附の強さは確かなものがあるし、岩手の風土で鍛えられた底力を発揮してきてほしく思うもの…とは思っても、何か打ちのめされるものはあります。成長はどこもするわけだからね。差を見せつけられると、しょげたくもなる。諦めたくもなる。

 そんでも、グラウンドに立てば強敵と戦って勝ってやろうと思う。その起意がなけりゃ何も始まらない。
 決勝戦に進んだ久慈は、昨秋の敗戦がその起意につながり、これだけの戦いができたと聞きます。

 色々な模索をしながら、また1年どう頑張るか。人間の成長力を楽しみにしまして、項を閉じましょう。

 少々ならず冗長な記述となりました。お付き合いいただきありがとうございました。(了

(岩手県営)





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最終更新日  2017年07月25日 21時53分39秒
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