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カテゴリ:シンギュラリティ
「知能の謎」 認知発達ロボティクスの挑戦
けいはんな社会的知能発生学研究会・編 2004/12 講談社ブルーバックス 人工知能についての研究会の10人による共著であり、ロボットに対する哲学的・心理学的あるいは工学的な側面からの意欲的なアプローチ。 たぶん知能について考えるよい方法がふたつある。そのひとつが哲学の本をいろいろ読んでみることだ。AI(人工知能)やロボットの研究者には、哲学書をよく読んでいる人が多い。本章のメイン筆者である瀬名(秀明)も以前は哲学が苦手であったのだが、「知能」というキーワードを常に抱えながら読むと、哲学の本がすごく面白いことがわかってきた。いくつもの発見があるのである。例えば評論家の柄谷行人(1941~)が著書『探求2』の中で「単独性と特殊性を混同してはいけない」という話をしている。これは私達の知能を考えるうえでとても大切な本質を提示してくれていると思う。p14 ここまでは、ある意味、このブログがやってきたこと延長していくことで、どこかで接点を得ることができるようになるのは間違いない。 近年は遺伝子工学や再生医療の技術が発達したとはいえ、まだ人間そのもののシステムを理解する手段にはなり得ていない。生物科学の限界は、実際に自分の手でいのちをつくって検証してみることができない、ということに尽きる。 では、その限界を超えて、人間らしい賢さを研究するためにはどうすればよいのか? 先程、知能を考えるのにふたつのよい方法があると書いた。ひとつは哲学からヒントを得ることだったが、もひとつは何か? 私達にはロボットがある。p23 本書においては、ロボットを作ること自体は目的ではない。 知能に関する仮説を立て、ロボットを作って動かし、仮説を検証する。このようやり方を、従来の「分析的アプローチ」と区別する意味で、少し難しい言葉だが「構成論的アプローチ」と呼ぼう。構成論的なアプローチに基づいて認知発達ロボティクスという新しい方法論を確立することで、私たちは従来の科学の限界を超えて、人間の知能の本質に迫ることが可能なのだ。p26 ということで、「人間のような知能を持ったロボットを通して『知能』の研究がこれから始まる」ということである。この一冊は、あくまでロボットに対する「工学的」なアプローチではなく、「哲学」的アプローチを貫きながら、知能に迫るにはロボット製作が絶対に必要だ、と主張している。だから、当然のことながら、この、けいはんな社会的知能発生学研究会は、他の多くの学際的なグループとの連携なしには、成果を検証できないということになる。 にわかにロボットに目覚めた私には、なるほどこういうアプローチがあったかと、感動しきりで、かならずしも研究の途中経過であっても、その成果を十分に受け取ることはできない。しかし、このような視点があることを確認できただけで、今回は満足だ。 ここで単純に言っておけば、チベットタントラ密教などを中心に7つの身体論がある。サバイバル、意思、権力、ハート、創造、ビジョン、光明、と敢えて単純に言っておくとすると、現在のロボット工学はまずは第一身体であるサバイバル・レベルまでは作り得る自信を持ちえたのではないか。あるいは、意思、権力までは、なんとか作り得る可能性もほのかに見えてきているようだ。 しかし「知能」となると、一体、どういうことなのか。ロボットで検証可能かどうかはともかくとして、「知能」を探求するなら、第5身体のクリエイティブから、第6身体のビジョンまでは、いかなくてはならないだろう。科学の力は、いつかはこれらに達成することができるとしても、これらの研究の歩みを見る限り、そのゴールははるか遠くにさえ、見えてきてはいないようだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2009.02.04 21:52:01
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