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カテゴリ:シンギュラリティ
「ネット社会の未来像」 IT時代のジャーナリズム
神保・宮台マル激トーク・オン・デマンド3 宮台真司・東浩紀・西垣通・神保哲生・水越伸・池田信夫 2006/1 春秋社 「ネット社会と未来」というこのブログのカテゴリを終了したと思っていたら、まさにその通りのタイトルの本があったのね、とちょっと本屋店頭で立ち読み。購入してじっくり読んだのであれば引用したいところもあるが、簡単に書きとめておく。 ただ、このブログでは「ネット社会」と人類の「未来」を対置的に考えてみたのであるが、この本では「ネット社会」の進化過程の「未来像」を読み解こうとしている。宮台真司は、私としては、あまり好みの学者ではないが、先進的な視点から挑発的な論陣を張る姿勢や、その彼の論調を支持する潮流の存在は、決して侮れない。 この本では「ネット社会の未来像」を「IT時代のジャーナリズム」というキーワードで読み解こうとする。 サイバー世界には何でもある。だけど、人の心だけはない。あいつぐ幼女殺害事件、子どもの安全を名目に着々と進む監視社会、テレビ局を飲み込むIT企業、不安に怯えて吠える都市の弱者たち、どこかで響く高笑いの声―サイバー・ネットワーク社会で、知らぬまに人の心を操るアーキテクチュラルな権力を読み解く。 カバー・コメント 私のブログにおいては「ネット社会」の進化過程として、必ずしもジャーナリズムやメディアというところに収斂させずに、「シンギュラリティ」と「マトリックス」にイメージを分散してみた。「シンギュラリティ」とは、ネット上のパソコンが全て有機的に繋がって、まさに一つの巨大な人工知能コンピュータとして機能し始めるイメージである。「マトリックス」とは、ビックバン以降、地球上の水分にあらゆる要素が溶け出して、前生命体であるスープ上の溶液が出来上がっていく過程のイメージである。 この本において、「サイバー世界には何でもある。だけど、人の心だけはない。」という極めて意味深なメッセージが書かれている。「人の心」とはなにか。どうもこの文脈では、道徳心のような、「心正しく生きる」というような用法で「心」がとらえれているようである。たとえば2ちゃんねるのようなコミュニティにおけるいわゆるネチケットの不備を嘆いているようにともとれる。 しかし、私は、このメッセージをネット社会というものの限界性として、「知性」と「胎性」は作れるけれど、「意識」はつくれない、と読み解こうと思う。あるいは、コンピュータやネット社会の進化によって、限りなく実現可能性が拡大し続けた時、ついに到達しえないものとして「意識」を定義づけてみようと思う。 「人工知能」は人間とロボットの合作から次第にロボットの限りない自立へ向けた過程の中で、その進化が実証されていくことだろう。あるいは「マトリックス」への試みは、バイオテクノロジーは、Googleなどの科学と医学のテクノロジーを融合させて、生物学と遺伝学の分野へ進出させる、という野心的な長期計画などで、達成されていく可能性が大きい。 だけど、「心」や「意識」は、今のところ、人間そのものがその「ネット社会」に組み込まれない限り達成はしえないのではないか、と想像する。ないしは、ロボットやコンピュータには作り出しえない最後の最後のものこそ、まさに地球人スピリットと呼ぶにふさわしいものではないか、と思う。そこにこそ、人間の存在価値があるのではないだろうか。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2009.02.04 21:48:09
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