
「2010年」<1>
監督:ピーター・ハイアムズ 1984年製作 米113 min
2001年から9年後の出来事。映画ができた時は、2001年もはるか未来のことと思われていたが、あっという間に、私たちは2001年をとおりすぎ、間もなく2010年を迎えるところまできている。人類は進歩したのだろうか。私たちは、すでに未来の世界に住んでいるのだろうか。
スーパー・コンピュータHALは健在だ。映画そのものは相変わらず難解だ。それにしても、ここまで来ると、あまりに人工物に囲まれた世界が窮屈に感じられる。宇宙とは言っても所詮それは宇宙船から見る外側の世界ではないか。誰が誰に何をどう話しかけているのか。人類である私たちが私たち自身に問いかけているものはいったい何なのか。
この映画のもっている「誠実さ」「先見性」「的確性」には圧倒されるものがある。
「これらの世界はすべて
あなたがたのもの
ただしエウロパは除く
エウロパへの着陸を
試みてはならない
すべての世界を皆で
平和のうちに利用するのだ」
息子よ
この先 長いこと君と話せない
起こったことを語りたいが
たぶん歴史学者の仕事だろう
とにかく その翌日
大統領は
ホワイトハウスの窓から
ソ連首相はクレムリンの窓から
新しい太陽を見たのだ
彼らはそのメッセージを読み
学んだ
そして軍隊を撤退した
私は眠りにつき
君と母さんの夢を見る
君らにもう危険はない
恐怖は去った
我々は生命の誕生を見た
太古の地球にも同じことが?
あるいは違うかもしれない
モノリスの正体は
いろいろなものだ
我々を超えた知性の使者
形のない何かを表す何かの形
君の子どもは2つの太陽で育つ
空にはつねに太陽がある
星のない暗い夜空を
見ることはなく
夜を恐れることもない
君の子どもが光を見失ったら
こう言えばよい
”宇宙にも生命が”
いつか新しい太陽の子と
古い太陽の子は
友達になるだろう
いつの日か 人は
空を見上げて言う
”我々はこの世界の”
”間借り人にすぎない”
家主は契約更新と
警告を与えてくれたのだ
最後の「ツァラトゥストラはかく語りき」は相変わらず、高々と鳴り響く。
<2>につづく