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![]() 「一休道歌 下」 あの頃、Oshoはひたすら次のコミューンに向けて力を蓄えていた。そして講話を延々と休むことなく続けていた。あの講話群は、一緒に座って聞いているサニヤシンに向けて語らえたものではあったが、かならずしもその場に限られたものではなかっただろう。今、こうして、翻訳のモンジュや多くの人々によって、この講話を読むことができる。Oshoは、30年後の私に講話を残してくれていた、ということになる。 私が移転するための新しい場所を見つけようとしていることを、あなたがたは何度も何度も聞いている。だが、デリーはそれにひどく反対している----。彼らはもっと大きな場所、もっと大きなスペースを持たせたくない。彼らは新たな障害をつくりつづけている。そして、彼らは障害をつくりだすことができる。法律に基づくあれやこれやを----。少なくとも彼らは遅らせ、先に延ばすことができる。彼らの努力のすべては、どうやって私のことを世界に知らせないでおくかにある。p159 歴史を知ることに何の意味がある? あなたは小さなコンピューターをポケットに入れて、必要なときはいつでも調べることができる。ちょっとコンピューターに訊くだけでいい。 いずれは既成の教え込まれた生体コンピューターを買うことができるようになり、それが答えてくれる! その日は人類史上の偉大な革命の日になる。なぜならその日から、学ぶことを知識の違いが何であるかを知ることが簡単になるからだ。コンピューターを持ち歩く人は知識の人であり、自分自身の生の”体験”を持っている人は賢者だ。 いいかね、コンピューターはあなたに情報を与えることはできるが、体験を与えることはできない。コンピューターに、「愛とは何か?」と尋ねることはできる。そしてコンピューターは、愛について語られたことすべてを伝えることができる。が、それであなたが会いを体験するわけではない。体験は自分で味わう以外にない。あなたは恋に落ちて、それを知らなければならない----。コンピューターがそれをあなたに与えることはできない。 コンピューターは、神に関するあらゆる情報を与えることができる。が、神について知ることは神を知ることではない。神を知ることはまったく違う。それは遭遇だ。それは個人的で、親密で、直接だ。 あなたはそれを見ることができる。物知りは、たいていいつでも愚かな振る舞いをする。彼はそうせずにはいられない。それは彼の知識が借り物だからだ。彼は知性的に振舞うことができない。神学者(パンディット)はこの世でいちばん愚かな人たちだ。 215p だが、21世紀に住んでいる私たちは、すでにパーソナル・コンピュータが生活のなかの当たり前のアイテムになっていることを知っており、なおかつ、ケータイという形で、すっかり私たちのポケットの中に納まっていることも知っている。パソコンやケータイをとりまく状況は必ずしもおだやかな面ばかりではない。マイナス面、デメリット面もいわれている。 今日、この時間の現在、北京オリンピックの聖火リレーは、長野市内を走行中だ。群衆の中を、警備隊に守られて聖火が運ばれている。やたらと中国国旗だけが目立つ街頭だが、いくつかの直接行動にでる抗議派もいるようだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008.04.29 12:45:54
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