
「究極の旅」 禅の十牛図を語る <1>
Osho スワミ・プレム・プラブッダ・翻訳 1978/3 501p めるくまーる
Vol.2 No.0066 ★★★★★
某SNSで[OSHO mmp/gnu v0.0.1β]としてスタートしたこの試み、当ブログに移植されて[ OSHOmmp/gnu/agarta0.0.2 ]という宝石箱に変容してきた。そして、それもこのエントリーで108を迎えることになってしまった。アッというまでもあるが、まだまだ始まりでしかないようでもある。
当初考えていた「OSHO/gnu0.0.2のための21冊」は十分読み込めたということにはならないが、こういう形で当ブログに登場してきたということでは、ひとつの足がかりを作ったことになる。最初は手当たりしだい目を通していたのだが、次第にOshoの「私の愛した本」がガイド役になってくれた。そして後半はOshoの禅シリーズが次第に重みを増してきたが、この事態は当初あまり予想していなかった。
Zenといえば、Osho全体がZenともいえるのであり、どこをどう切り取るかという問題でもなさそうだが、整理の関係上、前期、中期、晩期と分けることもできるようだ。当ブログとしては、今後とも晩期Zenシリーズに焦点を合わせていきたいのだが、前期、晩期とも、ひとつひとつが魅力的である。
この「0.0.2」で出来たことは、玉川信明の「和尚(ラジニーシ)、禅を語る」にでてきた参考文献リストにほぼ目を通すことができたことくらいだろうか。といっても、まだ読みきれていない本も数冊あるし、あるいは、「永遠の大河」や「ダンマパダ」はまったくの手つかずだ。まぁ、この二冊は必ずしも「禅シリーズ」とは言いがたいが。
日本語に翻訳されたOsho本だけをまとめた玉川本だけでも、さらに3冊ある。あるいは「OSHO ZEN TAROT」に引用されているZen本も多くある。あるいは他のビデオやテープ、そしてもちろん瞑想そのものについても、記録される必要もある。しかし、あまり手を広げすぎても全体を見失う。いまはともあれ、次の「OSHOagarta/mmp/gnu0.3」へ、未整理のまま突入していこう。
さて、「究極の旅」。日本で二番目に出版されたOsho本だ。75年に「存在の詩」が出されて、77年に単行本化された。私がインドに行ったときに、Osho本はこの一冊しかなかった。それにつづく「究極の旅」の翻訳を終えたプラブッダが、この時のインドへの旅のツアーコーディネーターだった。だから、私がこの本を読んだのはインドでだった。
尋牛、見跡、見牛、得牛、牧牛、忘牛存人、人牛倶忘、返本還源、入てん垂手・・・と円を結ぶ十牛図。当ブログでは、0.0.1βが尋牛、0.0.2が見跡となっているだろうか。とするなら次の0.3は見牛、となるはずなのだが・・・。

<2>につづく