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「一休道歌 下」 <2> Oshoは講話の中で、自分のサニヤシンは5万人と言っているが、そのほとんどはインド人であっただろうし、急増中だったのは、アメリカやドイツなどを中心としたヨーロッパ人が中心だった。日本からやってくる若者たちも多かったが、せいぜい二桁にとどまっていただろう。当時のメモを見てみると、直接名前と顔が繋がる日本人サニヤシンは30人程度である。しかも、西欧の平均年齢30歳前後にくらべ、日本人のそれはさらに5歳ほど若かった。 77年、私は、Oshoアシュラムへのダイレクトなツアーでインドに行ったので、一ヶ月後にはサニヤシンになったし、体験といえばそれ以上ないような体験もした。しかし最初、私が行きたかったのは必ずしもOshoの元ではなかった。「インド」に行きたかったのだ。で、滞在ビザ延長の問題で、インドを離れ、また再入国したあとに、戻ったプネは、これこそが私が呼ばれていたものだ、と納得することができた。
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Last updated
2008.04.29 10:31:21
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