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カテゴリ:mandala-integral
う~む、パラパラめくってみると、どうも薄いなぁ。薄味。むかし、フォークソングは使用前、ロックは使用中、演歌は使用後、というようなジョークがあったが、この本は、どうもその例でいえば、青春フォークソングのような、さわやかクリアソング、という感じがして、どうも喰いたらない。世の中に、肉じゃがのような定食や、煮込みおでんとかのこってり料理があるとするなら、この本は、ポテトチップスか、ポップコーンのようなモノトーンな感じがする。 もともとのタイトルは、「INEVITABLE GRACE」だから、もっと別なタイトルの付け方があったような気もする。ネットの自動翻訳で翻訳させると、「必然の優雅」、「不可避グレース」、「避けられない優美」とかなってしまって、こいつらの翻訳機能も大したことないなぁ、と思うが、少なくとも「人間性の最高表現」というタイトルからはだいぶかけ離れている。 この「最高」表現という言葉が、いまいちよくない。最高学府や最高裁判所をイメージさせて、いかにも、下位の存在があるかの如く、あるいは、下位の劣等階級があることを前提として、ものごとが成り立っているような、そのようなイメージが強く残る。 そういえば、何年か前に、足裏診断とかいう団体の長が「サイコーですかぁ~~」とか叫ぶと、会場のみんなが「サイコーで~~す」とか合唱するとかしないとか、ということが話題になった。いや、あの足裏判断レベルの団体なら、ポテトチップスよりかは、煮込みおでんのほうにイメージは違いが・・・。 この「人間性のサイコー表現」は、サイコシンセシスのアサジョーリとの共同研究者による本ということだが、どうもいまいち、おもしろくない。型どおりのカタログを全体的になぞっただけで、スパーのチラシをながめているような、お手軽お惣菜コースのようなイメージがどうしてもつきまとう。 「読者は普通の人々であって、インテリになりたいわけではない」pivとか言っているけど、読者は「フツー」であって、この本に書かれていることは「サイコー」であって、みんな「サイコー」になれるんですよ、というお話だが、それって、やはり「人間」をナメていると思う。 親鸞の「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや。」とか、道元の「仏道をならうといふは、 自己をならふなり。 自己をならふといふは、 自己をわするるなり。」とかいうような名言を吐きなさい、とまでは言えないが、やはり薄味ジャンクフードのイメージが否めない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008.12.16 21:55:59
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