|
テーマ:気になったニュース(30336)
カテゴリ:幼児・児童
校長、生徒…自殺者は「八方ふさがり」であり「駆け込む場所(逃げ場)が必要」と、日本TV系のニュースで語られていました。その通りですね。 ここで「駆け込み寺」を連想したのですが、「管理社会」が徹底されていると、「遊び」がなくなるので、イジメ→自殺と言う図式になるのでしょう。 この「遊び」と言うのは「余裕」の事です。これは、バイクで例えると、クラッチレバー、フロントブレーキの「遊び」と同様です(クルマのハンドルやアクセルペダルなども同じだと思います)。 人間の体内時計は25時間だそうです。この為、以前は「昔、地球の自転は25時間だった」と言われていましたが、実は1時間分は「遊び」であり、この「遊び」がないと狂ってしまうそうです。 以上は体感に即したものです。これは、机上では分からない事で、似たような事は歴史の解明にも多々見られます。 三国志の時代、魏には「左右の眉をつなぐ」と言うメイクがあり、陳舜臣は「ちょっと気味が悪い」と想像していました。「何が何でも統一してしまえ」と言う曹操の意向だろう、とも思ったそうです。ところが、実はこの風習がアジアに残っており、それを目にした陳舜臣は「思ったより違和感がなく、むしろ好印象」と思ったそうです。陳舜臣は、若い頃から曹操の詩文に親しんでおられ、その陳舜臣にして、なおこのような事があるのです。われわれ凡人は、心しておくべきでしょう。 さて、その「体感」ですが、せがた三四郎のエピソードを御紹介しましょう。 たった10万台しか初回出荷できないにも関わらず、出荷して混乱を招いているPS3ですが、かつてのPS(1)の時代に、火花を散らしたライバルがセガサターンです。覚えておられるでしょうか? グレーの機体に新機種「白」を加え、イメージキャラクター「せがた三四郎」を登場させ、専用の歌まで作りました。せがたの登場するCMの中には、彼が通行人を次々と投げ飛ばすものがあります。せがたに扮し、歌まで歌った藤岡弘、によると、彼が投げたのはエキストラではなく、たまたまその場に居合わせた人たちだったと言う。それでも、うれしそうに投げられていたそうです。 似たような事は、僕も多少、覚えがあった。僕が子供に好かれる要因の一つは、身長が180センチ近い事である。抱っこしてあげると、非常に喜ばれる。これは、普段見えないものが見える(目線が上がる)事が理由だろうが、ちょっとしたスリルが味わえる事も理由ではないかとも思う。簡易ジェットコースターもようなものだろう。 ただ、いきなり抱き上げると泣かれる(当たり前だろう)。その為、まずは膝をたたんで相手の目線まで降り、その上でにらめっこなり他のボディランゲージで御機嫌を取った後、相手の同意が得られれば抱き上げる、と言う手順にしている。 これは、子供相手だけではなく、社会における交際の基本だろう。ただ、あまりにも当たり前の事なので、我々はそれを失念し、性急に結果のみを追い求めているように思えて仕方がない。そして、その性急さは、多くの場合、犯罪になるか、不幸な結果を残してしまうのである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2006.11.28 01:20:50
コメント(0) | コメントを書く
[幼児・児童] カテゴリの最新記事
|