2634150 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

hongming漫筆

hongming漫筆

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

PR

Comments

背番号のないエース0829@ 松谷みよ子】(04/22) 「私のアンネ = フランク」に、上記の内…
hongming@ Re:ブルーレイが再生できない(11/30) 随分遅くなりましたが、やっと試しました…

Freepage List

Recent Posts

Archives

Keyword Search

▼キーワード検索

2005.02.24
XML
カテゴリ:江戸時代を知る
 7日の続きで、これから「下巻」(1961年5月6日発行)。
 安楽庵策伝和尚は著者と言うより編者。訳は小高敏郎。
 笑話集。筆録したのが元和九年(1623)というから、江戸の初期。こういう本ができるということは、それ以前からかなりの笑話が流布していた、ということだ。
 「下戸」「悋気」など項目ごとに笑話を分類収録している。
 のちに落語のネタとなったものも多い。

 印象に残ったのを一つあげる。

 義経の東国下りの時、弁慶が宿の女房にこの子数を尋ねると「父の子六人、母の子六人、合わせて九人」と答える。
 翌日になっても意味がかからず、考え込んだ弁慶は道を七里遅れた。
(なでぞうなるかはこの書き込みの最後で)

 この話、話自体も面白いが、なぜ義経の東国下りの時の話なのかが分からない。実話だったりして。

 また、p30の目の上に大きなこぶを持っていた男が、それを鬼にとってもらったという人の話を聞き、自分も行くと、「前のを返す」と言われて結局こぶが二つになってしまったという話。
 まさに「こぶとり爺さん」。
 これは、「宇治拾遺物語」にある話の方が、今の「こぶとり爺さん」に近い。
 民話としては「醒睡笑」のような内容で語られ、のちに、書物から今の「こぶとり爺さん」が生まれたのだろうか。

 さて、先ほどの謎解き。
 どういうことかというと、父の先妻の子三人、母の先夫の子三人、再婚道士で二人の間にできた子三人。父で分ければ六人、母で分ければ六人、しかし合計は九人というわけ。
 





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2005.02.25 14:37:59
コメント(0) | コメントを書く
[江戸時代を知る] カテゴリの最新記事


Category

Favorite Blog

陽気 New! せいやんせいやんさん

Shopping List

Headline News


© Rakuten Group, Inc.