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カテゴリ:鹿児島の歴史
大隅国分寺跡は鹿児島県霧島市国分中央1-23-7にある国指定史跡である。 上の写真の説明板にあるように、聖武天皇の命で全国に置かれた国分寺の一つである。 鹿児島にはもう一つ現在の薩摩川内市にも薩摩国分寺があった。 大隅国分寺は奈良時代末期から、平安時代初期に建立されたと考えられている。早くに衰微し、幾度か再建されたが永禄年間の再建が最後で明治2年の廃仏毀釈で廃寺となった。 大正10年(1921)3月3日に大隅国分寺のものとされる石塔など周辺が国の史跡となり、現在はきれいな芝生公園となっている。発掘調査で創建当時のものと思われる奈良時代の形式を持つ瓦が出土したが、詳しい発掘調査がなされていないので、寺の規模や伽藍の配置などは依然として不明のままであるという。(ウィキペディアなど) 今後の詳細な発掘調査が待たれる。 康治元年(1142)の銘のある多重層塔 廃仏毀釈で破壊された仁王像 この国分寺跡は先日(2015,5,15)書いた大隅国府跡とは1,5Kmくらいしか離れていない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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