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カテゴリ:「断捨離思考のすすめ」関連
日本の新聞の一面にモンゴルの名前が出るのは珍しくなくなりましたが、一面のコラム(朝日新聞なら天声人語とか)に出るのは初めて見たような気がします。
21日の日経新聞の「春秋」というコラムにモンゴルが書かれました。その内容が、なんと私が2010年に書いた本の内容とほとんど同じなのです。 私は「ビジネスパーソンのための断捨離思考のすすめ」という本の書き出しにモンゴルの遊牧民のことを書きました。それと似たようなことが書いてあるのです。 要するに、モンゴルの遊牧民は年に4回も引っ越しをするので、余計なものをため込まない。逆に、多くの日本人は、本当は要らないものに囲まれて、窮屈に暮らしている、と。 物に執着しないモンゴル人は、その代り言葉を大切にする。言葉とは、心の記憶であり想念であろう。そして最後に「引っ越しは、自分にとり何が大切かを問う好機でもある、と結んでいます。 確かに、今も田舎の遊牧民のゲルを訪ねると、モノより心、余計なモノには縛られないという生活が見て取れます。 ですが、そのモンゴルも当然のことながら近代化と共に変わっているのは、その本にも書きました。ウランバートルの都市住民は、今や相当な「モノを持つのが好きな人」と言えます。クルマも家も、日本的な見方からすると「分不相応」なものを持ちたがります。 携帯も時計も、平均的日本人ではないからかもしれませんが、私なんかよりもずっと立派なものを持っているビジネスパーソンが多いです。ただ、アメリカもそういう傾向があり、それゆえ個人消費の力で経済を引っ張って行っている部分もあるのも事実です。 世界的に見れば日本人はその所得に比べれば消費の仕方はかなり「地味」と言えるでしょうから、日本と比べるのは意味ないかも知れません。ただ、モンゴルの高邁な精神を持った文化も同時にすたれていくのであれば残念です。 もう一つ、最近耳にするのが家畜泥棒。 私は初めてモンゴルに行ったとき、数百頭もの家畜を抱えながら移動する遊牧民に感服しました。 500頭もいる羊は、どの羊が自分が所有しているのかわかり、他人所有の羊が迷い込んできてもすぐにわかるので、ちゃんと持ち主に返してあげるのです。 「囲いもなく、ずっと人間が監視しているわけでもないから、盗まれたりしないんですか?」と聞いたことがあります。 ですが、ある遊牧民は「盗む?どうやって逃げるんだ?こんなに広い草原を何頭もの羊と共に逃げたら、必ず誰かに見つかるよ。村の市場に持ち込んでも、すぐに誰の羊かはばれてしまうんだよ。」とも言われ、なるほどと唸るようにその答えを聞いたのを覚えています。 ですが、時代は変わり、兼業の遊牧民が増えました。必ずしも十分な監視体制が取れない遊牧民もいます。またクルマという便利なものが普及したので、移動も昔のように「馬に乗りながら」盗んでいくわけではないので、夜であればほとんどわからない場合が多いそうです。 資本主義的貨幣経済が急速に田舎にもやってきたので、昔ながらの自給自足的生活からは程遠いのが現実です。 発展するモンゴルで、失われていくモンゴルの良さがあることをしっかり心に焼き付けないといけないと思います。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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