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カテゴリ:モンゴル国内旅行
いろいろありましたが、昨日はシャワーも浴びてよく眠れました。
昨晩は10階のレストランからの眺めを楽しみながらワインも飲めたし。ですが、不思議なことにワイン以外は何も出してくれませんでした。 遅い時間でキッチンを閉じたのは分かりますが、いわゆる乾きものとかピーナッツとか。なんでもいいから下さいとお願いしましたが、かたくなに「ワインだけです。他はありません!」だって。でも「レストラン・バー」と名乗っているんですけどね。 さて今日の午後にウランバートルに戻りますが、その前に例の世界遺産が気になっていました。で、調べてみると。。。なんと、初日に行ったタバンボグドの麓の村から結構近い場所にあったようなのです!うーむ、悔しいです。 こんな絵が見られたはずだったんですね。 岩絵の数はなんと数千点も!書かれたのは古いもので紀元前1万Ⅰ千年から紀元前6千年!!気が遠くなるほど昔の絵です。その頃の日本は、縄文時代?もっと前かな? 残念ですが、仕方ありません。やはり本当に行きたいところは、他人任せにせずに自分で調べて自分で明確に位置まで確認しないと、モンゴルでは難しいということがよくわかりました。日本のように「群馬県にある世界遺産は?」と聞かれれば、誰もが答えられる国とは違うってことなんです。まだまだ甘いです、私のモンゴル経験は。 ということで、今日は遠出は諦め、ウルギーの街を歩くことにしました。そうなればやはり行きたいのはザハ(市場)ですね。田舎のザハ巡りは楽しいですから。 ということで、ドライバーのJさんファミリーが店を持っているウルギー中心部にあるザハに行きました。こちらのザハは、大きな屋根付き建物の中にたくさんの店があるタイプではなく、ごちゃごちゃした通路の周囲に小さな店がたくさんあるタイプでした。 通路の幅は、とても車が通れる大きさではありません。 中で売っているものは、多くはウランバートルで見られるのと概ね同じです。ウランバートルでは、かなり日本製品が買えるようになりましたが、この1200km離れた西の端の県ではどうでしょうか?やはりあまり日本製品はありません。 最初に見つけたのは、日用品。 花王もライオンもない中、唯一あったのがユニ・チャームです。ユニ・チャームはウランバートルのタバンボクドという財閥が流通を担っています。地方のザハにまで配架しているとは立派です。他にはヤマサの醬油なども。 これは? 読める通りの商品ですね、パン粉です。キリル文字で説明が書かれていましたが、パンコは世界共通語になってのでしょうか? これ↓を見たら、Uさんが「あ、カルピスの真似だ!」と。 これは韓国ロッテの製品です。私も韓国でいろいろ見ましたが、確かに韓国では日本製品のコピー商品が多いです。モンゴル人にも「日本品のコピー」であることが知られているとは凄いです。 これは、え?日本のお米?? はっきりと「日本の米」と書かれています。 が、私がウランバートルで知っている価格帯とは随分違います。で、よく読むと、これはベトナム産米で商品名が「日本米」なんです。こんなのあり?? ザハを少し離れたスーパーにも立ち寄りました。さすがにスーパーはほとんどウランバートルと同じような品揃えです。で、日本酒を発見! 3種類の日本酒がありました。 製造元はというと、、、 なんと3本とも新潟県ではないですか!!しかもそのうちの2種類は、村上市です。凄いです!ウルギーの高級スーパーでの日本酒は新潟県産シェア100%!! 値段を見ると、そんなに高くないのです。1800円くらい。え?日本でも多分1000円くらいですから、まあまあの値段です。Uさんは「買って帰ろうかな?」と言います。私はラベルをよく見ました。2016年製造です。6年前?ワインじゃあるまいし、ちょっと古いかな? そもそもこのお酒はどういうルートでここへやってきたのでしょうか?私の多少の経験と勝手な想像を入れて、ストーリーを考えました。 この酒は2016年に新潟県の北端、村上市で生まれたのです。通常はそれは県内はもとより、東京や大阪にも出荷されるでしょう。小売価格を900円とすると、どうでしょう、卸価格は675円、蔵出し価格は585円くらいでしょうか。 そもそもこうした適正価格で流通していたら、どうなっているでしょうか?村上の蔵から585円で出たお酒は酒卸店に行きますが、モンゴルへの輸出などの場合は輸出専門の卸経由で輸出されます。 村上から、横浜または神戸の港、そこから中国天津港へ。そこで列車に乗り、北へ行き、ザミンウッド経由でウランバートルへ。ウランバートルの輸入元はそれに2-30%程度のマージンを乗せ、小売店へ。小売店はさらに25-30%のマージンを乗せ販売。 しかも日本の流通コストと違って、段違いに高い輸送費が必要となります。酒税の差などを考慮しても、ウランバートルで2000円なら御の字でしょう。ですが、ここは西の端のバヤンウルギー。ここまでトラックで運ぶしかありません。とまあ、いろいろ考えると、そもそも村上を空瓶で出発したとしても、相当なコストがかかります。 恐らくこういうことではないかと推測します。村上の酒蔵で、残念ながら売れ残ってしまった酒があった。2―3年もたつと、なかなか国内では捌けない。だったら一層のこと海外へ。 輸出専門卸と交渉し、例えば「卸価格585円だけど、300円でどうだ?」「いや、200円なら」などの交渉があったに違いない。それでウランバートルに来たけど、それでも売れ残ってしまった。最後は、バヤンウルギーへ安く卸しちゃえ、と。 ちょっと悲しいけど、そんな背景を感じてしまいました。村上、頑張れ!結局、Uさんは買うのを止めました。でも、村上とバヤンウルギーがつながったことは事実ですし、このルートが通常品のルートになればいいなと思いました。 こんな妄想をしながら、楽しいバヤンウルギーの旅を終えたのでした。 今回は単なる旅の記録ですが、実はこのバヤンウルギーは歴史的にかなり重要な場所なのです。そもそも「なぜモンゴルにカザフ人が90%以上もいる県があるのか?」など、興味は尽きません。それについては、またいつか本ブログでお話ししたいと思います。 (完) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2022.07.27 12:33:34
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