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カテゴリ:ユーラシアの歴史
カザフスタンの首都名が再び変わりました。というか、ここは首都移転も含めて、首都名が良く変わる国です。
カザフスタンの歴史を少し見てみましょう。モンゴル帝国の末裔の時代(カザフハン国など)を経て、19世紀くらいにはロシア人によるこの地域への干渉は大きくなっていました。当時はこの地域は「キルギス」と呼ばれており、この地域は大ジュズ、中ジュズ、小ジュズに分かれていました。 この大中小は、大が小を飲み込む関係ではなく、簡単に言えばカザフスタンの東部を大ジュズ、中部を中ジュズ、東部を小ジュズと呼んでいました。ジュズとは部族連合を表す言葉ですが、結果として地域を表す言葉でもあるようです。 そして1920年にキルギス自治社会主義共和国として設立されたのです。まだソビエト連邦が成立する前でしたので、ロシア社会主義共和国内で設立されました。この国と現在のキルギス共和国とは別の国です。この時の首都はビシュケクでした。このビシュケクもフルンゼに改名されましたが、その後またビシュケクに戻っています。 1925年に国名がカザフ自治ソビエト社会主義共和国となって、首都もアルマトイに変わりました。そして1936年にカザフ・ソビエト社会主義共和国に格上げされたのです。この国がソ連崩壊まで続いたわけです。 ちなみに現在のキルギスのルーツは、1926年にできたキルギス自治社会主義共和国であり、上記のカザフスタンの母体となったキルギス自治社会主義共和国とは別だというので、誠にややこしいのです。地図を見ればわかりますが、カザフスタンは非常に大きな国(日本の7倍以上)であるのに対して、キルギスは小さい国(日本の半分強)です。 この時代ですから、国境を決めたのはロシア人です。これは噂に過ぎませんが、ロシア人は勇猛で戦闘力が高いキルギス人を恐れていたので、キルギスをロシアから離れた南の小さなエリアに押しやり、管理しやすいカザフ人の国をその北に大きくしたと言われています。確かに、キルギス人は中世のころからその戦闘力で有名だったようです。 で、カザフの首都です。1991年にカザフスタン共和国になり、首都はそのままアルマトイでした。が、1997年にアルマトイからアスタナに遷都されました。そして2019年にアスタナの名称をヌルスルタン・ナザルバエフ前大統領の名前にちなんでヌルスルタンに変更したのです。ところが、そのわずか3年後の2022年9月に再びアルマトイに戻されたというわけです。 しかも名前を変えたのも、名前を戻したのも同じトカエフ大統領だというのも変です。まあ考えられるのは、当初は圧倒的なナザルバエフに忠誠を誓うふりを見せて大統領になったものの、もうナザルバエフの影響力は心配不要となったので、首都名を戻したというところでしょうか? とはいえ、カザフスタンは首都や名前を変えすぎです。ここ100年ほどで、 ビシュケク→フルンゼ(名前変更)→ビシュケク(名前再変更)→アルマトイ(遷都)→アスタナ(遷都)→ヌルスルタン(名前変更)→アルマトイ(名前再変更) と7回も変えています。 ナザルバエフは「モンゴルはヨーロッパで有名で羨ましい」ようなことを言っていましたが、そもそも首都の場所や名前をこんなに頻繁に変えていては、ただでさえ関心の薄い中央アジアの国では誰も首都名を覚えられないでしょう。どんな影響があるか考えてみましょう。 まずは教科書です。世界の地理の教科書です。印刷物ですから、変えたからと言ってすぐに世界の教科書が変わるはずはありません。数年はかかるでしょう。もしかしてちょうどヌルスルタンに切り替わったころでしょうか?それをまた変更しないといけません、世界中で。国連などの国際機関への届け出も変更が必要でしょう。 各企業のパンフレットなどの印刷物も大変です。住所を記載するのに、首都名が変わるのですから、やはり変更しないといけません。Webページも変わっていることでしょう。役所の場合は看板も変えないといけません。もしかして道路標識も変更しないといけないかも。世界各地の飛行場の表示も変更が必要です。更に膨大な量の個人の名刺も変更しないといけません。 要するに馬鹿馬鹿しいほどの労力をかけて、更に3年後に同じことをするという大統領の思考力のなさがよくわかります。まあ、カザフスタンは本当の民主主義国家ではないので、大統領は気まぐれで何をやっても許されるのでしょうけど。 日本も1300年間で3回遷都しましたが、たった100年で3回は多すぎます。普通の国なら、金の無題使いと猛烈に批判されるでしょうね。しかも世界的な知名度はどんどん落ちるばかりだし。モンゴルの赤い英雄は確かに時代には合いませんが、赤い英雄のままでいいと思います。 <追加訂正> 本ブログの読者である、カザフ人さんから訂正が入りましたので、下記の通り追加訂正させていただきます。カザフ人さん、ありがとうございました。 キルギス自治ソビエト社会主義共和国(1920—1925)の首都はビシュケクではなくオレンブルクでした。首都移動及び改名は下記の通り: 1920-1925 - オレンブルク 1925 首都移動->アク・メチェト 1925 首都改名->クズロルダ 1929 首都移動->アルマ・アタ 1993 首都改名->アルマトイ 1997 首都移動->アクモラ 1998 首都改名->アスタナ 2019 首都改名->ヌルスルタン 2022 首都改名->アスタナ 以上 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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確かに王様は裸です。モンゴルのような民主主義国家では裸の王様が出現しません。
キルギス自治ソビエト社会主義共和国(1920—1925)の首都はビシュケクではなくオレンブルクでした。首都移動及び改名は下記の通り: 1920-1925 - オレンブルク 1925 首都移動->アク・メチェト 1925 首都改名->クズロルダ 1929 首都移動->アルマ・アタ 1993 首都改名->アルマトイ 1997 首都移動->アクモラ 1998 首都改名->アスタナ 2019 首都改名->ヌルスルタン 2022 首都改名->アスタナ 首都移動及び改名の正確な回数は8です。100年では8回ですでので、次回の改名は2034年にジョマルトです。 (2022.10.19 12:33:40)
カザフ人さん、ありがとうございます。
そうですか、100年で8回ですか。首都移動も多いですが、首都改名が多いのに驚きますね。どれも合理的な理由ではなく、大統領が勝手にやっているのでしょう。これでは世界的にカザフの首都名を覚えてもらうのは難しいですね。 (2022.10.20 07:51:18)
カザフ人さんが書いた首都の履歴をそのまま本文に訂正という形で掲載させていただきます。よろしくお願いします。
(2022.10.20 07:52:40) |