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カテゴリ:世界とモンゴル
今日入ってきたニュースです。ロイターによりますと「ウクライナ南部ヘルソン州のロシア支配地域とクリミア半島を結ぶチョンガル橋の道路がウクライナのミサイル攻撃で損傷し、交通が別ルートの迂回(うかい)を余儀なくされていると、両地域の当局者が22日に明らかにした。」ということです。
いよいよクリミア半島とロシア支配地域を断絶させる作戦に出たようです。せっかくの立派な橋で巨費をかけたのでしょうが、これは戦争でロシアをクリミアから追い出すためですから、仕方のないことです。 ですが、私のこのニュースを見ての最初の反応は、戦争戦術ではなく、この言葉です。チョンガル橋です。なんかものすごくモンゴル語っぽいんですね。 これがその地域です。クリミア半島につながる重要な通路です。 wikipediaなどいろいろ調べてみました。英語版はもちろん、ロシア語版も。それによると、ここはチョンガル半島という地域の名前だということがわかりました。しかしながら、この地域については1900年以降のことしか書かれていません。 ですので、今度はこの言葉の意味を探りました。が、どうやら「元々はロシア語ではない言葉」とあり、もちろん「ウクライナ語ではない言葉」であるように書かれています。こうなると、私の直感はいよいよ当たっているんじゃないかと思うわけです。 で、まずは単純にモンゴル人に「チョンガルって何?」「英語でChongar」「キリル文字でЧонгар」はどういう意味?と。ですが、残念ながら、現代のモンゴル語にこの通りの言葉はないようです。ですが、モンゴル人から「クリミア半島はトュルク系が多かったから、トルコ語系かも知れない?」とのコメントをもらいました。 なるほど、それは十分ありうるなと思い、グーグル翻訳やその他の手段を使ってトルコ語にアプローチしたら、なんと私が「Чонгар」というのをトルコ語翻訳に入れただけなのに「原語はモンゴル語」と出てくるではないですか!!わかったのはそこまでで、現在の意味は分かりませんでした。 こうなると、いよいよ私の直感であるモンゴル語説が正しいような気がします。ですが、これ以上はわかりませんでしたので、あとは推定です。 辞書を引いても、そもそもЧо(チョ)で始まるモンゴル語は非常に少ないのです。小さい辞書では「Чонo」(チョンヌ。日本人が普通に聞くとチョンに聞こえるが、よく聞くと小さなヌがある)狼(オオカミ)のことです。 「Гар」(ガル)は手のことです。携帯電話は「гар утас」(ガル オタス)と言います。直訳すると「手の電話」です。私は「狼の手」が語源ではないかと勝手に推測しました。狼の手は「чонын гар」と書きます。読み方は「チョニンガル」です。 モンゴルがこの地域を支配したのは800年も前のことですが、この地域には多くのモンゴル語が残っていることは有名です。800年もあれば「チョニンガル」が「チョンガル」に変遷しても少しも驚くことではなく、むしろ自然でしょう。 この地域の地図をもう一度見てください。この地域が「狼の手」に見えたのではないでしょうか?800年もの年月を経て、ロシアという熊がこの「狼の手」を侵略しているのです。現代の戦争を見ていることで、モンゴルの歴史に思いを馳せることができるのです。 と、ここまで書いて、このブログの読者である「カザフ人」さんからコメントいただきました。私の勘は半分は正しく、半分は間違っていたようですので、以下の通り正しい情報を追加します。 正しい情報というのは、やはり私の直感であった「チョンガルはモンゴル語」ということです。間違っていたのは、残念ながら「狼の手」ではなく、モンゴル人であるカルムイク人の地であったということです。 以下、カザフ人さんのコメントをもとに書きます。 コメントからの引用「カザフ語版Wikiによると、「チョンガル(Chongar)」という名前はクリミア・タタール語でカルムイク人(モンゴル人オイラト族)を指す呼び名だとされています。17世紀から18世紀にかけて、ジュンガリア(Dzungaria)から移住してきたカルムイク人がこの乾燥した海峡を通過し、クリミア・ハン国を頻繁に襲撃したとされています。」 本ブログでも以前に登場しましたが、清の時代に最後まで清の領土になることに抵抗したモンゴル人が、ジュンガルの人たちです。ジュンガルとは、現在のバヤンウルギー県の南部にある広大な地域で、今では中国の新疆ウイグル地域となっています。 このジュンガルの人たちは大変強力な軍隊を持ち、清国も非常に苦戦したと言われてます。ジュンガル人に比べれば、ハルハ人ははるかに弱かったとも・・・ コメントからの引用「「ジュンガル(Dzungar)」という言葉はモンゴル語で「左翼」を意味します。モンゴル語のハルハ方言では「ズーンガル(Zuungar)」と言います。モンゴル文字ではこれらの呼称の表記はは同じですが、キリル文字で表記する際には異なってしまうため、モンゴル国に住むモンゴル人(主にハルハ族)にとっては理解しにくいかもしれません。」 左のことを現在のモンゴル語であるハルハ語では「ズーン」と言いますが、チャハル(内モンゴル)やジュンガルでは「ジュン」と発音します。なので、現代モンゴル語ではズーンガルですが、現地での読み方ではジュンガルとなるのです。 このジュンガルに住んでいたのがオイラート族(モンゴル人)で、この人たちがチンギスハーンの時代に西へ遠征し、クリミア半島辺りに移り住んだのです。ですから、このオイラートの人たちは、その地でジュンガルと呼ばれ、それが800年でチョンガルになり、その土地もそう呼ばれるようになったのでしょう。 なんだか、北海道日本ハムファイターズの新球場が北広島市にありますが、その名前の歴史にも似ている気がします。広島出身の人たちが「ここは北の広島だ!」と名付けたと聞いたことがあります。 やはり、「モンゴル帝国の痕跡は現代に至るまで残っています。」というのは、カザフ人さんにも同意していただけました。カザフ人さん、ありがとうございました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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