宮本武蔵の最初の著作(で、現在明らかになっているもの)は
『兵道鏡』です。
宮本武蔵は、養父・新免無二之助一真の十手術「当理流」を引き継ぎ、
これに工夫をして『円明流』を創始しました。
『円明流』は後の兵法・二天一流の基盤になります。
『円明流』は名古屋を中心に広まりました。
(*実は、名古屋では笠寺観音に武蔵道場があったとの事で、
かってこの笠寺観音の裏手に以前私は部屋を借りておりました)
尚、「円明」は、武蔵の実際の生誕地、兵庫県の米田村、つまり高砂の地に
所縁のある言葉です。
慶長10年(1605年)12月に、武蔵は当時の高弟・落合忠右衛門に
『兵道鏡』を相伝しております。
慶長10年といえば、前年の慶長9年に、京都の吉岡と試合を
重ねておりますので、その翌年に伝書を製作した事になります。
『兵道鏡』は28ヶ条から構成されております。
その<後書き>は以下の通りです:原文は漢文ですが、読み下しです:
「右、六七々八の条々(注:28ヶ条)、
慶長十年初冬の頃、
忽然として細やかに的伝(てきでん)の秘術を積み、
明鏡の書を作り、『兵道鏡』と名付け、
ことごとく妙術を伝うる弟子(ていし)、
印免の者にこれを授け、
今古無双(こんこぶそう)の兵法、
後々末々まで絶えずベからざる為に、
先跡無類(せんせきむるい)の秘事等を
書き付け置かしむるなり。
たとえ、予(注:武蔵の事)が直筆の免状の手形を
有すといえども、この秘巻無き者は、
必ず、状(じょう)用ゆるべからず。
この条々を学ばずば、 如何でか勝負を決せんや。
親子兄弟たりともこれを授けずという、
その覚悟によりて、誠に他事をなげうって、
執心神妙の旨、
この一巻、相渡すものなり。秘すべし、秘すべし。
円明流天下一
宮本武蔵守 藤原義経
落合忠右衛門慰殿
参
慶長十年極月吉日良辰」
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ken
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最終更新日
2006年03月06日 04時31分06秒
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