テーマ:七五三(255)
カテゴリ:里山・歳時記
昨日の日記で「七五三」は、江戸時代の呉服屋と神社の陰謀と書いた。
けれども、実は、それを受け入れる生活が根底にあったのである。 ---*---*---*---*---*---*---*---*---*--- ★★★三歳 三歳という年は、子どもの成長のひとつの境目とされた。 この時、今まで付け紐で着物を着ていたのをやめて、帯をつけるので 三歳の祝いを一般に「ヒモオトシ(紐落し)」という。 また、一つ身であった着物を三つ身に仕立てて着せるので、 「三身祝い」ともいう。 この習慣は、近畿から西は岡山、四国、九州北部、東は静岡、長野あたりまである。 ★★★★★五歳 五歳の祝いは全国的に男児のみが「ハカマギ(袴着)」をするのが普通であった。 「民具の歳時記」<河出書房新書>より ---*---*---*---*---*---*---*---*---*--- ●かぞえ年でいう三歳は、二歳くらい。 乳児の死亡率が高かった時代に、よくぞここまで生きさせてくれたという、気持ちがあったのでしょう。 子どもの頃、ときどき箪笥から出して眺める着物があった。 「あんたの『ヒモオトシ』の着物や。」と母が言っていた。 濃い、小豆色に花の古典的な柄の着物が美しいと子ども心に思った。 結婚して、娘が産まれる時、母は、その着物をほどいて、赤子の布団に仕立ててくれた。 二人の娘たちがそれを使い、日光に当てているうちに、だんだん色が褪せてきた。 ボロボロになった、その布団は処分したが、昔の晴れ着は、こうして、リサイクルされ最後まで生きた。 ■□■テレビしびれて■□■ ★てるてる家族 ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。 ★11月12日「もらい湯・・・風呂を待つ間」UP お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[里山・歳時記] カテゴリの最新記事
|
|