テーマ:懐かしい昔の話(540)
カテゴリ:父の麦わら帽子
私が子どもの頃、家には冷蔵庫がなく、いろんな保存食や保存方法があった。
梅の実を干して梅干しを作ったり、 ■むいた、かわまで干して食べた柿、■■保存食ではあるがおやつに作った「やっこめ」。■ サツマイモの保存は■いも穴で・・・。■ そして、大根も漬物として保存した。 11月も中頃から大根がとれだし、それを少し干してから漬物樽に並べて漬け込み重石に大きな石を置いた。 母が漬物を作る時、私は手伝おうともしないで、近くで遊んでいた。 漬物樽は、家の裏の軒下に置かれていた。 大根が、「こうこ」になると母は 「つかった、つかった」と嬉しそうに樽から出してきて切り、食卓に出した。 ちなみに、「こうこ」とは「香の物」が変化したもの。 たかが、「こうこ」と思うけれど、当時は、とても大切な食べ物だった。 というのは、我が家は、耕作する畑が少なく、(といっても、4枚もの畑があったが・・・。) 作る野菜は、ニンジン、水菜、白菜、ホウレンソウ、菊菜、ネギなどなどすべてを作っていたので、大根を作る面積は限られていたのだった。 「こうこ」にまわす大根は限られていた。 畑を多く持つ、裕福な家は、こうこに使える大根も多くとることができたのだが・・・。 もちろん、大根以外にも、白菜の漬物を作ったりしていたけれど、それも、大事に食べても、無くなってしまう。 そんな時、母が 「こうこが減っとる」と言い出した。 誰かが取って行ったのかもしれないと言い出した。 家の裏に置いてあるので、誰でも持っていくことは出来る。 ある日、今度は母が怒りながら私に言った。 「おばちゃんとこに、漬物をもらいに言ったら、 『漬物もただじゃないからなぁ』と嫌味を言うんじゃ。 あそこは、金持ちで、私ら(貧乏人)の気持ちが分からん。」とプンプン怒った。 おばちゃんとは、父の弟の嫁、私にとっては叔母にあたる人。 叔母の家は沢山の田畑があって、村で一番の金持ちだった。 今思うと、彼女は、言葉数の少ない人だったが嫌味を言うタイプには思えない。 しかし、私たちに食べさせるためにプライドをかなぐり捨て、親戚ということを頼りに漬物をもらいに行った母にとって、どんな言葉も嫌味に思えたのだろう。 大根の漬物さえ、悲喜こもごもの思い出がある・・・。 そんな時代だった私の子どもの頃は・・・。 ・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村 ・・・・・・・・・・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2015.11.27 11:58:56
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