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2021.11.15
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テーマ:■雑学王■(728)
カテゴリ:トリビア
八十島祭(やそしまさい)とは

新しい天皇の即位の際、大嘗祭を行なった翌年に難波津にて斎行された、かつての即位儀礼の1つである。
今は行われていない。
 新天皇の乳母の内侍司典侍が必ず祭使に任命され、それに神祇官官人・御巫・生島巫らが従い、一行は難波津に赴く。
そして祭使は祭場の祭壇で天皇の衣の入った箱を開き、
 これを琴の音に合わせて揺り動かしたのち、最後には祭物を海に投じる次第であった。
祭の目的は諸説あるが、生島巫が参加することから生島神・足島神(宮中で生島巫が常時奉斎した神々が主神であったとする説が有力視される。
その説の中では、国土の神格化である生島神・足島神の2神を祀ることにより、国土の神霊を天皇の衣に付着(招魂)させて天皇の身体に取り入れ、天皇の国土支配権の裏付けを企図する祭祀であったとされる。
その後時が下るにつれて祭りの性格は次第に変化し、中宮使・東宮使も参加するようになったほか、女性らによる華美な行列で下向するようになり、
二条天皇の祭の時(永暦元年・1160年)には平清盛の娘が祭使となって豪華な行列が形成されたという。
八十島役(やそしまやく)
八十島祭の費用にあてるため賦課された租税。
八十島祭は熊川尻すなわち淀川の河口で、即位儀礼の一環として行なわれたみそぎの祭儀で、文献にあらわれるのは「文徳実録」の嘉祥3年(850)9月条が最初であるが、古くから行なわれていたと推測されている。
 その費用は国庫から支出されていたと思われるが、平安時代に入って国家財政が困難になってくると、その費用を捻出するため荘園・公領一律に、臨時の租税を八十島役として賦課するようになる。
1191年(建久2)11月に行なわれた後鳥羽天皇のための八十島祭にさいして、摂津の国司が、国内の荘園の八十島役徴収には官使を派遣して厳しく督促して欲しいと要求したことが「玉葉」にみえている。
このとき尼崎市域にあった東大寺領猪名荘も同役を負担したらしいが、のち1198年(建久9)10月にいたって免除の権利を獲得したことが、「東大寺文書」の断片から推測される。

 ■八十島祭は、ここに詳しい。
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Last updated  2021.11.16 20:50:36
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