テーマ:懐かしい昔の話(548)
カテゴリ:父の麦わら帽子
昭和30年頃の正月は、今とまったく違っていた。
朝起きると、母が、 「餅をなんぼ食べるんなら?」と聞いてくる。 皆の食べる餅の数を煮えたぎる鍋の中に入れる。 12月28日に搗いた餅は、湯の中で柔らかくなってゆく。 雑煮の出し汁は、ダシジャコでとって、醤油で味付けしてある。 具は、豆腐、竹輪、人参、ホウレンソウだった。 雑煮の汁の中に、茹でて柔らかくなった餅をいれる。 ホウレンソウやダシジャコが餅にへばりつくが、それがなんとも美味しかった。 美しいお椀も重箱も祝箸も無かった。 いつもの味噌汁用のお椀に雑煮は入れられた。 昭和30年頃、今から60年以上前の正月は、今とまったく違っていた。 家にはテレビが無かったし、村の中にも無かった。 だから、自分の家の雑煮しか知らなかった。 雑煮を食べたあと、母が蜜柑をひとつくれた。 子供に、ひとつづつ蜜柑を渡して、残りは籠にいれて、子どもの手の届かない高い所に吊り下げた。 正月にお年玉がもらえるということは知らなかった。 もし知っていたとしても、もらえなかったであろうけど・・・。 正月の一日には、小学校に行った。 小学校の講堂に全生徒が集められ、校長の話を聞いた。 話が終わると、全校生徒にミカンが一つか二つ配られた。 大人たちは皆、家で休んでいて、村の中は誰一人大人の姿を見なかった。 子供は、凧あげ、独楽廻し、マリつきと元気よく遊んだ。 昭和30年頃、今から60年以上前の正月は、今とまったく違っていた。 家にはテレビが無かったし、村の中にも無かった。 だから、自分の家の正月以外知らなかった。 母の炊いた煮しめと雑煮、それに一日一個のみかんだけ、正月飾りも、お年玉もない正月だったが、その頃の正月は、一年で一番はれやかな日だった。 にほんブログ村 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2022.01.26 00:09:33
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