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奇   知   外   記

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2016.05.05
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カテゴリ:統一運動

5日、GW最後の日。ママさんとDVD「海峡」(1982年公開)を視聴した。

 

 

 


『海峡』 予告編

 

「海峡」を視聴しながらも、そのバックに何度となく流れる懐かしいミュージックがある。
それが以下だ。

 

 

『父母ありて』

            作詞・作曲 Traditional

離れて なおいとおしく

感じる ああ父母ありて

君は涙にくれる人 慕わしさを越える

時の流れは早く 人を待っていない

君よ 立ち上がれ 勝利への道さ


遥かな 道の途中で

呼んでみたい ああ父母ありて

君が苦労の 中なれば 

代わりて 重荷負わん

※今が最後の峠と 天地共に騒ぐ
君よ 闘えよ 栄光の道さ※

※(繰り返し)  

 

これの元歌は「海峡」の主題歌、「南こうせつ 友ありて 」である。


「海峡」は、青函トンネル開通までを扱った映画で、映像の会話の中にも今回開通した「北海道新幹線」があった。

幾度もの困難に直面しながらも、北を目指して掘り進む姿は正に「真の父母様」そのものである。

1950年、ピョンヤンから南下されるとき38度線をまたいで祈祷されたお父様の祈りは、また今日、私たち祝福家庭の祈りでもある。

 三十八度線で南北が分断された地点に到着した時、私は片方の足を韓国に、もう片方の足を北朝鮮にかけて祈祷を捧げました。
 「今はこのように強く押されて南下していくとしても、必ずもう一度北上していきます。自由世界の力を集めて必ず北朝鮮を解放し、南北を統一します」
 避難民の群れに交じって歩いていく間も、ずっとそう祈り続けました。

(文鮮明自叙伝『平和を愛する世界人として』、P.119~120)


真の父母様が「日韓海底トンネル」を提唱されたのは1981年、その翌年に映画「海峡」が公開され、私も映画館へ足を運んだりした。

北緯41度がまさに津軽海峡。
その津軽海峡で父を亡くした少年が成長し、「トンネル掘り家」となって父の眠る海峡の下で手を合わせながら岩盤を発破するシーンが2度ある。
一度目は、陸と海の境目の岩盤を発破するとき、そして、青森からと北海道からのトンネルが最後の発破で開通する瞬間の時だ。

さて、ピースロード・日韓トンネルは、真の父母様の夢でもある。
いま私たち祝福家庭が進むべき方向も日韓トンネルの道を切り開き、南北韓の道をも開けていくことではなかろうか。


【参考記事】


分派の方々は今、荒れ狂う津軽海峡を目前にして何を考えておられるのか?

 

マタイ8章23節~27節

それから、イエスが舟に乗り込まれると、弟子たちも従った。するとともに、海上に激しい暴風が起こって、舟は波にのまれそうになった。ところが、イエスは眠っておられた。そこで弟子たちはみそばに寄ってきてイエスを起し、「主よ、お助けください、わたしたちは死にそうです」と言った。するとイエスは彼らに言われた、「なぜこわがるのか、信仰の薄い者たちよ」。それから起きあがって、風と海とをおしかりになると、大なぎになった。彼らは驚いて言った、「このかたはどういう人なのだろう。風も海も従わせるとは」。 





一休さんのような機知(トンチ)ではありません。

奇知=人とは異なる知恵

すなわち神様の知恵

 

世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。

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Last updated  2016.05.05 22:03:37
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