「まっちゃん」さんこそ、明らかに「原理講論とは違う神観」を書いているようです。
記事の訂正をお願いします。
まっちゃんのブログ
「43双婦人有志の会」と名乗る人たちの声明文にみる、原理講論とは違う神観
http://ameblo.jp/motojuku103/entry-12256761504.html
以下、一部引用。
声明文を読んでみると、今の家庭連合の「神観」がよく分かります。そこを引用します。
敬愛する祝福家庭の皆様。天の父母様(神様)はお一方ですが、本陽性と本陰性の二性であられ、ゆえに神の似姿としての人間は男性と女性に分立され、人間始祖アダムとエバとして現れました。神様の陽陰の二性性相に似たアダムとエバがいなければ、生命が生まれることはありません。
このように書いていますが、これには「原理講論」に書かれている重要な「文字」が欠けています。それは性相と形状の二性性相です。
神を「本陽性」と「本陰性」の二性だけと定義すると、そこからどうして分立し、アダムとエバが現れたのかという疑問が生まれてきますから、どうしても根源的な何かを探さなくてはなりません。それが本性相です。
…(略)…
原理講論では、陽性も陰性も神の二性性相であると言っていますが、そこには思想的な疑問があります。二性性相は陽性と陰性だけではないのです。神の二性性相に性相・形状と、陽性・陰性とがあるのならば、二性性相ではなくて四性性相ではないかという疑問です。
(引用終わり)
声明文に性・形の二性性相が書かれていないからといって「原理講論とは違う神観」というには、論理が飛躍していないですが。
その一方でこれと対比しながら、独自的原理解釈があたかも正当であるかのように書かれていますが、この「四性性相」について、原理講論のどこに? あるいは、統一思想のどこに? そのような記述があるのでしょうか。あれば、その出典を明示にしてください。
さて、二性性相だけをとっても「一元論か? 二元論か?」の論争が起こりかねない微妙なところなのに(詳しくは「統一思想要綱」P.34~。以下にPDF版から)、「四性性相」ともなれば「四元論」はおろか「16元論」も出かねません。「統一」など夢のまた夢です。
http://www.utitokyo.sakura.ne.jp/uti-index-gensouron002.pdf
例えば、授受関係を取ってみても「性相と陽性」、「形状と陰性」といったような非原理的な組み合わせも可能にしてしまいます。これをどう説明されますか。
世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。
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