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原理講論を捨てたUCIkimuchi氏、私からも「kimuchi へ 何故お父様は無原罪といえるのですか?」
さて、信仰とは、望んでいる事がらを確信し、まだ見ていない事実を確認することである。昔の人達は、この信仰のゆえに賞賛された。…
父は一人でどうして子女を生むことができるだろうか。堕落した子女を、全の子女として、新たに生み直してくださるためには、真の父と供に、真の母がいなければならない。
イエスは、全人類の新郎として来られたので、彼が再臨なさるまでの信徒たちは、来られる新郎の前に新婦とならなければならない。しかし、新婦なる信徒たちが再臨される新郎イエスと小羊の宴を終えたのちには、新婦ではなく妻となり、夫であるイエスと共に、天国生活をするようになるのである。それゆえに、イエス再臨以後の完成成約時代は、妻の時代、すなわち、雌牛の時代であることを知らなければならない。ゆえに、雌牛は、とりもなおさず、完成を象徴するのである。多くの霊通者たちが、現代は牛の時代であると、啓示を受ける理由は、正にここにあるのである。(出典:原理講論P.320~)
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Last updated
2017.10.15 16:57:45
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