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HOPE氏のブログ記事より。
本来ブログは自由なもの http://blog.goo.ne.jp/day_of_hope/e/d517165348984b275dcff274f7cd1750?fm=rss どうやらHOPEブログの名前をあげていろいろ宣われておられる方があるようだが・・・ HOPE氏が「言論の自由」などといっては各自が好き勝手に何でも書いてよい、ということなのか? 原理を学ばれた方であれば、「自由」と聞けば、堕落論の『第五節 自由と堕落』がすぐに思い起こされる。その中の(一)自由の原理的意義(P.125~)では
HOPE氏の過去記事では「原理講論を捨てたりはいたしません」というのであれば、この定義も当然受け入れておられるものと思う。 私からはHOPE氏の挙げた引用に対して、その検証を試みてきた。 そして、「長子」や「長子権」の言葉を挙げながらあたかも「三男さん」のような意味合いを含ませたものに対しては、具体的には「誰」を指してのものかの明示のお願いをしてきたが、その後も曖昧のままであった。 「まるバツクイズ」、これもまた最初の挑戦者がtomtomud8氏となったが、元を辿ればHOPE氏の三男さんの「祝福権委譲」を巡る引用の記事が発端であった。HOPE氏がそのクイズの最初の挑戦者となるべきところを、そのコメント欄でtomutomud8氏がHOPE氏を擁護してきたためだった。 私からは印刷物にも書かれた史実から当時、三男さんへの「祝福権委譲」はなかった、つまりは回答は「×」を教えての「まるバツクイズ」、HOPE氏が2000.9.24・25のみ言引用の実際は「×」と「自由と責任」において答えられることも容易であろう。 また、HOPE氏自身の考え(冒頭の黄マーカー)にしても、HOPE氏自身がお父様のみ言引用を借りてはお母様に対しての誹謗中傷されて来られたのではなかったか。 お父様自身がお母様に対してそのようにされて来られたかのような印象を与えては、お二人の仲を裂こうという意図が見え隠れしていた。 実際には、そのいくつかの原文との検証によって全く意味が違っていたことが判明した。 さて、それに対してHOPE氏、偽情報の垂れ流しに終始されることなく「訂正」なり「謝罪」なりのひと言があってこそ、「自由と責任」に当てはまるというものではないか。 最後に「金容成のブログから~ お母様を心配されたお父様のみ言」シリーズの結論。 お母様を心配されたお父様であったが、「最終一体をなされた」。 めでたしめでたし HOPE氏、これが「自由と実績」というものだ。 一休さんのような機知(トンチ)ではありません。 奇知=人とは異なる知恵 世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。 ↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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2017.12.28 01:07:42
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