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奇   知   外   記

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2020.01.11
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カテゴリ:UCI、サンク
​​​​しばらく奇知外記の本記事を留守にして、「家庭訓読会を極める会」--「アベル・カインに対する考え方」コメント欄で少し議論をしていました。
「家庭訓読会を極める会」のコメント欄書き込みに際して事情が変わりましたので(メールアドレス:[必須入力]に変更)、本記事にて回答することとしました。現時点では個人的メールのやり取りをする気持ちはありませんから。
これまでの経緯に関しては、こちらのコメント欄にて参照してください。

以下続き。


帰りました。

まずは、お父様が無原罪で、または、原罪を持って生まれられたという議論にどれだけの価値があるでしょうか?
その意図するところは、お母様のみ言からの揚げ足取り以外の何ものでもありません。ちょうど2000年前のイエス様に律法学者・パリサイ派らがしていたようなことが、こんにちのお母様にも向けられているということです。
私たちがみ言を介して学んできたことは、「独生子」「独生女」以上に「真の父母様」の価値であり、さらには「天地人真の父母定着実体み言宣布大会」からは、一体となられた「真の父母様」そのものを強調されておられました。ところが、お母様や家庭連合を批判される(支流人の)方々は、その「真の父母様」をどこかに忘れ去っておられるようです。子女様方の名はあっても「真の父母様」は聞くことができません。
お父様が聖和(逝去)されたとしてもまったく居られなくなった、ということではありません。地上界だけでなく霊界もあることを知っている私たちであり、霊界では無形の神様が真の父母様の形で現れるようになるとも語られていました。

お母様の「独生女発言」、それをさかのぼって行けばお父様が1959年10月に初めて語られたイエス様「独生子」に対しての対語としての「独生女」(造語)がありました。その後もみ言集では180ほど語らていたということですが、支流人の方々は「これまで聞いたことがない」といっては、「独生女理論だ」「独生女論だ」などとの机上の空論「独生女批判理論(?」を拡散していました。こんにち、ようやくにして「事必帰正」でもお父様の語られたみ言「独生女」のいくつかも紹介されるようになりましたが、「統一教会の分裂」でも書かれていた虚偽・改ざんの域を抜け出せないでいました。

さてさて、「再臨主」お父様が無原罪、有原罪の話に戻ります。

>お母様の独生女思想はお父様には原罪があることを強調されているのですが、これについてはどう思われますか。

これに関しては、お母様がそれを強調されておられるは大きな間違いです。むしろ、それを悪意を持って強調しているのは、サンクの澤田治平氏ほか支流人の方々のほうでしょう。
私からは、「儒教の家庭から無原罪は可笑しい」「主の路程でも聞かなかった」と反論していました。



FUJIY氏からの意見も

>ただお母様の主張を無批判に信じているような浅薄な理解に思われますが。

ですか? 
「イエス様は無原罪で。その再臨主も無原罪で」といった因習的信仰に囚われている方々こそが、その妄信者ではないでしょうか!!

原理講論にもその解答はハッキリと書かれていました。その原理講論の話も信じられないというのであれば、果たして、何を信じては男子子女様方のDNAにつながろうとしているのでしょうか。

●ヤコブ路程はイエス路程を象徴的、モーセ路程は形象的、
そして、イエス様は実体でもって歩まれました。
「ヤコブ→ヨセフ」、「モーセ→ヨシュア」、「イエス様→再臨主」です。
●また、1300年前に昇天したエリヤでしたが、
イエス様は洗礼ヨハネを指して「再臨のエリヤ」だと言いました。
個体は違っても使命の責任からのものでした。
●復活論には「再臨協助」についても書かれていました。

​原理講論『復活論』から:
④ 完成復活摂理

​再臨されるイエスによって、霊肉共に復活して復活摂理を完成する時代を完成復活摂理時代と称する。この時代におけるすべての地上人は、完成復活摂理による時代的な恵沢を受けることができる。再臨主は、旧約と新約のみ言を完成するための、新しいみ言をもってこられる方である(前編第三章第五節(一))。ゆえに、完成復活摂理は、新旧約を完成するために下さる新しいみ言(これは、成約のみ言であるというのが妥当であろう)を、人間たちが信じ、直接、主に侍ってその責任分担を完遂し、義を立てるように摂理なさるのである。それゆえに、この時代を侍義時代ともいう。この時代における人間は再臨主を信じ侍って、霊肉共に完全に復活され、その霊人体は生霊体級を完成するようになる。このように地上で生霊体を完成した人間が生活する所を地上天国という。そして、地上天国で生活して完成した人間が肉身を脱げば、生霊体の霊人として、生霊体級の霊界である天上天国に行って生きるようになるのである。​
​(三) 霊人に対する復活摂理​

① 霊人たちが再臨復活する理由とその方法

創造原理によれば、人間の霊人体は神から受ける生素と、肉身から供給される生力要素との授受作用によってのみ成長するように創造された。それゆえに、霊人体は肉身を離れては成長することも、また復活することもできない。したがって、地上の肉身生活において、完成されずに他界した霊人たちが復活するためには、地上に再臨して自分たちが地上の肉身生活で完成されなかったその使命部分を、肉身生活をしている地上の聖徒たちに協助することによって、地上人たちの肉身を自分の肉身の身代わりに活用し、それを通して成し遂げるのである。ユダ書14節に、終わりの日に、主は無数の聖徒たちを率いて来られると言われた理由はここにある。​

​​​では、霊人たちはどんな方法で地上人に対して、み旨を完成するように協助するのだろうか。地上の聖徒たちが祈祷や、その他の霊的な活動をするうちに、霊人たちの相対になれば、その霊人たちは再臨して、その地上人たちの霊人体と相対基準を造成していろいろの業をするようになる。そして、その霊人たちは地上人たちに火を受けさせたり、病気を治させるなど、いろいろの能力を現させるのである。それだけでなく、入神状態に入って、霊界の事実を見せたり、聞かせたり、あるいは、啓示と黙示によって預言をさせ、その心霊に感銘を与えるなど、いろいろの方面にわたる聖霊の代理をすることによって、地上人がみ旨を成し遂げていくよう協助するのである。​​​

​(二) 再臨復活による他のすべての宗教の統一


既に、終末論で論じたように、今まで同一の目的を指向してきたすべての宗教が、一つのキリスト教文化圏へ次第に吸収されつつある歴史的事実を、我々は否定することができない。それゆえに、​キリスト教はキリスト教だけのための宗教ではなく、過去歴史上に現れたすべての宗教の目的までも、共に成就しなければならない最終的な使命をもって現れた宗教である。それゆえに、キリスト教の中心として来られる再臨主は、結局、仏教で再臨すると信じられている弥勒仏にもなるし、儒教で顕現するといって待ち望んでいる真人にもなる。そして彼はまた、それ以外のすべての宗教で、各々彼らの前に顕現するだろうと信じられている、その中心存在ともなるのである。​

​このように、キリスト教で待ち望んでいる再臨のイエスは、他のすべての宗教で再臨すると信じられているその中心人物でもあるので、他の宗教を信じて他界した霊人たちも、彼がもっている霊的な位置に従って、それに適応する時機は各々異なるが、再臨復活の恵沢を受けるために、楽園にいる霊人たちと同じく再臨しなければならない。そして、各自が地上にいたとき信じていた宗教と同じ宗教をもつ地上の信徒たちを、再臨されたイエスの前に導いて、彼を信じ侍らせることによって、み旨を完成するように、協助せざるを得なくなるのである。したがって、すべての宗教は結局、キリスト教を中心として統一されるようになるのである。​​

これらを総合すれば自ずと結論は見えてくるでしょ!!



「独り子」が二人もいればサタンが笑います。
神様の絶対「性」が損なわれてしまいますから。
ですから、お父様の語られた「精子」とはイエス様(神様)からのものという結論です。


▲『祝福と理想家庭』から





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【追記】

「家庭訓読会を極める会」--「アベル・カインに対する考え方」コメント欄は1月11日 20:50 の確認で削除されていました。理由は何なのでしょうか?
彼には、私tomy4509がこれまでもブログ記事にしてきた真の家庭におけるカインアベルに関しての疑問を投げかけていたものでしたが。



2008年4月6日におけるお母様を中心としたカインアベルの儀式についてでした。
FPAではカインアベルは蕩減時代のものであって、原罪のない真の家庭内でのカインアベルはないと教えていました。ところが、2008年4月6日のカインアベルの儀式はどうだったのか、というものでしたが。それから真の父母様の不一致説、「2000年代は母子協助時代から父子協助時代へ」-- 共産主義の弁証法的唯物史観--母親を必要としない時代へ、お母様の「独生女」発言と「お父様は原罪を持って生まれた?」といった流れだったと思います。


今回の私からのそれ(本記事)に対しての彼の反論意見を期待していたのですが?





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Last updated  2020.01.12 07:47:34
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