6495191 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

奇   知   外   記

奇  知  外  記

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

PR

Recent Posts

Free Space

にほんブログ村ランキング参加中
↓ 応援クリックお願いします ↓

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 家庭連合へ
にほんブログ村
にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ
にほんブログ村
にほんブログ村 哲学・思想ブログへ
にほんブログ村

Keyword Search

▼キーワード検索

Freepage List

Comments

Calendar

Category

Archives

2020.05.12
XML
カテゴリ:UCI、サンク
​​​​​​​​先ずは、cocoaさんブログ記事「念願の第一教祖じゃないですか~? !」から私tomy4509(peace) のコメントを転載します。
1

「天の父母様」呼称を否定される方々の意見です。
​自称ルポライタイーtomy4509のこれまでの検証からは、呼称「天の父母様」から「天の父母様教団」への流れに何ら問題はないと思います。​
もしも問題があるとすれば、原理原本に始まりお父様のみ言の黒・天聖経を始めとした八大教材教本に記載された「独生女」、「天の父母(様)」までも批判・否定される方々ではないでしょうか?
その批判・否定によって頭をもたげようとされる真の父母様(お父様)以外の人物の言葉でしかありません。



「親泣かせ原理運動」との批判をされながら、肉の父母以上に真の父母様を慕い求めてきた私たちであったはずです。​ところが、心情はおろか 【そのみ言とも一致しない】 子女様方にお父様の残像を求めてみたところで結末は見えてきています。​
「天宙天地人真の父母定着実体み言宣布大会」です。み言以上にその実体「天地人真の父母」が大切です。以下は既に読まれたでしょうか?
「cocoaさんへ--Re:「独生女教の小さくても大きい嘘」は?」
https://plaza.rakuten.co.jp/peace3world/diary/202005030002/

興進様の聖和を目の前にしながらも、お父様に「絶対信仰・絶対愛・絶対服従」のお母様でした。cocoaさんならば、夫をひっぱたいてどころの騒ぎではないと思います。
『人類の涙をぬぐう平和の母 』の真のお母様ですが、その心と体は闘わなかったでしょうか。。1960年に御聖婚された真の父母様でしたが、そのお母様自身はプリンセスのようなあまい新婚生活を送られていては「平和の母」となることは到底できませんでした。

さらには、真のお父様との心と体を合わせられての「最終一体の宣布」までもお父様はされておられます。
「これを信じますか?」という前に、頭を下げざるを得ないのが私たちの姿勢ではないでしょうか!!
peace2020-05-06 17:39:11
​​3
>cocoaさん

​​​原理講論は厳密には、神様は「男性格」ではなく、「本性相と本形状の中和的主体であると同時に、本性相的男性【天のお父様】と本形状的女性【天のお母様】の中和的主体」としおられる方であられるので、「天の父母様」の呼称は何ら問題はありません。​​​
「神様は男性格」だと主張されては原理を歪めている方もいますが、「被造世界に対しては、性相的な【男性格主体】としていまし給う」お方と原理講論では書かれています(P.47)。​「神様の男性格」に対しては「母なる大地」、つまりは被造世界です。​

​>お父様のみ言の真髄は「神様と人間は父子の関係」ですよ ! !​(cocoaさん)
-----
神様と人間は「父子の関係」はお父様のみ言からも強く語られてきたことです。これまでの「天のお父様」はキリスト教からであり、イエス様は結婚しなかったゆえに「天の父」としてしか語ることができなかった、というのがお父様のみ言です。
ところで、アブラハム家庭の話をしてみましょう。アブラハムには二人の息子、イシマエル(兄)とイサク(弟)がいましたh。二人ともアブラハムを「父」と呼びますが母親が違っていました。エサウとヤコブ、彼らは双子ですが、恩讐関係となって別れて暮らしていました。ヤコブはレアとラケル、そして、その僕も入れて12人の子供らはヤコブを「父」と呼んでいました。父は同じでも「異母兄弟」です。また、人間始祖アダムエバ堕落で天使長が「偽りの父」となり、この世には「異父兄弟」もあります。
​私が統一教会に来て最初に聞いたのは原理講義と「信仰講座」でした。キリスト教は同じ神様を「天の父」と呼びながら、何故、人権差別や教派分裂が生じたのでしょうか。結論は聖書そのものは象徴や比喩で書かれたものであり、イエス様の教えも人間的解釈によって歪めららたからということでした。​
イエス様はニコデモに、もう一度母親の胎に入って生まれなければならないと語られていましたが、イエス様と聖霊による「霊的救い」といっても極めて観念的なものでした。​​イエス様はもちろん「独り子」、実子ですから「天の父」はハッキリしていました。ところが、クリスチャンたちはどうでしたか? 「養子」の立場とも言われていますが「天の父」といっても「ハナニム(一なる方)」ではなく漠然としたものでした。​​
​ところが、お父様の「父子関係」はそれを「ハナニム」(性形の中和体)へと引き上げた言葉です。それを可能にせしめたのが、この地上に初めて誕生した「真の父母」の実在でした。​
アダム・エバが双子の兄妹であったようlに、真の父母様も23歳の年齢差はあっても「父母様一体」の特別宣布の時は一つの血統(ハナニム)から出てきた「一つの母体」「一つの血筋」といった祈祷までされていました。
「お父様最後の祈祷映像と特別宣布式」
https://plaza.rakuten.co.jp/peace3world/diary/201710040000/

​私が考えるには「父子関係」もありますが、それ以上に神様との血統の近さを感じさせてくれるのは「父母」ではないかと思います。​
「天のお父様」といえば、これまでのキリスト教がそうであったように母親がハッキリせず「異母兄弟」や「異父兄弟」もあります。ところが、「真の父母様」「天の父母様」はだれもが同じ父母ということにいます。夫婦であっても同じ(永遠の霊的)父母から生まれた兄妹であり、その子女も同じ「お父様、お母様」です。十代重ねても同じ「天の父母様」からの真の愛・生命・血統まで連結されていきます。
平和も家庭から始まっていきます。

根っこである「中和体」の神様を最も正確に表現する言葉は「天の父母様」であるとは思われませんか?!
peace2020-05-06 22:50:44​​


​5月8日の「天地人真の父の母様 天宙聖婚60周年記念特別集会」でのお母様もメッセージですが、批判・反対される方々の意見を見れば、基元節は「独生女たった一人のゴールイン ? !」「お母様だけがゴールした???」と、お母様がさも自慢げに語られていたかのように捉えているようです。とうごま氏の記事を見ても(こちら)もお母様のみ言を引用しながらも同様でした(赤太字はとうごま氏)。
​​​​●1960年からマラソン。基元節でゴールしたのは「真の母のみ」だった?
1960年、天の父母様が待ち、待ち焦がれた、地上に、地上の摂理を出発することの出来る、1960年3月16日、この日は天の父母様が、真の父母と一つとなる日とならなければなりませんでした。しかし、歴史を通じて見るときに、救援摂理、蕩減復帰摂理は、多くの遅延と失敗の連続でした。特に、再臨主メシア、その方の責任は、キリスト教の基盤を通して、完成しなければならなかったにもかかわらず、そのように出来ない環境の中で、1960年、真の父母は世界に向かってマラソンが始まったのです。絶え間なく世界を抱こうとする努力、言葉に表せない、表現する事の出来ない、血の涙を流す状況でありました。 53年間マラソンは始まり、2013年1月13日、紀元節、ゴールは誰がしましたか?真のお母様のみゴールしました。そこで私は天一国元年を宣言しました。

●お父様は地上で使命を完遂できず。私が地上で責任を果たすという立派な「主管性転倒」の自分勝手な決意。
そして3年間はお父様のために。天の父母様の前に赦しと愛と真の父の生涯は地上がまず先なのです。しかし、そのように出来なかったというのです。それで私は、3年侍墓精誠の期間を持ちました。そして3年後、お父様にこのように言いました。「天の父母様の前に頌栄の対象としてご自由であられて下さい。地上は私が責任を果たします。」そうしましたね。皆さんが今日私と共に息をしているこの瞬間がどれだけ重要でしょうか。今回のコロナによって社会的な距離を置く、そのような運動がありました。みなさんが、今のこの生活が、永遠の天上の天一国の国民としての資格があるのかどうか、検討し努力し反省し悔い改める、出発の責任を完成することを誓う皆さんであることを願っています。そうしますか。​​​​




この一文を見てはお母様が自慢して語られているという方は「狂った人」です。
1960年、真の父母様は世界に向かってマラソンを始められました。ところが、基元節(2013年1月13日)を前に文総裁(お父様)が聖和(逝去)されたために、そのマラソンのゴールを持つことができませんでした。ために、お母様も寂しい心情を吐露された言葉ということです。それに続くお母様の3年間の侍墓精誠の期間を持たれたと続いています。

ところで、基元節(マラソンのゴール)はお二人だけがゴールすべきであったのでしょうか?
基元節を前に元老院の方々を集められれては、天一国入籍の話をされては祝福家庭も入籍する日がその日であるということでした。但し、入籍に際しての責任分担もあり、ゴールにいたりませんでした。「平和の母」として77億人類を抱きたいお母様です。

侍墓精誠は本来は長兄が仕事を辞めてはお墓の近くに小屋を設けて捧げるものということです。その期間、「長子だ」「相続者だ」と主張される息子さん方は何をされておられましたか?
長兄・孝進様でしたらそれをされたでしょうが、2008年に聖和されていましたのでお母様がされていかれたのではなかったでしょうか。

<続き>

ほか、とうごま氏は赤太字でもってこれまでの何ら根拠のない論調を繰り返しては、最後は「亨進氏」ということなのでしょうか?

私からは、サンクチュアリ教会は「不母主義」であり「孤児」であると書いてきました。
ところが、お母様の自叙伝「平和の母」P.180~にも「孤児」の話が出ていてその不思議さを難じた次第です。
​孤児たちを誰が抱くのでしょうか​

わたしはあなたがたを捨てて孤児とはしない。あなたがたのところに帰って来る。(ヨハネによる福音書14章18節)
(​続きは音読映像にて)



このように、サンクチュアリ教会は孤児を代表するような立場ですが、
​父母に侍って生きるとき、すべてを失った孤児の立場から抜け出し、本当の幸せを手にする神様の息子、娘となるのです。​




サンクチュアリ教会の元光言社職員・中村仁史氏のビデオ第4弾も昨日にはUPされていたようです。
「絶対信仰・絶対愛・絶対服従」をメインとしたもので、お母様が2013年1月に「天の父母様」呼称としたほかに家庭盟誓の第八番の「成約時代」から「天一国時代」に変更したことを挙げていました。中村氏曰く、1993年からの成約時代に「絶対信仰・絶対愛・絶対服従」を私たちが果たさなければならなかったのですが、それができなかったので「天一国時代」に変えてはお母様はその罪を隠すため、だとかでした。
まさに、中村氏の危弁としか言いようがありません。家庭盟誓の「成約時代」が「天一国時代」に変更されたとしてもその責任がなくなったわけではありませんから。
加えては、真のお母様も「絶対信仰・絶対愛・絶対服従」の責任を果たされておられないかのような論理展開でもって、サンクチュアリ教会に(霊的に)逝かれた姜賢實女史こそがその勝利者と言わんばかりです。

中村氏が引用している『2000.11.11「父子協助時代」宣布』のみ言については、「真の父母様宣布文サイト」からは以下のように反論していました。詳細は「宣布文サイト」で確認してください。

https://trueparents.jp/?page_id=2569
(2)分派の「父子協助時代」の御言の改ざん
 サンクチュアリ教会の人は「父子協助時代」の御言を悪用して、「摂理の流れから見て、1992年から1999年までは『女性の時代』であり、『真のお母様』を中心とした摂理です。当然、その頃の御言は、真のお母様を「後継者」として言及されたような御言もあります。しかし、2000年からは『父子協助時代』に入りました。
 お父様は、2000年1月5日の御言で、『国家時代を越えて、アボジを中心に連結された時、オモニではありません。これで一つになると、オモニは長子に任せるので父子協助時代になるのです。父子協助時代になると、ここで全て終わるのです』(マルスム選集、314-230)と語っておられ、お母様を中心とする時代は終わり、今や亨進様を中心とする時代が来ている」などと主張します。(注:この部分の翻訳の問題については後述)
 ​しかし、1999年の「九・九節」の御言、および2000年11月11日にハワイで宣布された「父子協助時代」の御言は、お父様が母の国日本を救うための措置として宣布されたもので、お母様について語られたのではありません。​
何度も繰り返しになりますが、元光言社職員・中村仁史氏は翻訳者としてのスキルはあっても「原理観と摂理観」を語るだけの知識は持ち合わせていません。「絶対信仰・絶対愛・絶対服従」そのものの根が神様からであったことも理解していない歪曲解釈です。

冒頭にも転載しましたように、これまでの人類歴史は神様との深い関係を回復しようとしてきたものでした。神様の呼称の変化もまたそのような時代の流れの中でのものであり、キリスト教の曖昧な「天の父」であったものが、1989年9月1日の「天父主義」宣布でもって「絶対神」「絶対父」へと段階が上がり、「天の父母様」は「ワンファミリー・アンダーゴッド」の本来的家庭から理想世界へと拡大していく希望となることを確信させてくれるものと思います。



一休さんのような機知(トンチ)ではありません。

奇知=人とは異なる知恵
すなわち神様の知恵

世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。
↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓

​​​​​​​​​​​​





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2020.05.15 18:42:52
コメント(0) | コメントを書く



© Rakuten Group, Inc.
X