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2021.08.23
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​​​​​​​​​​​​​​​「教会の確立を」

1975年2月14日
日本武道館にて


 メシヤに接木される

 今日こういうふうにして集まったのは、今から新しい計画を成してゆくためにやらなければならない今、日本において歴史的な事を解決しなければならない摂理的な時期に立っているんだから今からそういう内容を話したい、又そのことをやりたいのが先生の思いであります。

 我々は蕩減の道を乗り越えて神の理想世界へとたどって行くのが我々の統一教会の道である。統一教会の行く道であると共に万民の行くべき運命づけられた道である。もしもこの地上でその道を乗り越えられなかった場合は霊界に行って永遠をかけて蕩減を越えなければならない。地上の一生のうちの人生七十年あるいは百年のこの期間において、これを乗り越えたとするならば、永遠の世界、霊界において見たならば、この地上での一瞬はいかに尊いかということです。だからいかなる犠牲を払いましても霊界に行って蕩減するというような運命に立っては絶対にいけないということを我々統一教会のメンバーはよく知っているのであります。

 だから地上にある時にこれを完成蕩減すべき道を見いだすのが、これは最高の堕落した人間としての希望である。もしもそういうような事が成し得るには、それは必ずある本質的な点を通過しなくてはならない。いわゆる神の摂理的な方向に位置してその家庭基準において神が六千年間成し得なかった失敗された全ての事を自分にまとめて、自分にそれを因縁づけ関係もたせて自分がみな蕩減していくような勝利的基盤を満たさない以上は霊界に行ってひっかかるのです。神はそういう難しい蕩減の道を知っておられる。それはこの一時代において、歴史を訪ねて縦的にこれを積み上げてゆくような、そういう段階を通っていかなければならない事をよく知っているのだから、神はそれを人間に一生を通してそれを果たすという事はなかなか難しいという事をよく知っていられて、メシヤを送られたのであります。そのメシヤは個人の代表であり、家庭の代表である。氏族、民族、国家、世界、それは宇宙の万民の全ての人類に対しての代表の標本である。そのメシヤのもっている思想を完全に受け継いで、その後、一致一体となった場合には我々も一度に蕩減される。だから末の時代におきましてメシヤを迎えるという事は最高の人間としての願いである。もしもその者を迎えた場合には、その者と一つになる。一つになった場合には個人的蕩減はもちろん家庭、氏族、民族、国家のそれを一度に、全人類歴史を勝利的に乗り越える事ができる。

 それは如何にしてそういう事ができるかといえば、我々は渋柿みたいなものであります。そのメシヤは甘柿とすれば我々は渋柿である。そうすれば罪が許されるのであってそれを切ってしまって、そのメシヤの根とか枝をもってきて接木した場合にはそれがのびた時甘柿になるのと同じであると言うのです。だから、接木される。接木するには今まで渋柿であった全てを切ってしまう。切るには根本を切らねばならない。根本を切るということは全てを切ってしまうことである。そうすればすっきりして全てを受け入れる。まあこういうような関係を結んで新しい甘柿の価値を受けて生きることができると同じように、我々自体もそういうふうになってくるのです。

 人間自体が蕩減復帰する

 メシヤが来られた場合にはメシヤを中心として接木される。その後の一生涯の全ては個人的完成、氏族・民族・国家・世界的完成の蕩減の内容を満たしてきたのだから、その使命はメシヤの使命ではない。それは自分の使命として平面的に受け入れなければならない。それからメシヤが成される全ての事はメシヤ一人きりにおいての使命ではありません。それは万民共通な使命として名自が成すべき仕事をメシヤが身代わりになってなしてきたという事である。そういうように全てがその希望、目的観において、一つの方向において強められるのであるけれども、この地上では心情問題においても全て一致しなければならない。だから神がメシヤを見た場合の心持ちも、そのメシヤに侍る信者達の心持ちを比較対照してみた場合に、その根本は違った基準からたどって来たんだけど、成して得られる仕事の結果をその枝に喩えればその枝はメシヤと同じようなものにならなければならない。決意することは何かというと同じ仕事、同じ事を成すような結果に立たなければなりません。

 人間が蕩減復帰されたとしても、人間ばかり蕩減復帰されればよいかというとそうではありません。人間が堕落することによって万物自体が嘆きの立場に落ちている。嘆息圏におかれている。人間自体の解放と共に万物解放、万物解放と人間解放をする事によって霊界解放、天使世界解放がなされる。天使長が堕落し、人間が堕落し、万物が堕落した。その三つが一度に堕落することによって神と人間と宇宙が分かれてしまったんだから蕩減復帰原則によって、その責任は人間自体がとらねばならない。そもそも人間自体は主人であり、サタンは天使長であり神の僕であった。結局誰が責任をもつかというと僕が持つのではなくして主人としていた人間自体が損なったのだから、その責任は罪を犯した者が罪を贖わなくてはならない。それは親子関係から見てもいくら親が子供を愛するとしても子供が犯した罪を親が身代わりとして贖う道はありません。それと同じように罪を犯した張本人それ自体が蕩減しなくてはならないのが、もっともの原則である。そういうような立場に立つのが我々人間であった。

 人間自体が神から創造した基準から見た場合には全てを主管する主人であった。その主人が主人として使命を果たせなかったその時も、いつかは完成させる、全て責任をもって損なった部分をなおしておかなければならない、もとかえしておかない以上は使命を果たした基準をもつことは絶対にできません。こういうような関係に我々人間が立っているのであります。だから蕩減復帰するのは人間がしなければいけない。人間を中心として万物、人間を中心として天使長、使命を果たしてその三つが一つになってこそ初めて神の前に立ちかえって元の基準に帰るという基準が認られる。それは原理原則である。こういう目的に向かって今まで数多くの宗教が必要だったのです。

 完成圏の基準

 そうみれば宗教界には神と関係を持とうとしていろいろな連絡をつける儀式があります。特に供え物とかね。祭物を捧げるにおいて、低い宗教では牛や羊等の万物を祭物にして捧げる儀式をやってきている。だからキリスト教をみても旧約時代は物品の祭物時代であった。それによってその万物と人が一つになる。共にその運命を伴ってゆくという立場に立ったのだから人間がある段階に上るにおいてその反面には蕩減の犠牲を払ってきた、それが祭物なのです。だから血を流すようなことを成してきたのです。旧約時代が終わると新約時代となる。新約時代には物の犠牲の段階ではなくして人の犠牲に入り、そこでイエス様自体が十字架につけられた。十字架につけられたイエス様の心底を信じられるキリスト教において、血を流しつつ歴史において蕩減の道をたどってきたというのはいかなる宗教にもありません。キリスト教にだけある、そういう路程を通ってきた。新約時代が拡大することによって個人的、家庭的、氏族的、民族的基準を越えて世界的蕩減基準を成すようになってから、キリスト教的世界文化圏が生まれ、それを中心として民主主義国家政体が生まれる。その時より、その国家基準が世界基準においてそういう犠牲は払わなくてもよいと、そういうふうに発展してきたのであります。

 そして末の時期になれば再臨の主が来られるという予言は、これはキリスト教におきましては新郎新婦が共に一つになる。その新郎新婦圏になれば、夫婦共にこの蕩減の道の峠を越えて行かなければならない。これは我々原理から言えば完成圏である。完成圏の基準を責任をもって出発するのが成約時代である。成約時代の行くべき道はいかなる道かといえば、その完成されたアダムを中心としてエバをサタンより捜して勝利的基盤をつくった基台の上に新しい夫婦による新しい家庭編成をなして、それからその家庭を中心として横的に家庭的段階を世界的にひろげる、そういう使命を果たすのが成約時代である。だから成約時代においてまだサタン圏を乗り越えていない以上はその夫婦として父母としての十字架の道が残っている。そればかりではなくしてそれに子供があった場合には家庭的十字架の道、家庭的蕩減の道を行かなければならないそういう基準がある。堕落はどこから始まったかというと夫婦を中心として家庭基準から堕ちてきた。だからこれを中心として完成基準は家庭より上がって行くべき基準であるにもかかわらず堕落家庭によって長成期完成基準より下がってきたのが堕落だからそれをもとかえしするにはアダム、エバの身代わり者として来られる再臨の主と、いわゆる新郎と新婦が一つになる家庭をつくって、そこから直接その再臨の主を中心としての蕩減の完成圏を乗り越えるその期間があるのです。それが統一教会から言えば二十一年間である。ほんとうは七年間でこれを通るべきその期間であった。だけれども、それが韓国を中心としてそれを地上の相対的基準を神の方にゆずらなかった。それを七年の期間を三倍して蘇生、長成、完成期に来てこれを再びおさめていっているのが我々統一教会の第一次七年路程、それから第二次七年路程、第三次七年路程としてこういうふうにまとめてゆくのです。ほんとうは七年間でこれをやるのです。わかりましたね。(ハイ)

 それは家庭を中心として十字架の道を行く。家庭を中心として完成圏以下の原理結果主管圏、その九段階圏をまだまだ乗り越えていないから家庭自体がそれを乗り越えると共に、それが氏族を乗り越えながら氏族が民族を乗り越え、民族が国家を乗り越えてゆく。それはイエス様が夫婦を中心としてこの地上に神の国を求めて完成基準に国家をあげて、世界的なその統一原理を求めることを願ったその基準がなし得られなかった。そればかりではなく、イエス様が死んでいった。だからそのすべてを蕩減して解放圏を霊肉共につくらなければそれは完成圏の道を入ることができない。その基準を再び我々はとりかえして蕩減したものが、今現実の状態なのです。わかりました?(ハイ)

 神の国の民族

 だから先生が世界的先頭に立ってこういうことをやるのは、あるいはアメリカを中心として日本の地までこのようなことをやるのは何故かといえば、世界的開拓の先頭に立つためである。何故そういうことをするかといえば、先生一個人の一人の使命を果たすためじゃない。万民の使命の身代わりをその使命としてその基台をつくることによってその基台の上に君達、万民は恵沢を受けることになる。だからその真の父母を中心とする家庭が十字架を背負って蕩減の基台をつくったならば、君達の祝福された家庭はその家庭に接木されて家庭完成基準が生まれることになる。それをこういうふうにして氏族編成をなしていかなくてはならないのが我々統一教会の合同結婚式だね。統一教会の合同結婚式の結果によってどういう基盤がつくられるかというと統一氏族編成がある。それを拡大することによって統一民族の編成。今年中において二十カ国が加担したということは世界いずこのところにも五大州いかなるところにおいても統一教会の基盤をもつことができる。これは国が動員しても滅ぼすことができません。世界が動員して世界自体が滅んでいかない以上はもう統一教会は滅ぼすことができません。

 こういうような横的の世界的超民族性を基盤として結ぶいわゆる新しい民族編成をなす事が、それは統一教会の合同結婚式によってなされる。わかりました?(ハイ) こういうふうに我々はやってきた。将来におきましてはそれは一人ずつそれは一つのところにおいて結婚式をなしてゆくんだけど、将来はテレビを装置して、もしも先生がアメリカにいるとすればアメリカのテレビ会社でスーッと大衆の壇上に立って日本と中継する。世界各国の若者達を一度でテレビでもって祝福するね。(拍手) 数万、数千双を、数千双はもうやったんだから数万、数十万、数百万双をいっぺんにやることになれば、それは統一教会は小さい民族どころじゃないよ、大きい民族編成を一度に可能ならしめる。もしも統一教会のメンバーが一億以上あったとするならばね、世界にあるとするならば、さあ一億以上の統一教会は大移動しよう。イスラエルの国に帰るんだ。イスラエル民族は必ずサタン世界から大移動をなさなければ本国いわゆる天国に帰れませんというのがそれは原理だからね。歴史の発展の基盤はいつの時代においてもそれは移動する動きにおいて革命的発展をなしてきたのが歴史的事実である。だからユダヤ人もエジプトの地からカナンの地に大移動をなしてきた。キリスト教もそうだ。アメリカという国もヨーロッパの宗教である旧教の反対に追われていった新教のピューリタン達が大移動して結集された国である。それからユダヤ人も世界に散らばったものが大移動してひとところに集まったのが新しいイスラエル国となって、そこがいつも世界の問題になってくるんだね。大移動するところに神は新しいことをなしてきた。

 こう見た場合に今統一教会の今度の合同結婚式において結婚も大移動したね。大移動、それが個人的大移動を越えて民族的大移動圏をなし得たとするならば世界は一つの世界になる。だからもしも一億以上の統一教会のメンバーがあったとするならば先生が死んでしまえば問題は別だけどね、先生が生きていてボタンを押して命令するならば、世界各国に散らばっているその一億民族は日本に集結する。それは大移動して飛んで来る。来ます?(ハイ) 確実に飛んで来るようになる。

 もしも落ちた場合には地獄に行く。エジプトの地におきましてイスラエル民族がカナンの地に帰る時、イスラエル民族を通してそれは生命をかけて自分の同胞に伝達しない者は滅びる、神に罰せられるという原則がある。祖国に帰るというような命令において、それは応じない者は罰せられる。永遠のいわゆるその後悔基準として残るということを各自が知っているから日本に一億以上の統一教会集結という場合には、一億はただちにそれは帰るだろう。そうしたら一億人を一億大結婚するといった場合には何日で伝道できると思う? それはもう一週間ぐらい。これはもうにぎったまま一週間離さない。君が死ぬか我が死ぬかという場合、それをやればそれは解決する。そういうことも考えるんだね。

 だから個人的移動において家庭をもつと共に、我々は団体的民族的大移動をしてそうして合同結婚式をなしたとするならば、その者達は神の国の民族になるのだからそれは家庭共に増えてゆく。民族の復帰ということはそれはもう決まりきったことになるんだね。こういうふうにして超民族圏、一つの文化圏を拡大してゆく者達が統一教会の者達である。

 理想的結婚式

 だから統一教会に入る者はどういう者が入るか。イスラエル民族においては第二世がカナンの地に入ったと同じように、第一世であるキリスト教は反対した。神の御旨に従っていかなければそのキリスト教は荒野で倒れる第一民族と同じようになるであろう。第二世であるキリスト教の信者達の子供達は必ず統一教会に入る。(拍手) だから第二世が希望、二世に神は関与してるんだね。だから皆全ての者は年寄り時代じゃなくて青春時代、皆バリバリ二十代のそれはもう勇気咲き盛りのメンバー達が統一教会のメンバーとなる。これは天的原理原則にそうようになっておるからそれに相応した者として集まってくる。だから自然と若い者でなければならないことになるのは当然の話であるというんだね。だから皆若いだろう。 (ハイ) 皆若い。

 今からもっともっと若い者がたくさん入って来ると思う。それで何をやるか。

 今度の合同結婚式が日本においては非常に問題になったけど、問題になることは統一教会に対して宣伝してくれたと先生は思う。(拍手) なぜかというと合同結婚式は悪いと思われたけど、今度すぐそれは記録映画をつくるように命令しているよ。つくった場合にはもう皆結婚した者はそれは八百双以上あれば、八百本を各自買え。それは先生がつくってやればいいんだけどね。そうなったら皆独立性が無くなっちゃうから各自が買う。買ったら映画一本ずつかかえてどこ行くかというと、どこ行くの? 自分の故郷に帰って、お母ちゃん、お父ちゃん、親戚来い来い。(笑い) これはもうこういうこと言わなくても皆見たがるよ。それに関心を持っておるからもう集会みたいに皆集まれ。広告出してもそれは子供までも這って入って来る。(笑い) 幼稚園の子供もヨチヨチ歩きの子も連れてこい。お母さんのおっぱいを飲んでおる子供までも入る。だから大宣伝になるだろう。それ見た場合には、まして自分の子がスクリーンに出た場合にはこれはもう驚くどころじゃない。目玉が飛び出る。(笑い)

 そういう内容になっているんだよ。君達のその日本のテレビなんかを見たら、それは皆反対するものだからいい場面は皆ぬいて悪い場面だけ入っているから、それはそういうように荘厳ではなかったかもしれない。それは実にりっぱに映画つくってスクリーンに出した場合には、これは若い者として結婚するならば理想的結婚式は統一教会の合同結婚式とこう結論しなければならない。(拍手)

 この世の結婚式で一双の鳩みたいに二人でウェディングマーチ、音楽入れてヨチヨチ歩くその姿はこれはまあみすぼらしいよ。これはもう思っただけでも気持が悪いね。そう考えてみた場合これは将来合同結婚式しない者はこれはブチまけて話をすることもできなければ、それは子供を生んでも恥ずかしく思うようになるかもしれないよ。(拍手)

 そういう意味においてここに父母さん達が参席しているかもしれません。何も知らないで反対したその親達は今から何年後にこのような場に出て来るか。君達の子供を統一教会に入れたためにあんた達が反対父母の父母として合同結婚式に反対した、その親達の子もいる。皆周囲でもってこれはもう指でさしながらもう責める時が来るだろう。もしそうならなければ、先生がそうする。(拍手) それから将来そういう希望をもっている男、乙女達はね、童貞、乙女達はそういう気持になってこれはいいと言うんだね。そういうようなすばらしい時が、私の一生であるという夢をもってもよろしい。(拍手)

 第三次七年路程をむかえて

 こういうふうにして、我々は神の前において理想的な立場において祝福される。そうして祝福されるその立場というのは完全な愛、完全な愛となる。これはすばらしいことである。歴史的そのうらみであった蕩減の路程、サタンの讒訴圏に追われ、つつまれてサタンのくさりにしばられた立場である。あらゆる人間が手、両足、あるいは一身全てその環境全てがサタン圏に包囲されたその基台を完全に崩壊してゆく。そればかりかこれは神の前においてはずかしかった自分が神の前に堂々と立ち得る。神の権能を受け維ぐような子女になり得る。そして神が讃える。ああ蕩減復帰の道がいかばかりむずかしかったかその基準をよくも逆に蕩減して上ってきたすばらしい男、女よ、と神は讃える。讃えるばかりでなくして神の子女としてそれは抱擁して愛される立場に立ちかえるということは、人間一生にしてこれ以上のその喜びはないんだね。その道をむかって行っているのが統一教会である。それが君達三年間だよ。三年間にできるんだね。その蕩減完成基準が三年間でできる。それは祝福されるまで三年間、三人の伝道とか御旨に公的三年間なしたとするならば祝福されるということを君達はもうそれを平気で語っているかもしれない。だけどその期間が期間として正されるのはその背後にいかばかりの蕩減の犠牲の量をはらっているか、それを我々は考えなければなりません。そこには旧約時代の犠牲、新約時代の犠牲、成約時代のすべての犠牲を総まとめにして勝利的一人の核心を身代わりとしてつながせたその勝利圏を成している。それがアダムの失敗をイエス様によって、イエス様の失敗を再臨の主によって三代アダムの失敗圏を勝利的基準に皆解放し得るそういう基盤に自分なりに参席することができるというのが祝福の道である。これは大変なことだよ。

 こう考えてみた場合に今度日本から韓国に行って八百双にのぼる若者達が祝福されたが、これは一九七五年度の今からの第三次七年路程におきまして最初に誰よりもそれは祝福されたんだね。だから祝福された者はそれをもらったものは授けなければならない立場に立っているのはもちろんである。それで今度祝福された家庭達は祝福献金というものをしたでしょう。祝福献金ね、これは献金は自分の為にするのではない。一九七五年から今から三年期間におきましては韓国と日本とアメリカの三カ国が世界基準におきまして恥ずかしくない内外その基盤をつくらなければならない。それで先生は今から三年前から準備してきました。

 韓国における今までの青波洞にある本部は、これはみすぼらしいものだね。崩れかかった昔の日本式家屋だ。皆は言う、統一教会の文という男は金をたくさん持っておるんだから、あー、いい家に泊まっておるだろう。それはいくら研究してもわからないんだね。

 それは時がまだたっていなかった、時がたっていなかった、しかし三年前から準備したのはその基準は第二次七年路程を通過し第三次七年路程をむかえるその期間はまさしくイスラエル民族におきましてイエス様が三年路程の準備されるその期間と等しくその三年期間において勝利の基台をつくって国家基準を乗り越え得るかというような期間にあたるのだから、その期間に国家基準を乗り越え得たとするならば、そこからは神の国としてイエス様を中心として教会を建てる、新しい方向を提示することができる。だけど、まだまだ蕩減の期限を乗り越えていない立場においてはそれをなすことができませんでした。それでとうとう一九七二年度に韓国において国家国民において我々の及ぼした影響が霊肉共に全てが我々の方向に歩調をあわせて来なければならない。そういう環境をつくってこそはじめてユダヤ教、イスラエル民族を中心として見た場合にはユダヤ教が反対しない、あるいはイスラエル民族が反対しない立場でイエス様の方向にそれは従うようなそういう方向を提示した基準と同じようになれば、そこにおいて外的に天的威信を正すそういうようなことを成し得ることができる。それで内外共のそういう準備をせざるをえなかった。それで今は三年間の準備、それで我々は霊的精神的分野ばかりではなくして、あるいは内的分野までもそれを兼ねて準備しなければならない。イエス様を中心として見た場合には霊的キリスト教、実体的キリスト教理想を残しているということを考えてみた場合に我々は霊的期間の準備と共に外的肉的準備期間も完了しなければならない。霊的基盤の準備期間はそれはその以前までそれが肉的準備期間を三年間に共に終えて一つの基準に勝利基台としてこれを固めておかなければならないから霊肉共の勝利基台をつくる。その限界において全ての外的基準が完備されなければならない。それを先生は一九七二年まで統一教会では韓国におきましては金の事を考えるな、外的なものの一切を犠牲にする、内的な精神的基盤を強固に国家的基盤をつくらなければならない。こういうふうに命令してきたのです。

 勝利的信念

 しかし先生一人におきましては、外的基準を必ず必要とすることを知っているから、食口達には内的準備を強調しながら先生は外的な準備をなしてきました。先生は一段階先に立っていかなくてはならない。それに一九七二年になる時に、さあ今からこれが必要だと決めて今から四年前に再び出発し、四年間期間において統一教会は百万長者のレッテルがつくようになりました。(拍手) それで普通の団体、普通の人が一生かけて何百年を費やしてもできないようなことをたった四年でやってしまったのだね。(拍手) それで韓国におきましては統一教会は今まで苦労してきたのだけど、でも今は苦労しないで住めるような基盤をつくりました。

 それで今度第二次七年路程が終わると共にただちに全国に教会を建設しよう。(拍手) それにふさわしいその金を投資しよう。四月までに韓国には新しい統一教会が建てられるだろう。今までには貸家においてた荷物を背おって、ほうぼうみすぼらしいかわいそうな姿で行ったり来たりした者が一躍、一日において、一二〇日間において堂々たる威勢堂々と威風をふるうような教会を持つということは、これはもうそれこそ統一教会の底力を認めざるを得ない。(拍手) そういう基準が韓国にも建てられるようになる。

 今度は先生がいよいよ日本に手をつけなくてはならない。ずーっと三年前から先生が言ったように第二次七年路程が終わった場合にはその時は日本に手をつけるというような時がまさしく今になってきました。それが今年の四月以降です(拍手)。 それで四月以降において日本の国を内的に君達が苦労してきた信仰精神をもって全てを総括させる。後退する者ではなくして、その克服をし勝利的な信念をもってゆけ。いろいろ花売りをしたりカンパをしたり、ほうぼうでいろいろなうわさを残してきたそれはいい。人間というものはその実力をもたなければならない。その実力のみならず実績をもった者には天下に恐ろしいものはありません。我々もそれを願っている。それで我々は精神的持ち主で堂々たるいかなる悪の世界においても勝たなければならない。そういう精神的持ち主になりました。いかなる共産党が悪辣と言ってもその共産党一人ひとりに負けないそういうような精神的持ち主、人格者になりました。それから人々が外交におきまして交渉するように、人間関係におきましても誰にも負けないような訓練をしました。それからそれは経済問題において誰一人援助しなくても一人ぽっちでも自分が必要とする経済力は自分同志で解決するよう訓練してきました。その追いに追われながら活動した結果を見てみると、手にもったもの、着たもの、身体につけたものはみすぼらしいそれはやせたような体格をしておるけれども、誰も占領することのできない精神的持ち主となったし、それからこれまでの体験から見た場合に必ず社会においていかなる者に対してもつきあえるその能力をもつようになった。これは独自的に経済問題は自分で解決するようなそういう皆さんになったというのは、これは将来一軒をかかえて生活するにいかなる社会のまっただ中に押しこんでも、それは皆に引っぱられていくような支配されていくような者ではなくして、指導すべき、中心的資格を成し得るような者になったというのは、未来の統一教会の繁栄の基台になるというのは先生の思ったとおりである(拍手)。

 統一教会の威信

 こう考えてみた場合に我々日本にいる若い青年達、いろいろなことをやってきた。あるいは学者を招きあるいは事業家を招き政治家につきあい、あるいは労働者あるいは貧民窟まで我々は奔走しながら回ってきた。なぜこういうふうにしたか。日本を動かす為に、日本を救う為に、ここまでやってきた。その訓練されたすべてを総動員して、今ひとつに四方八方に散らばらせて活動するそういう方法をやめて、一方的に集中工作した場合にはこれは偉大な力を出せるにちがいない。そういうふうに考えるのであります。わかりました? 君達自体がそういうふうな立場に立っています。立っています? (ハイ) 立っています? (ハイ) だから頼もしい。日本全国から見た場合に統一教会のこの若者の族{やから}みたいな者をもった団体は我々以外にあると思いますか? あると思う? (ありません) 統一教会以外に無い。だから今から日本が混乱期に入れば入るほど、我々の権威と我々の威信が表われるようになってくる。地震が起こって皆崩れた場合には、鉄柱が立っているとすればそれだけ残るだろうね。地が皆ポロポロ落ちていった場合に、それに皆かかって組み打ちを始める。そういうことが起こると同じく、日本が混乱期になればなるほど統一教会は浮きあがってくるだろう。(拍手) その時になってこそはじめて「あー統一教会救ってちょうだい」、「救ってください」必ずそうなってくる。

 韓国においてもそうだ。統一教会の文さんという、文先生という男は皆この世の中に迫害され、皆論争の対象となって、当てにならない男として沼地に落ちこんだもののように扱ってきたんだけど、今度バンケットに招いたというんだね。

 一月十六日に、全ての者を皆集めて先生は四十五分話しました。その四十五分に皆参ってしまった。あー別れるんじゃなかった。(拍手) まさしくそういう者である。そういう先生とは、そういう御方であったとは知りませんでした。(拍手)世の中のいろんな事を言う者は実にこれは当てにならないのだね。昔はそういう人に先生が「一度会ってみましょう」と言えば轡{くつわ}をくくって逃げるような者達であったのが、先生自体が何もしないのに、今度はあー文先生会ってちょうだい。電話をしてきて、時間がありませんと言えば時間なければちょっとでいいから出してください。こういうような事を言う。世の中は変わってきますね(拍手)。 反対されれば、一発でもってそういう結果をもたらすというのはこれはすばらしい。君達もそういうふうに考えてやれよ。(ハイ) 反対する者よ、君の力あるだけ反対してもいい。しかしある時に一発打てば、こっぱみじんになるね。姿も影もなくなってしまう。そういうことがある。これは個人ばかりではない。ある団体にそういう働きをかける。団体ばかりでなく、その国にそういうように働きかけることができる。それで今度もそうだろう。大韓民国がニューヨークでUNその他において問題になった時、先生が手を挙げて大韓民国を救ってやったよ。今になってそれ夢にもわからなかった。その勝利の背後には文先生がいる。おもしろいもんだね。知らないうちにやってしまって、あとでわかる。

 日本もそうだろう。統一教会の文さん、あの奴めとね。酒を飲みながら、あーおかしい宗教団体が生まれてきたってね。あれは合同結婚式とかなんとか世を騒がしている、そういう団体だ。それは文鮮明という人がやっている。……酒を飲みながらいい気になってそうブツブツ言う者がいるであろう。しかし彼等の口によってブツブツ言われて流れていくような文さんじゃありません。(拍手) そういうような結果になれば、かえって作戦上有利だというのだね。先生びくともしないよ。ありがたいもんだ。韓国では反対があるからいいんだ。今から打たれてそれから起きあがって認めるようになった場合には、その認めたその時には天が一度に平定する。しかしそう打たれないで認めたものが一度打たれたら一ぺんで倒れてしまうよ。今統一教会文先生が街頭で作戦行動したとするならば、そういうことはもう平気でやる。一日もそれ気にとめないよ、あまりにもいろいろと責められたんだから。かえって大きいことをなすに作戦上、それは必要だ。わかりました? (ハイ) いくら悪いことを言ってもそれ以上言うことがないという、そういうことを何十年も言われてきたんだから。打つ者は打つんだけど、打たるる者はそれを利用して逆に包囲してしまう作戦をなそうというのが統一教会の文先生の戦法だね。(拍手) だから韓国自体が先生を打ってその戦法にまかれた。日本自体もそうだ。日本自体も先生の戦法にまかれるのだろう。いい気な東京新聞とかなに朝日新聞、先生が打つときには木っ端微塵になる。(拍手) 東京新聞とかは相手になりません。もしも先生が命令した場合に今から百三十カ国から金が入る、考えてみな、日本内において堂々と言うであろう我々は、世界中に立って堂々と基盤をつくる。

 やるんだったらやる。いつかやる。もしも先生が命令したら、統一教会の若者は何事でもできる。そうだろう。(ハイ) 悪い者で共産党の責任者みたいな行動はしないから安心であるが、もしもこれが暴力団の背後関係の内容があったとするならば大変な凄い団体だね。(笑い) もしも統一教会の先生が共産党みたいに主を慕う方法を講じないという立場に立ったとしたら、これは大変な者になるであろう。そういう面ではまあ安心していいですよ。(笑い・拍手)

 神の為に生きる

 今はまあ結婚もするようになったね。国を越えてそれは結婚式を挙げるようになったね。そうだろ。外国で結婚式に出る新郎新婦達がいいもの着たいの、悪いもの着たいの? (いいものです) 外だけいいもの着たいの? 中はどうでもいい? 中をもっときれいにいいもの着なければ困ることがあるね。外よりも中をきれいに中をいいものに、内外共に備えなければならない立場に立つのが、新郎新婦が式場に立ってそれは初夜の一晩をむかえる主人の立つ立場であるんだね。だから内外共にきれいなりっぱなものを着たいというのは誰でも同じだ。そうでしょう。そうでない者は殺してしまえ。(笑い) そういう者が一人もいないから殺す者が無いんだね。(笑い) それから結婚式を挙げたあとにはそのままそれを脱いでしまって統一教会はどこへ行くの? 戦場に行くことになるよ、皆戦場に。戦場に行って何するや。死んでしまうの。金儲けてくるの。我々は、他からの助けを願わない、我々独自のこのこぶしでもって勝つ。我々の基台は我々共にやる。二人一体となって共に基台をつくってゆく、そういう精神だね。

 今から我々は善なる先祖になるんだ。善なる後孫に残すものを今から研究しなければならない。そういう子孫をもったらこれはえらい子孫だね。それは金を儲けるんだったら儲ける。金より精神訓練、精神訓練を成して外的な肉体訓練、精神肉体訓練を成してからその次に金が必要なのがこの宇宙の原則です。金に売られてゆくような、そういう肉身もったそういう精神もった者は統一教会には必要ではありません。

 わかりました? (ハイ) 精神的再訓練。なぜかと言うと過去においては地方で一人で自由に往来できた。今においては相対者がうまれてきた。コブが一つついておる。だから昔と違うんだから昔の精神基準ではたらない。昔の肉体外的基準ではたらない。それ以上の二人共にかかわって内外共の精神武装を完成してりっぱな人格になってから共に一つになって子供を生んでそうして子供が幸福になる。そういうような善なる生活で新しく教育してこの世の為に尽くせるようなそういう子供を教育して育てる、そうするには準備が必要である。だから共に結婚式を挙げて家を買って幸福な夢みたいな生活をする? それに文句を言わないで、それが人間として当然行くべき道だと思うようになった者がそれは統一教会の若い者達である。先生がこれはもうからっぽで何もしないで、自分は遊びながら自分ばかりの利益を稼ぐ為にそうさせてやるんだったら、これはもう大反撃、大暴動が起こるね。デモが毎日続くはずだよ。統一教会の先生は君達よりもやってきたよ。この四、五日間、アジアでのこの期間においてたくさんのことをやったね。これはもう世界が驚くようなことをやったね。それ以上やってきた。共にそれやっているのは先生一人の為や自分の為じゃない。みんな皆の為にやっているということを良く知っている。

 さあいよいよこう考えてみた場合には我々自体はね、訓練途上に立つんだけれども今まで内外的においてみすぼらしい姿だった統一教会はその姿勢を整えて堂々たる準備をなしたその実体者にならなければならない。こういう時期に入ってきました。だから我々は自分が家をもつ場合に神様と出会う家を造ろうというのが統一教会の精神だね。わかりました? (ハイ) 昔そうだろう、昔、アメリカがアメリカとして神の祝福を受けるようになった大本の原因は何かというと、神様を中心として信仰の為にアメリカ大陸に集ってきたピューリタン達は金を儲けても、あるいは裕福な基台がつくられても、自分の家を造ろうという思いをもった者はいなかったのです。最初にはね、金を一銭二銭集めては何するかといえば、神様と共に出会う教会を建てようという精神に先立ったのであります。それは国の為に国を憂うる立場に立った場合には、それを自分の憂いと共にアメリカと共に教会が滅びるということになったんだから、神の為に生きようとする国民性のアメリカ人が教会と神を尊重するということは、その国を守るということであり、信仰を第一主義にしてきたアメリカは名実共に世界的祝福を神から受けるようになったのです。

 神様もそう言ったとするならばそういう者を祝福せざるをえません。それと同じように統一教会は大移動して何も持っていない群れである。その群れが日本列島にこれだけの数を越えた以上は我々は何を造るべきという場合には、まずもって自分の家を造る前に神様と出会い、万民の精神的教育の土壌である教会を造るべきだというのは尤もな話なのであります。わかります? (拍手)

 それで先生が松濤町の日本統一教会の本部にいつも泊まっているんだけどね、見た場合には天井のペンキがみな剥げて、さかさまになって今にも落ちるようになっている。(笑い) ああ、統一教会の運命よ、そう思うんだね。外郭にしても内にしても何のその、それはもう関心をもつべきものも何も無いようにみすぼらしくなってしまった。それを見て、あー、先生が責任ある、この家が倒れるまで愛してやる。このようにしてそこに泊まっているんだね。前はそういうような立場だったけど今から一九七五年、今年になってはこれは本部を主として全国地区、あるいは県庁所在地に堂々たる統一教会を建設しなくてはならない。それを先生は決意したのです。決定したのであります。(拍手)

 信仰で決意を

 それから我々はもう統一精神をもっておるんだね。統一式はすばやく、完全に成す。伝統的精神をもっておる統一教会の犠牲精神だから、君達も先生も同じだね。先生がそうだから、もう年は若いんだけども君達は先生に似ておるんだから、君達もすばやく、それからりっぱなものを造る。だから短期間にりっぱな教会を造ること、そういうふうに決意しなければ我々世界統一教会の面子上、威信上これはあわないよね。それで一九七五年の一年間に日本の地区本部まで全てきれいに掃除してしまおう。(拍手) きれいに掃除して消えてしまうと言うんだね。

 アメリカにおいて金儲けするのも先生がしたよ。日本もそうだよ。先生が手を貸してやらなければ君達は若い者だから金がまあまあポケットに入ったら一日で皆使ってしまうよ、一銭も残りません。(笑) 監督指導しなければなりません。それいいの悪いの? (いいです) 一年間にこういうことをやってしまわなきゃならないように幹部会議によって通告し先生自体は神に祈りましたから、これはいかなることがあっても一年間になしとげなければならないことになっている。

 こう考えてみた場合に、我々は完成人だと思う場合にはそれは堕落しないアダム、エバの立場にかえり立つ。アダム、エバの前に立つというものはそれは結局どういう立場かと言うと、万物を主管し得るそういう者になるという話だね。だから全ての者はアダムによって名づけられるとおりになるという聖書のことばがあるんだね。それと同じように、先生がそう成したのは日本においてこれだけのことを主管し得る秩序があるから。それはまずもって信仰でもってである。それだけの経済的その基準をなそうとするなら必ずなされる!

 まずもって決意がいる。まずもって信念を、信念をもたないところにそれは生命がけでやることはできません。まずなるようになっている。なるようになっているのだけれど、ならないのはなさないからである。林子平の言ったように為せば成る為さねば成らぬ。成らぬは人の為さぬなりけり、とね。結局そういう信心でなせばなる。そういう信念が必要です。どうです。信念どうです。なせばなる?

 (ハイ) もしもならなかったらどうする。舌を取ってしまうの。そうですと言ったその舌をこのやろう君はうそついた、切ってしまう? 先生とむかいあって話したこの目玉をカーッとぬいて取ってしまう? 自信ある? あるかないか。(ハイ) それには自信ないようだね。顔や答えがはっきりしていない。あるの、ないの。(ハイ) そういう自信ある者は手をあげて誓う。(ハイ) 皆手をあげたの。もしもなさない者は両手を切ってしまえ。考えてみなよ、いかに真剣になるか、生命をかけてやる者には恐ろしいほどの神はそういう立場を喜ぶ。
 ヘイヘイブンブンは神様は大好き? 嫌い? (嫌い) 大好き (嫌い) 大好きだよ (嫌い)…先生負けた。(拍手)

 神を喜ばせる者

 神様はそうだよ。創造の力をもっている者をね。神様は金が必要なの? いくらでもある。何も必要なものはない。たった一人の、誰よりも愛する決意もったその一人を求めている。わかりました? (ハイ) 神の愛に結ばれてその愛の為に全てを捧ぐるいかなる苦労の信念をもったその男、女一人を必要とする。我を必要とする。それが成せたとするならば金はいくらでもあるというんだね。金はいくらでもあるよ。万物全てが関係を結ぶ。だから奇蹟をおこすことができる。わかりました? (ハイ) 神はそういう信念を必要とする。指先までこれはもう信念が満ちるようにしてあふれるようになれば、これはもうつらい事あれども倒れずにね、そうなれば君達はりっぱな人格者になるでありましょう。サタン自体も統一教会の若者の姿は感心だと感動せざるをえません。

 どっちがいい? 神様にまあまあ疑わせる、憂いを向けるようなそういう者になるの、神様を喜ばせるものになるの。(喜ばせるものです) 喜ばせる者になるんだね。(ハイ)

 ハイと言えば英語で言えばこれは高いということばだね。日本人が一番ハイハイ言うから高くなろう高くなろうと言う。背はちいさいんだけどね。それはなにもそういうように高くないんだけど、今統一教会においては世界で一番高いのは日本だね。そうだろう。(歓声) この為に日本人がよくもハイハイと準備してきたものだね。先生そう思うよ。(笑い)

 さあ、そうなった場合にはアメリカ人にピューリタンに負ける統一教会の群れになってはいけません。一銭一文を集めた場合にはそれは世界一のそのすばらしい教会堂建てて余ったものはそれを昼めしのお金とするんじゃなくして献金箱にすばやくすべてを捧げ、感謝の祈りをして何一銭ももたないでその教会の門を出る時のうれしさ。考えてみな。何も持ってないけど天下はすべて我々のもの、自分の足の下に入れるような立場があるよ。

 さあ、そういうことやってみたいの? それがいいものだったらいいの、悪いものだったらいいの? (いいものです) どのくらいいいもの? 東京駅の丸ビル以上? 丸ビルはちっちゃいよね。ちっちゃいんだ。あまり大きいのをつくる? それ以上あまり大きくつくったら掃除するの大変だから。(笑い) 神様に許しを受けて小さいのでかんべんしてもらう。それはいいんだけどもともと御意{こころ}は丸ビルの何十倍でつくるというんだね。内的摂理は丸ビルにまさるような何倍にもまさるようなそういうりっぱなところをつくりたい、そういう思いをもって行かなければなりません。皆、そうです? (ハイ)

 君達は帯をしめるんだったらゆるくしめ! それがいいだろ? (ちがいます) 帯をしめるんだったらなに? (強く) 走るんだったら小さく短く走るの? 大きく (拍手) はやくすばやく。献金するんだったら? 献金はちょっと待て。それは一番ちっちゃく、ちっちゃく? 大きく、大きく一線を引いたように大きく、丸くてまんまる球みたいに大きく、そういうようなものみたいにね。我々が今いる武道館、武道という名前は何だ? (日本古来の) 日本古来の何だ? 訓練をするところだね。その日本伝統の武道館においてそれにまさる天的武道精神を発揮して、勝利的献金をなす。今日はそういう思いで君達を集合するようにしました。それは先生は一銭も使いません。それは日本の為に。いつ統一教会が日本の為に献金してこの民族があがめられるような教会をもったことがあるや。ない。

 日本を救う為に

 我々は日本の為に廃品回収からいろいろなことをしてきたね。それ自分の威信もすててね。大学卒業して、東大卒業して学位をもった者達がね、花束をかかえてそれは街頭において花を売る。花売り男があるの? 花売り乙女だよね。花売り女という言葉はあるけど花売り男聞いたことある? (笑い) 聞いたことないだろう。しかしこれ聞いたことなくして見たことがあるんだ。それはどこにあった。自分達。総理大臣を夢見て東大を卒業した者がただの花売り女の身代りになるって? 内的はずかしさ。外的はずかしさ。日本的はずかしさ。しかし喜んでこういうことをしなければ日本が救われない。これは日本の将来がない。新しい国を祝して新しい民族をつくる場合でなければ日本の希望がないからこういうことになるんだという、そういう思いをかけて来たのが我々である。(拍手) 今までたくさんの金をもうけたくさん流してしまった。太平洋の横断して学生東大生百二十名招聘とかね。いろいろなことをやってる。もしもそれを統一教会員の為に使ったとするならば、それはもう教会はすでに準備してあまる金だ。あるいはアジアにおいて韓国、それは台湾、アジアの国々にいろんなことを我々は一つの団体で手が及ばないほどの出費をなしてきた。日本の為アジアの為誰かがしなければならない。神はそれを誰かに願っている。誰かの国がなすべきを願っているにもかかわらず、その国がないからその願っている我々はこれ出血の支出をしてもこれをやらなければならない御意とその期待を神に向けそういう使命感をもって今までやってきた。そして内外共に我々のやっているのはそういう頼もしいそういう認定を受けるようになってきた。我々の体はマア弱っておるしね、環境にかこまれてもうこれ以上行かれないような立場に立ったとしても、神を信じて我々は再び決意を固めて弱い体でももう一度決意を固めて一九七五年において外的その準備の為に総動員しなければならない。そういう選択の時期に接しているということを我々は身心共に体恤しながら活動を広めてゆきたいのが今からの日本の活動であります。

 それでまず第一にそれは教会を確立しよう。わかります? (ハイ) 今日先生はどのくらいの献金を願うか先生はそれを検討してるよ。その検討額を言ってやろうかな。言ってやろうかな。(ハイ) 言わないほうがいいな。(言ったほうがいいです) それ献金が先生が内心で考えているその金額より以上になった場合にはああー日本によったら良かった。飛行機が羽田空港でおりてジャンボに乗ってずーっと日本を離れる。日本よ、よくやれよ。がんばれ、若い者達。こういう統一教会の若い群れがいるこの日本を、神よ彼らを守ってくださいと、お祈りして発つことができるんだけど、先生が予想したその金以下になったら、三分の一、五分の一になった場合には、これは若い者としてそれは頼りになりません。神に自分自身をそれは決意させるような立場に立つ者でなければならない。そういうことも考えているよ。

 そういうふうに思って少なくとも東京本部のその建物を我々は今年に勝利しなければならない。(拍手)

 心情紙幣

 しかし我々は金があるかというと金は無い。無くても銀行より以上の金をつくり出すことができる。これは偽造紙幣をつくるんじゃありませんよ。それは心情紙幣をつくる。心情紙幣、わかりました? 心情紙幣を夜に昼にわしはこのことを成すというふうにして心情で何億万、何千万、心情紙幣でその行動を直線を引くようになせば必ず金は集まる。そうすることによってはじめて日本の地に統一教会の堂々たるその教会の姿をあらわし得る。又、先生がこういうふうな武道館で君達にこう言うことによって作られた教会は、それは歴史的の遺物になるであろう。

 西洋人が日本によった場合には第一のその本部を讃えるであろう。その県に行った場合にはその県の本部を訪問するであろう。そう見た場合にこれはいいかげんにはできませんよね。だから十年、二十年、百年の将来を見た場合に、できれば我々は力あるかぎりできればもう一ついいのをつくってそれを準備しなくてはならないと考えざるをえません。そういう歴史的伝統をつくるということを思いました。そういう日本の民族を代表して統一教会に入ったのでしょう。過去の先祖の身代りになって自分の氏族を代表し、日本的な身代りになって将来善なる先祖の立場に立った我々において後孫に一つの伝統的模範を残すような、そういうものを目指して誠をつくさざるを得ないというのは当然の話であります。わかります? (ハイ)

 それで今度祝福された者達は、少なくとも自分達が日本の食口達は皆よしても自分達だけで統一教会の全ての責任をもってみよう。そういう決意をしたことあるでしょう。

 そういうふうに考えまして、今から献金をします。どうしましょうか。やりましょうか。よしましょうか。(やります) やりましょう? ほんとうに願います? それなら自分が一生に使うそれ以上の金額を献金してひとつやってみましょう。

 それくらい訓練されているからね。我々自体が金庫だ、金庫ね。そうすればもうこれは問題ないや。一年の三分の一、一年ぐらい努力すればもうそれは問題ないや。

 じゃ歌でも歌いましょう。園の歌をね……。




一休さんのような機知(トンチ)ではありません。

奇知=人とは異なる知恵
すなわち神様の知恵

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Last updated  2021.08.23 03:10:39
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