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奇   知   外   記

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2021.11.03
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「本然の血族」

1982年12月1日
ベルベディアにて


 私たち人間はどこから来たか、その起源はどこか、これが私たちにとって重要な問題なのです。

 すべてのことは私自身からはじまり、私自身は心と体の複合体になっているのです。更に、すべてのものは相対的になっていて右と左、上と下に分かれています。

 皆さんは自分の顔を眺めて不思議に感じたことはありませんでしたか。もし顔の各部分が逆になっていたらどうでしょうか。もし目と口の位置が反対になっていたとしたらどうでしょうか。熱いスープを飲むため、スープが上がったり、下がったりするたびに目はどれほどこれを警戒することでしょうか。(笑い) 鼻にしても、これが反対になっていた場合のことを考えてみてください。もし、そうなっていたら大変なことだったでしょう。

 目がどうしてこの部分にあるのでしょうか。それはいくら考えてもこの場所しかふさわしい所がないからです。もし、目が今の位置でなく、もっと上にあったらどうでしょうか。いったい目はどこを見るのでしょうか。いつも下を見ていなければなりません。また、もっと下にあったらどうでしょうか。いつも上を見ていなければなりません。このようにみたとき、目が中央にあるのは、まっすぐに見るためであることがわかります。そうすることによって私たちが立つ方向に対して九〇度の方角を見ることができるのです。

 それでは皆さんが眠るとき、目の瞳は上にきているでしょうか。下にきているでしょうか。それとも右でしょうか。それは間違いなく(図を書いておられる)(笑い) これが上がっても、下がってもいけないのです。瞳は上下、左右に動きますが必ず目の中心を中心として動くのです。皆さんは、そのようなことを考えたこともないでしょう。

 もしまゆ毛がないとしたらどうでしょうか。夏になって汗が流れたとき、どうなるでしょうか。また、まゆ毛がないとしたらどうでしょうか。汗が流れて、みな目の窪んだところに集まってしまいます。このようなことを思うと、皆さんは不思議に思えませんか。目は深く入り込んでいますがまゆ毛の所は高くなっています。それは目に汗が流れ込まないためなのです。このようにみるとき、なぜまゆ毛が別の所に生えないで、この場所に生えなければならないのかわかります。

 皆さんは自分の顔を見るとき、何も考えずに見ていますが、よく考えながら見ると顔は多くの考え深い構想をもっていて、それが科学的に一つの原則に基づいて一つひとつの形をとっているということを知ることができます。もし目玉が回らなかったらどんなに大変でしょうか。皆さんが何かを見ようとすれば、体全体を動かさなければなりません。目玉が回らないといって目玉ではなく首が騒ぐでしょう。そうなった場合には皆さんは不便を感じることでしょう。皆さんは目を覚ましている間、目が休むことなく働いているということを一日の中で何回くらい考えますか。もし瞼が動かず、まばたきをしないとしたらどうでしょうか。目は赤くなり痛くなるでしょう。このようなことを考えると、目に対して、私たちはお日様と言わなければなりません。ですから、このように貴重な正常な目をもっているということは、どれほど誇らしいことでしょうか。

 鼻はどうでしょうか。鼻はすべてのものを連結させています。鼻は下に降りてきて途中で止まり、その下には口の両側に続く線があります。なぜこのようになっているのでしょうか。雨が降り、顔に水が流れてきても、また汗が流れてきても口に入らず両側に流れ落ちるようになっているのです。それでは鼻の下の中央の線は何でしょうか。また口も少し出っ張るようになっていますがどうしてでしょうか。すべてのものが意味をもっているのです。

 このような観点から見るとき、先生は人を見て、一目でその人がもっている線から、汗をたくさん流す仕事をする人かどうかを見分けることができます。人の目をみた場合、ある人は見上げるようにものを見ますが、またある人は見下げるように見ます。また歩く姿も人によっていろいろあります。口をみても、堅く結んでいる人もいれば少し開けている人などさまざまです。ですから皆さんは自分の顔を見るとき、自然な顔の形を考えなければなりません。それでは自然な顔とはどのような顔でしょうか。怒った顔でしょうか。眠った顔でしょうか。どのような顔がもっとも本然の顔でしょうか。本然の顔は生まれたての泣きじゃっくった赤ちゃんの顔かも知れません。

 子供が、この世に生まれてくる時「オギャー、オギャー」と激しく泣きますが、なぜ泣くのでしょうか。「ハッ、ハッ、ハッ、……」と笑わないのでしょうか。(笑い) その呼吸をそれ自体がすべて吐き出す運動なのです。これは赤ちゃんにとって、それ以上の運動がないほど最高の運動なのです。その時、母親は赤ちゃんにとって、それ以上の運動がないほど最高の運動なのです。その時、母親は赤ちゃんに「十カ月間、足を縮めていたのですから足を伸ばしてどうぞ泣いてください」と言うのです。これはどれほど素晴らしいことでしょうか。赤ちゃんが丸く縮まっていなかったら呼吸をすることができないのです。丸く縮まっていたのを広げるので空気が入るようになるのです。皆さんはこの話が正しいと思いますか。医学書にはどのように書いてあるか知りませんが、これが自然的観点からみる原理なのです。ですから生まれる時、赤ちゃんが泣くのはそれこそ歓喜の叫びであり、生の爆発なのです。

 人間が笑ったり、泣いたりするときは、体と心が一つになって運動しています。もし口だけ開けて「ハ、ハ、ハ……」と言えばおかしく感じますが、お腹から笑えば素晴らしく感じるのです。心と体が一つになって運動し、鼻も目も口もすべて動くようになるのです。笑う時に涙が出ますが、泣く時にも出ます。まったく反対であるにもかかわらず同じように涙が出ます。それでは笑うことと泣くことでは距離が遠いでしょうか、近いでしょうか。また、泣くことは良いことでしょうか、悪いことでしょうか。皆さんは泣く人が好きですか。笑う人が好きですか。ここにおいて一方は上向きであり、もう一方は下向きの涙でなのです。同じ涙であってもこのように分かれるのです。

 皆さんはどのような顔が好きですか。(幸福そうな顔です)。それでは幸福な顔いうのはどのような顔でしょうか。そして幸福とは何でしょうか。すべてが円満でなければ幸福にはなりません。円満ということは円が満ちることで、宇宙は円を満たすためにすべてが動いているのです。そのためにすべてのものには円に似なければならないのです。人間の顔も、頭の骨も円形になっているのです。それでは、頭の丸い東洋人の方が、細長い西洋人よりも良いのでしょうか。しかし西洋人の顔は幅は狭いのですが、奥行きが長くなっていて、横から見ると長くなっているます。ですから、みな公平なのです。そのような観点から見るとき、前よりも後がもっとよく整っていなければなりません。側面から見て、上から見て、あらゆる面から見て美男とか美女とかが決まるのです。

 口をみれば、その人が正しいことを言う人か、しゃべることによって失敗する人かがわかります。このように考えると、自分の自然なポーズというものがどれほど難しいかわかります。すべてが正しくなっていなければならないからです。歩くにしても自特でなければならないのです。中には、立って考えてように歩く人もいます。(先生のジェスチャー)(笑い) 自分自身を自然な形態に合わせることがどれほど難しく、自分がいかに不合格者に近いか考えなければなりません。このようなことを考えると神がいないとはいえません。そして、神はすべてのものを、勝手に造ったのではなく全部考えて造ったということがわかります。先生は皆さんを祝福するとき、このように観察するのです。人のあごは少し前に出っ張っていますが、なぜほこようになっているのでしょうか。それは鼻が下がってきたり、線が下がってきたりして、下がりっぱなりなのを調和させるためなのです。

 またすべてのものが三段階になっています。目も口も鼻も鼻の穴もすべてが三段階になっています。顔の長い人は目がここにあり、鼻もそれに従って長くなっています(黒板書き)。もし鼻が短いとしたらどうでしょうか。このようにすべてのものが調和しているのです。それは科学的になっているのです。科学的というのは原因と結果が理論的に通じ合っているということです。

 このようにみるとき、目の先祖はどこから来たのでしょうか。この宇宙の中で目が先に生じたのでしょうか。それとも環境が先に現じたのでしょうか。(環境です)。目は太陽が先にあることを知っていて、それに合わせて生まれたのです。ですから、目が先に生じたという人がいるとすれば、その人は間違っています。まつげについて考えてみましょう。まつげはなぜあるのでしょうか。それは、ほこりがあるので、それが目に入らないようにあるのです。それでは目が先に造られて、その後にほこりが造られたのでしょうか。もし、そうであるとすれば、ほこりを造らなければよかったと思うのですが、どうでしょうか。ですから間違いなく環境が先に造られたことがわかります。目は雨が降ることや汗が流れることを、太陽やほこりがあることを、そして目の表面の水分が蒸発してしまったら大変なので、水分が必要なことなどのすべてのことを知っていたのです。それでは目の祖先が生まれるとき、太陽があることや、目に水気が必要なこと、また雨が降ることやほこりがあることを知っていて、これを何とかしなければならないと考えてこのような目の形に生まれたのでしょうか。目の祖先は、そのようなことは何も知らなかったのです。それでは何も考えずにそのような形に生まれることができるのでしょうか。それはできません。誰かが、その形を構想しなければならないのです。それでは、それを考えた方は誰でしょうか。(神様です)。皆さんは、神を見たことがありますか。見えないのにどうして存在するというのですか。たとえ目に見えなくても、科学的には、目が存在する以前に、すべてのことを知っている認識的な何かがなければならないからです。

 まゆ毛の毛はどこから集めてきたのでしょうか。目玉はどこから材料を集め、どこで造ったのでしょうか。これらをみんな宇宙の中からかき集めて造ろうとすれば、この宇宙を全部ひっくり返して探さなければならないでしょう。このように考えると、目の瞼ひとつの中にも宇宙学が入っているのです。目玉はなぜ左右上下に動くのでしょうか。ただ単に進化したというのでしょうか。もしそうであるとすれば、目を潰してしまったり、まゆ毛を全部取ってしまったり、いろいろの形に勝手になっていたりしても良いのではないでしょうか。たとえ進化したとしても、進化する方向と進化するように指示したのは誰でしょうか。このようにもるとき、意識が先でしょうか。存在が先でしょうか。意識が先であるとすればそれは有神論になります。果たしてどちらが先でしょうか。(意識です)。この世に目の医者が何人いると思いますか。どんなに多くの目の医者がいたとしても、完全な目はすべての医者の知識をはるかに越えたものなのです。本が何冊あれば、目に対するすべての知識を書くことができるでしょうか。そこには宇宙全体の学問がすべて連結されているのです。

 鼻と目と耳と口はつながっていますか。(つながっています)。鼻をつまみ、口の中に空気をためて力を入れると、目が飛び出すように感じますし、耳が離れてしまうように感じます。ですからこれらは一つにつながっているのです。もし、目、鼻、耳、口、歯の各医者がおのおのの器官を合わせて本を書くとしたら何万冊ぐらいになるでしょうか。それを考えると自然にこよのような体の形になったといえるでしょうか。すべてのものが理論的に構成され、お互いに通じ合い調和することができるようになっています。それを進化によって、そのようになったとすれば、これほどのでたらめがどこにあるでしょうか。

 私という一人の人間が生まれようとすれば、すべての、すべての植物と鉱物を吸収して援受作用し、すべての環境に通じることができるように、すべての宇宙学を決定してから誕生しなけれがならはいのです。このように宇宙学が先にあったのです。先生は宇宙学のことについてよくわかりませんが、自分が生まれたという事実からみているのです。人間の祖先は猿であると言いますが、皆さんはそれを聞いて気分が良いですか。(悪いです)。雄の猿が「私は雄の猿になろう」、あるいは雌の猿が「私は雌の猿になろう」と言って決めて、そのようになったのでしょうか。もし猿が全部雄の猿になろうとしたらどうなるでしょうか。どこの猿が背が低くて小さい雌の猿になりたいと思うでしょうか。それでは誰がそれを決定するのでしょうか。それさえも自分で決定できないのに、自然にこうなったのか、ああなったとか言うことはできません。

 進化すると言う人もいますが、それでは進化の方向はどうなっているのでしょうか。逆方向になって猿からアメーバーになぜならないのでしょうか。その方向は誰が決定したのでしょうか。猿が「その方向は私が決定したのだ」と言うでしょうか。たとえ、アメーバーから進化するとしても、それがより高度のものになるための力を誰が加えたのでしょうか。それ自体が創造の力をもつことができるでしょうか。このよきにして、より深く考えを突っこんでいけば、共産主義者も今日の科学者もみんな答えることができなくなってしまいます。

 なぜ、男性にはひげが出るのに、女性には出ないのでしょうか。それは男性のほうがたくさん汗をかくので、汗がみな集まってひげに沿って流れ、他に流れていかないようにするためです。このようにすべてのものが理に適っているのです。皆さんは意識が先か、存在が先かという問題に対して、はっきりとしなければなりません。どちらが先でしょうか。(意識です)。

 先生の友達の中には共産主義者がたくさんいました。その人たちと議論するとき、先生は「猿が人間と争うことができますか。猿は人間に従順でなければなりませんが、あなたは猿から人間になったのですか」と質問します。皆さんは鏡で自分の顔を見るとき神秘に満ちた宮殿をもっていると思わなければなりやません。その価値はどれほど大きいことでしょうか。宇宙をもってしても交換することができないほど大きいのです。それでは何が人間の性質なのでしょうか。人間は意識をもち、そして考える能力をもっています。これが人間としての性質です。

 今、人間の起源について話してきましたが、次に本然の人間、本然の血族とは何でしょうか。そして、本然の人間は誰に似ているのでしょうか。(神様です)。それは皆さんに似ているのです。すべての人間は顔に同ぴ数の器官をもっています。顔には目、鼻、口、耳しかありません。それでは顔に幾つの穴がありますか。(七つです)。七つの穴の七は三プラス四で、三は顔の正面にある目、鼻、口の三で、三段階になっています。そして四は耳で、耳は顔の側面にあり四方に通じるのです。このように三と四で七になっているのです。これで聖書で教えているように、七数、四数、三数が重要な理由です。更に三に四を掛けると十二数になり、ここから十二カ月や十二時間が出てくるのです。手の指でナンバーワンは、このようにして表しますが、この指は何ですか。(指で示す) この上に上がっている親指は神を象徴しています。赤ちゃんのとき、腹中で親指を出していますか、それとも内に入れていますか。(内に入れています)。なぜそうしているのでしょうか。それは神が宇宙の中心にあるからです。また親指を中心にしてみれば、残りの四つの指は十二の関節からできていて、十二数のサインでもあり、十二カ月、十二方向、十二時間の宇宙を表しています。

 顔の中で一番神秘的な部分はどこでしょうか。それは目です。そして目は顔の中で神を象徴しています。それでは鼻と口はどうでしょうか。鼻はアダムとエバを象徴し、口は万物を象徴してす。口の中には三十二の歯がありますが、これは四と八を掛けたもので、全体の数を意味し、万物のすべてに適応することができることを意味しているのです。

 口は言葉を話すことによって、万物の象徴でありながら、心と通じ合っています。口は食べることと話すことの二つの機能をもっていますが、多くの器官の中でこのような二つの機能をもっているのは口だけです。万物は口を介にして内的な霊的世界に通じるようになっているのです。ですから心の動きがそのまま口の動きとなって言葉として出てくるのです。その時、口の動きは完全に心と一致し調和しているのです。もし、心で思っていることと反対のことを口が、勝手に言い出したら大変なことになります。心では「イエス」というのに、体が「ノー、ノー」と言ったら、皆さんはどうですか。本来はこのように一つになっていなければならないのですが、今の皆さんはどうですか。心と体が一つになっていますか。これが問題なのです。

 もし、一つになっていないとすれば、どうしてそのようになってしまったのでしょうか。心が意識属しますか。体が意識に属しますか。心はどこに属しますか、体はどこに属しますか。この疑問に対して二つの答えがぶつかり合っているのです。今日、民主世界と共産世界がなぜ争うのかというと、これが問題なのです。共産主義は存在が先だと言っていますが、民主世界の人たちはそれに対して、それが間違いだと説得ができずにいるのです。

 私の心を中心にして心と体が一体となって動けば、私の心と宇宙の意識的な主体とは同族なのです。体と宇宙はこの同族なのです。これは真実です。それではこの二つが相衝しているのが原則なのでしょうか。和合しているのが原則なのでしょうか。本来、この二つは調和しているのが原則なのですが、現実には二つは分離し、相衝しているのです。それではなぜそのようになってしまったのでしょうか。この問題は、哲学においては解明できず、結論づけることができないのです。ただ宗教においてのみ、人間が堕落した結果であるという結論を出すことができるのです。では堕落とは何でしょうか。堕落とは機械でいえば故障したということです。人間は故障した状態で生まれて来たので、修理工場に行って修理しなければならないのです。このようにみたとき、神が存在するとすれば、神は人間の主人として、これではいけないと思って修理工場を作らなければならない思います。このような修理工場が宗教なのです。

 修理工場にも初等のものから始まっていろいろの段階のものがありますが、統一教会はどのような修理工場でしょうか。(洗練されたものです)。最高に洗練された完成された修理工場が統一教会です。そして、その名のごとく、あらゆるものを修理する統一修理工場です。ですから、そこではどんなものでもすべて、カチャ、カチャ、と音を立てて動くようになるのです。この工場で合わせておけば、すべてのものはおのおのの立場で作動しながら一体となり、統一されるようになるのです。皆さんも知らず知らずのうちに、修理工場の工場長であるレバレンド・ムーンに修理されるために、蹴られても、叩かれても近くに来ようとするのです。(笑い、拍手) 皆さんはなぜ先生の近くに出て来ようとするのですか。最初に修理してほしいからではないのですか。(笑い) そのために、皆んな統一教会に来ようとしているのです。これは理論的なことです。
 
 それでは修理工場において、それが高等な工場であればあるほどたくさん手を加えるでしょうか。さんの名前を呼ぶようにならなければならないのです。

 夫と妻との関係で、もし妻が夫に対して大変悪く、かみつくような悪妻になったらどうでしょうか。そのようなときには、夫は愛によって妻を屈服させなければならないのです。その反対の場合も同様です。また、このことは息子や娘に対してもみな同じです。家庭の中にはこのように六つの立場があります。おじいさん、おばあさん、夫、妻、息子、娘の六つです。この六つを経て七数の完成がなされるのです。

 六数のことをサタン数と言いますが、家庭の中にはサタンが相対するあらゆるものが入っているのです。そのことをイエス様は「そして、家の者が、その敵となるであろう」(マタイ福音書第一〇章三六節)と言われたのです。しかし、家庭が亡くなる時「私の家であなたが最高だった、あなたに恵みと祝福を与えたい、私のもっているものを全部あなたに与えたい」と、言われる人にならなければ完成した人になることはできないのです。ここような結論に抗議できる人がいますか。(いません)。果たして、神が「レバレンド・ムーン、あなたは間違っている」と言うでしょうか。

 それでは神自体はどうでしょうか。完成した神も、全く同じような立場に立っています。人々が亡くなる時、「神様、私が今まで得て来たものはすべてあなたのものです。私の生命までも捧げます。私の唯一の希望はあなただけです。アーメン」と言うことによって、神としてのすべての権限をもつことができるのです。

 誰かが、皆さんの所に来て、意地悪く辛くあたるとき、皆さんはその人たちを自分の家庭のおじいさん、おばあさん、難しい夫や妻、息子、娘と思って「すべてのことはおじいさんやあばあさんに対する権限、夫や妻に対する権限、息子、娘に対する権限のすべてを与えるためのよい機会です」と言って、神に感謝しなければならないのです。イエス様も聖人たちも、この道を行こうとしてきました。そしてレバレンド・ムーンもこの道を備こうとしているのです。お母様は、あまりにも親切で、優し過ぎるのでその代わりに、先生は米国の他の女性から酷い仕打ちを受けているのです。(笑い)

 皆さんはどのような人になりたいですか。(完成した人です)。完成した母類の心は、宇宙の母親の心であり、完成した父親の心は、宇宙ね父親の心ですぐまさしく、それが完成した人なのです。そしてサタンからも、神からもそのような人になったと言われなければならないのです。

 ニューズワールドの編集長の部屋には、毎日、いろいろな人が来て、編集長にかみつき、不満を言い、さまざまの要求をして彼を困らせますが、このような人に対しほ、どのように対すれば良いのでしょうか。彼は「良いものは良い、悪いものは悪い」と言って、良いものだけを相手にするのではなく、悪いものもすべて聞いてあげてそれを良く思い、いくら難しくても消化していかなければならないのです。それがニューズワールドの責任者としてふさわしい人のあり方なのです。このような観が立つのです。

 ですから家庭は天国に入ることのできる人をつくるための訓練道場なのです。そして、この道場で訓練を受けて合格すれば、どの国のどの氏族に対しても合格してあまりある人になるのです。いったいどこに祖父母のように接する人を歓迎しない人がいるでしょうか。そして、家庭の延長線が天国なのです。

 きょう皆さんは、このような訓練道場を通過して本然の完成した男性、女性となることができるということを知りました。それでは皆さんは先生の思想と皆さんが今までもっていた思想と、どちらの思想をもちたいですか。(先生の思想です)。もし本当にそのように思うのであれば皆さんは、この道を行くことを決定し、決意しなければなりません。それが本当のムーニーです。皆さんは決意しますか。(はい、します)。

 ありがとうございました。(拍手)



一休さんのような機知(トンチ)ではありません。

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世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。
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Last updated  2021.11.03 19:20:04
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