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カテゴリ:宗教/天地創造
以下は『ファミリー』(1996.3月号)に掲載された「巻頭言」からです。当時オウム真理教が騒がれたころのものであり、こんにちの国会での「被害者救済法」と類似した点を見ることが出来ます。
宗教を迫害する国は滅び、 保護し、育成する国は栄える 世界基督教紘一神霊協会 会長 桜 井 設 雄 宗教は本来、人間が堕落しなければ必要ありませんでした。神様と人間の関係が、堕落することにより切れてしまったので、その関係を回復するための一つの手段として生まれてきたのが宗教です。ですから、宗教が必要ない人は一人もいません。 このように、宗教は親なる神様と一体となろうとする、人間の本心の欲求から生まれたのです。その本心の欲求が満たされなければ、真の生きがいや真の幸福を得ることはできません。したがって、宗教を迫害することは、人間の本心を抑圧し、破壊させることになります。 歴史における国家興亡を深く顧みるとき、宗教を迫害した国は滅び、宗教を保護し、育成した国は興隆しました。また、その国の主催は、より以上に宗教を崇拝する国へと移されていったという歴史的事実を数多く発見することができます。 宗教は、木に例えれば根に当たります。根を持たない木は腐り、枯れてしまうように、宗教を持たない国は滅亡せざるを得ません。歴史上に数多くの宗教が生滅する中で、より影響力の大きい宗教は必ず文化圏を形成し、より劣等なものは優等なものに吸収、融合されてきました。現代化圏を形成していく趨勢を見せています。 では、なぜキリスト教が中心となるのでしょうか。キリスト教は人間の本心の欲求を一番満たしてくれる要素を持っているからです。キリスト教は、存在の根源、生命の根源であられる神様が「親」であることを説いています。いかなる人間も、親から人生を出発しない人はいません。親こそ生命の原点であり、人生の出発点なのです。 昨年、無差別殺人集団と化したある宗教団体の影響によって、わが国の世論や国民的意識は、宗教に対する見方が大きく変わりました。宗教に対する信頼や寛容な心から、不信と疑惑と警戒心を抱くようになったのです。 ここでもう一度、私たちが確認しなければならないことは、宗教とは何かということです。父母なる神様(※櫻井ファミリーは要チェック箇所です。)は、子供である人類のために犠牲と奉仕の道を歩んでおられます。ですから、神様を説く高等宗教であればあるほど、犠牲と奉仕を強調するのです。真の宗教は、自らを犠牲にして他を生かすものです。他を犠牲にして自らが生きようとするのは、真の宗教ではありません。 また真の宗教は、分裂しているものを一つにする責任を果たさなければならないのです。すなわち、個人の心と体を統一し、夫婦、親子を統一し、民族と民族、人種と人種を統一し、国家、世界を統一し、さらには霊界と地上界、神様と人間を統一するのです。このように、神様の愛、すなわち犠牲と奉仕の精神で人類を救済しようとするのが、真の宗教なのです。ですから、宗教と民主主義は相入れないどころか、宗教がなければ民主主義は滅んでしまうのです。 ところが今日、「宗教基本法(仮称)」なる法案が国会に提出されようとしています。このようなことを憂慮する有識者は、「これは国家による宗教管理規制法であり、これが通れば、たった五十年で日本の信教の自由が終わることになる」、「これは宗教弾圧基本法である」と述べています。 米国では、「米国憲法修正第一条」で、議会が宗教活動を禁止したり、その権利を制限することを禁止しています。また、日本国憲法第二O条の信教の自由も、多くの宗教者が代価を払って勝ち取った歴史の遺産ともいうべきものです。 今こそ私たちは、真の民主主義を守り、真の平和国家、道義国家を築いていかなければなりません。宗教の本質を知り、神様の心情と真理を知った先兵として、歴史的、摂理的使命を果たしていきましょう。 <終> 一休さんのような機知(トンチ)ではありません。 奇知=人とは異なる知恵 世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2022.12.11 21:58:49
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