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2023.06.11
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「地獄解放と天国開門」宣布
真のご父母様は、一九九八年五月十五日、ブラジルのパンタナールにあるアメリカーナホテルにて、聖人と殺人鬼を同じ位置で祝福する「地獄解放と天国開門」を宣布された。しかし、この内容は録音されなかったため、下記の内容は、宣布以降にこれと関連した真のご父母様の祈祷とみ言をまとめたものである。


   祈祷

 愛のお父様……、一九九八年六月十三日を中心とした、三億六千万双の第一次祝福式を挙行することを全世界に宣布するとともに、新しい歴史を育む転換を前にし、このパンタナールに来て、歴史的なすべてを清算することのできるこのみ業を、最も立ち遅れているこの地域で始めました。

 また、このアメリカーナホテル……、北米と環境において連結している地獄の底のようなこの地域に参り、あなたの息子、相軒氏が送ってくれたメッセージを通して、霊界と肉界が分かれた統一的な内容、天上世界の実相と全体をはっきりと知るようになりました。成約時代の霊界と肉界を完全に知って、その霊界と肉界にひっかからない、解放された生活を送るべき成約時代の人間であるということを知らなければなりません。ここに依存する全霊界を通じて、そのことを知らせてくれることにより、初めてすべてが分かりましたから……、絶対信仰、絶対愛、絶対服従しなければならない、この世界史的な新時代を迎えるようになりましたことに感謝申し上げます。

 これから六月十三日のその時まで、霊界と肉界の未知なるすべての事実に、真の父母が責任をもつことを知り……、朴マリアの家庭、イスカリオテのユダ、そしてアダムとエバ自体にさえも、祝福の恩恵圏を万世に開くことを決心して帰っていくこの場を、祝福してくださいますよう切にお願い申し上げます。あらかじめ早朝に天に報告すべき内容が何であるか、すべての事実を既に報告しましたので、

 その道をこの地上に事実として展開し、実践実行することのできる、中心的な真の父母の行路となることを覚悟しましたから、その道へと導き、協助してくださいますようお願い申し上げます。

 今日以降のすべてを担い、来たる十三日の栄光に、お父様が喜びをもって浴してくださいますよう、切にお願い申し上げます。「霊界と肉界の解放宣布の日」となるよう希望しながら、すべてを計画するこの過程を快く受け入れてくださいませ。許されし恵みに感謝しつつ、真の父母のみ名によって宣言祝福いたします。アーメン! アーメン! アーメン!(二九三-二七九、九八年六月二日)

   み言

 地上で祝福を受けた人の中には、殺人の罪を犯した者もおり、ありとあらゆる者がいるのです。そのような人たちが祝福を受け、解放の恵沢を受けたので、その人たちを中心として、霊界のそのような人たちの親戚を通して、兄だとか天使長の立場にある父母がいれば、代わりに祝福をしてあげ、すべてを解放することができるのです。(二九三-一〇四、九八年五月二十六日)

 地上において三億六千万双の祝福が、すべて終わる前、地上に現れる前に、この事実が霊界に先に現われなければならないのです。霊界が先にならなければならないのであって、地上世界が先になってはならないのです。ですから、第一次アダム、第二次アダムが失敗したことを連結させるために、天上世界の先祖となるアダムの代わりとして興進君に家庭的祝福を与え、霊界にいる興進君を地上で祝福することによって、地上と霊界を連結し、世界版図のアベルを中心とした父母を中心として、天使長圏を……。

 天使長圏は養子のようなものです。血筋がないのです。これは伝統ではありません。しかし、それをつないで蕩減するのです。分かれた霊界を一つにすることによって、そこにおいて真の父母の国を創建することができるのです。これを中心として、キリスト教が一国家として統一されたならば、世界は一つになるのです。そのような時代が来たのです。(二九三-一五八、九八年五月二十六日)

 李相軒氏を神様が特別に使者として送ってくださり、小柄な女性を通して……。監獄のようなところに行って出会ったのが誰かというと、朴マリアと李起鵬、李康石の三人です。息子が父母を殺したのです。また、朴マリア夫婦は、父母を殺したようなものです。この地上に来られた真の父母を殺す悪事を働いたのです。

 梨花女子大事件の時、最初は世宗路の家に集まっていたのですが、その時、金永雲教授、梁允永教授やって来たのです。彼女たちはみ言を聞いて、比較していたのですが、その彼女たちを根本から覆してしまったのです。それで、その教授たちを首にし、「悪魔だ!」と宣伝するような立場に立ったのです。完全に統一教会が反対されるようになる過ちを犯した元凶が、朴マリアなのです。

 それで李起鵬(朴マリアの夫)が、李承晩博士(大統領)を中心に、妻の言いいなりになって、完全に李承晩大統領と示し合わせ、五大長官に命令し、統一教会をなくそうとしたのです。ですから、父母をとり殺した立場に立つのです。このようなことは、誰に説明してもよく分かりません。

 ですから、これを解放しなければ、地獄とすべての霊界が開かれません。イエス様を殺したイスラエル民族、キリスト教は、先生を裏切りませんでしたか? 売り飛ばすようなことをしたのです。そうではありませんか? 朴マリアは、先生に十字架を背負わせ、釘づけにしたのです。二十世紀において十字架を背負ったのです。

 ここに来て、私はすべての秘密を暴露するのです。先月の五月十五日の夕方、大転換式を宣言しました。霊界を中心として転換式を行ったのです。そして今回、李相軒氏の第二次の霊界メッセージを、ここに来て連結させるのです。(二九三-二四〇、九八年六月一日)

 李相軒氏が霊界から送ってきたメッセージで、朴マリアに関する部分を読んでみなさい。そこでは、何を語っていますか? 神様が朴マリアの罪までも許して、解放してあげることを望まれ、天の使者を李相軒氏に送り、朴マリアに会わせ、李起鵬に会わせ、李康石にも会わせたのです。

 その人たちに会ってから祈祷をしたところ、神様が「どんな気持ちか?」と語りかけてこられ、李相軒氏が悲しんでいるのを察すると、「神の愛する子女たちがこのまではいけない。解放してあげなければならない。それはおまえの責任である!」と語られたというのです。それはどういうことかと言うと、「統一教会の先生に報告しなさい」ということなのです。彼らは怨讐の中の最悪の怨讐なのに、神様が彼らまでも許してあげる心をもたれて、特別に使者を遣わして案内をしたということを、ひしひしと感じたというのです。そのような内容をもってどのようにすべきか、霊界と天使たちが妥協してきたのです。

 神様が李相軒氏に「それはおまえの責任である」と語られたその言葉の意味は、統一教会の先生を通じて、許しの道が開かれるということなのです。真の父母の前に犯した罪は、家庭的に犯したものです。朴マリアの家庭が罪を犯したのです。朴マリア家庭の父母が、真の父母を追い出し、真の兄を追い出したのです。それで、サタン世界の実の息子が父親と母親を撃ち殺したのです。反対の役事をしたのです。

 ですから、李康石がかわいそうだというのです。李康石がサタン側の自分の家庭を壊してしまいました。真の父母の家庭をだめにした元凶の父母を撃ち殺したのです。ですから、もつれています。それゆえに真の父母が、その死ぬしかない道を避けられるように条件を立てたのです。

 地上で大逆罪を犯して地獄に行った者をも許してあげるのですから、統一教会の人々が罪を犯したことなどは何でもないのです。罪を犯した人をまず許してあげて、同参することのできる権限を与えるのです。そのようにして復帰するのです。祝福を受けて神の子女として復帰できるように許してあげ、同じ祝福を受ける列に入籍するのです。

 ですから、パンタナールで八日間に決済報告をするのです。すべて報告するのです。それは先生の特権なのです。今は六月ですね? 六はサタン数です。十三数は一番悪い数ですね? それで昨日、四日に出発しようとしたのですが、四日には来ることができませんでした。それできのうは何をしましたか? きのうはサタン数の日です。サタンが邪魔をしたので……。六月四日です。六もサタン数ですが、この四もサタン数です。

 それで、先生がその日にパクー(PACU)を釣りに行って、何としてでも六匹釣らなければならないと言ったのです。そうすれば数が合います。六数、四数、ゼロ数です。内外の六数、四数を中心として……。

 十六数もまたサタン数です。韓国動乱の国連参戦国もすべて十六数なのです。六月四日に魚を六匹釣らなければならないのです。六数もサタン数で、四数もサタン数なので、魚を釣るにもサタン数で釣らねばならないのです。六匹釣らないとだめなのです。五匹だけ釣って、後五分というところで最後の一匹を釣りました。十六数なので、六匹釣らなければならないのですが、五匹釣ったところで最後の一匹が残すところ五分になるまで捕まらず、やっと釣り上げることができたのです。そうです、成功したのです。

 六月四日、六数もサタン数であり、四数もサタン数なので、サタン数を代表してパクーを六匹捕まえなければならなかったのです。このパクーというのは「ゴー・バック(go back:戻れ)」という意味にもとらえることができるのです。それを六数に合わせることで、サタン数を全滅させるのです。十六数までです。ですから、十六数もサタン数であり、四数もサタン数であり、六数もサタン数なのです。また、この十六数と十三日(三億六千万双の第一次祝福の日)の十三数を合わせた二十九数もサタン数です。すべてのサタン数を一掃してしまったのです。

 それで、夜明けにお手洗いに行って、すっきりと掃除してから来なければならないのです。ですから、飛行機で南米大陸を発つ五分前に大便をしたのです。それも役事です。それを終えられずに来たのですが、南米大陸を立つ前に大便を終えてから来たのです。ですから、どれほど気分が良いかわかりません。

 出発するとき、それができなかったので、条件を立てて、イーストガーデンでできれば良いし、途中でできればもっと良いと、祈る思いで来たのです。サロブラから離れるとき、それができなかったので、ここでだめならイーストガーデンに行って解決しよう、途中ですっきりとできれば、それに越したことはないという条件を立てて、祈祷をしてきたのです。皆さんはこのようなことを知りません。時間がないので、そのような条件を立てて、途中でそのようにしたのです。ですから、万事うまくいったのです。

 それで今、四大聖人を祝福してあげるのです。祝福をしてあげるには、統一教会の先生が愛した人々と祝福させなければならないのです。孔子・釈迦・マホメット・イエス、皆祝福してあげたのです。イエス様も祝福してあげました。ですから、彼らを通じて祝福を継承してあげるのです。彼らを祝福してあげれば、宗教の使命がすべて終わるのです。

 たとえば仏教圏は、釈迦牟尼を中心として中間霊界にいたわけですが、真の父母に従って皆天国に入っていくのです。ですから、宗教の使命が終わり、国の使命がすべて終わるのです。国の立場もなくなるのです。ですから、真の父母を迎えれば、真の家庭、真の国家、真の世界、真の神様にばったりと出会うのです。平和の世界、一つの真の愛で統一された世界が、いわゆる地上天国なのです!アーメン!(二九四-一三、九八年八月五日)

 私にとって、金活蘭と朴マリアは怨讐中の怨讐です。ですから、五月十四日から三日間祈祷して、彼らを解放してあげたのです。李相軒氏に向かって神様が、「おまえが責任を負わなければならない!」と語られたのです。その後では、「よろしく頼む」と語られたというのです。その言葉に私がショックを受けたのです。祝福をすべて終えてから、最後にしてあげようと思っていたからです。個人の救いの時代、氏族・民族・国家の救いの時代を越えて、世界の救いの時代に入り、天地解放時代に向かって越えていくときに、彼らを解放してあげようと思っていたのです。

 ヒットラーとかスターリンのような人たちは、国家主義の時代です。国家主義時代は過ぎ去るのです。今は、超国家主義時代です。それから、共産主義は超世界的な時代です。ですから、金日成を治める国家的な法ではだめなのです。今までの法では無理なのです。今や連合国時代です、世界時代なのです。

 その次は、超連合国時代です。ですから、法をもって国家主義時代に金日成を地獄に送ったようなことはできないのです。金日成は、地獄に行ったのですが、ムッソリーニやヒットラーは地獄に行きませんでした。処理過程にあるのです。そうでしょう? スターリンのような人は、逃げながら生活しているのです。それは、時が来ていないからです。それは、私が処理します。国家主義、世界主義的な勝利の覇権をもった者だけができるのです。

 先生は国家主義者ではありません。世界主義、超国家的です、超宗教主義なのです。ですから、そのような権限をもって、彼らを治めることができるのです。誰もが同じ運命です。神様も哀れで、真の父母も哀れで、人類も哀れで、サタンも哀れなのです。ですから、その哀れな人たち同士で、殺し合わなければなりませんか?「怨讐を愛せ」という一言によって、それが神のみ意であるならば、問題なくすべてが解決するのです。そうではありませんか?「それが神様の願いではありませんか?」と言われたら、どうしますか?

 それが神様の願いであるわけですが、サタンが反対しますか? 真の父母が反対しますか? 救いを受ける人類が反対しますか? 聖人が反対しますか? 殺人鬼が反対しますか? 誰もが歓迎するのです。その願いとは何ですか? このようになったのは、何のせいですか? 誤った結婚をしたからです。ですから、根を引き抜かなければならないのです。

 ですから、祝福を断行した先生は偉大な知略家です。それを断行するのは、神様にもできず、誰も考えつかないことなのです。しっかりと原則を中心として取り払ってしまうのです。私が負けるか、誰が負けるかなのです。このままで済むかどうか、後になれば分かるのです。そのようにしたので、うまくいくのです。(二〇〇〇年十二月二十九日、漢南国際研修院)

 楽圏と地獄をどのように解放するのでしょうか? 人間の理知をもってしては解放することができません。宗教圏を解放し、地獄の門までも開くのです。真の父母には地獄の門がありません。真の父母には楽園がありません。真の父母は、天国だけに行くことができるのです。反対していた基準が限界線の圏内、サタンの権限にあるときには、反対をすることができますが、その権限を越えれば、サタンは何もすることができないのです。それが国連です。国連は世界国家の頂上なのです。

 それで、超宗教、超国家、超国連主義を主張するのです。それが何かというと、「真の父母主義」であり、「神主義」なのです。真の父母は、サタンの宗教圏の下にあってもいいのでしょうか? 国家圏の下にあってもいいのでしょうか? 国連圏の下にあってもいいのでしょうか? ですから、超宗教、超国家、超国連なのです。

 ですから、一番頂上に上ってきたのです。真の父母と神主義を合わせた主義が何かというと、絶対に為に生きる愛主義です。そうなれば、すべてが終わるのです。絶対に為に生きる真の父母主義なのです。それによって、世界がみなその懐に溶けてしまうのです。すべて消化されてしまうのです。

 それは単なる話ではありません。事実であるがゆえに、すべてをそのようにしたのです。ですから、すべて宣布しましたね? 宣布すれば、サタンは入ってくることができません。先生はそれを知っているので、首を切る絞首台をつくっておいて、門さえ開ければいいのです。自分で踏み台さえ踏めばおしまいなのです。ちょうど、そのようになっているのです。

 神様はそれをご存じなので、サタンに対して「おい、文総裁がしていることをどう思う? おまえは今まで文総裁を除去しようと思ってきたが、これほどまでに上がってきたのだ。今や壁もすべて崩れ、絞首台さえつくっておけばいいのだが、首を切るときには、間違いなくおまえを処断するはずだ……」と言われるのです。

 一九九九年三月二十一目、堕落した天使長ルーシェルが神様の前に、真の父母の前に降伏し服従した、という宣言は嘘ですか、事実ですか? 事実なのです。(二〇〇〇年十二月二十九日、漢南国際研修院)

 先生は、殺人鬼と聖人を一緒に祝福してあげました。殺人鬼と聖人を一緒に祝福したという事実だけを見ても、すべて終わりなのです。この世に、そのようなことがあるでしょうか? 水平時代に突入したのです。

 どんなにサタン世界で力の強い国であったとしても、水が浸水してきたらどうなるでしょうか? 敵と味方に分かれて、目を真っ赤にして殺し合っているどころではありません。水の中に放っておいたらどうなりますか? 互いに殺し合うべきでしょうか、互いに助け合うべきでしょうか? 互いに助け合わなければならないのです。

 最近、三八度線に関する『JSA(共同警備地帯)』という映画がありましたが、『JSA』の話を考えてみなさい。「地雷を踏んだ!」と言ったときに、人民軍たちは逃げ出したでしょうか、助け合ったでしょうか? ちょうど、そのようなものです。水は水平になったのに、殺したらすべてなくなってしまうのです。互いに助け合わなければならないのです。

 助けるときは、父親を救う思いで助けるでしょうか、罪人を救う思いで助けるでしょうか? 助けるときには、自分の父親を救うという思いで助ければ、どれほど力が湧くことでしょうか? 兄を救うという思いで助け、王を救うという思いで助けよというのです。そこで、神様のような方を私が助けるのだと考えれば、そのようになるのです。その場においては、そのように考えよというのです。

 ですから、殺人鬼が互いに助け合える立場に立って、相手のために命を捧げるようになれば、思いどおりにできる権限をもつようになります。地獄を出たり入ったりできるのです。殺人鬼が聖人を助け、聖人のために解怨してあげたならば、聖人の寝室にも入っていくことができるのです。絶対に接近できないようにしておいても、秘密裏に暗行御史となって(かつて王命によって秘密裏に調査した官職)、通過できる道があるのです。道が大きく開くのです。ですから、そのような意味で、殺人鬼と忠臣、聖人たちを祝福してあげたのです、水が一杯になってきたからです。

 谷間にいるときには争っていたとしても、そこに水が次第に入り込んできて、二人とも死にそうな状況になればどのようになりますか? 二人とも死んでしまえば神様はどうなりますか? 神様も大変なことになりますね? 誰もが共通の立場に立つのです。神様も大変なことになり、殺人鬼も大変なことになり、聖人も大変なことになるのです。ですから、共同作戦を行うのです。

 先生も大変なことになるので、仕方なく共同作戦を取るのです。「お互いに生き伸びるためには、仕方がありません」と言うとき、サタンはどうしますか? すべて死んでしまえば、サタンはどうしますか? サタンにとっても一大事なのです。

 ですから、このようなことをすることによって、「おい、このサタン野郎! おまえも解放される時が来たことに気づいて、協助しろ!」と言うと、「どうか、どうか助けてくれ! どうか祝福を与えてくれ……」。このようになったのです。

 いやあ、このような事ってあるでしょうか? どう解釈すべきでしょうか? 今、私が話してあげた解釈が合っているのです。それで、金活蘭や朴マリアは怨讐の中の怨讐ではありませんか? 私が彼らのために、一九九八年五月十三日から十五日まで、ブラジルのパンタナールで三日間祈祷をして、祝福してあげるよう決めたのです。(二○○○年十二月二十九日、漢南国際研修院)



一休さんのような機知(トンチ)ではありません。

奇知=人とは異なる知恵
すなわち神様の知恵

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Last updated  2023.06.11 15:15:20
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