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奇   知   外   記

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2024.05.25
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第十四回「世界統一国開天日」敬礼式後の御言

二〇〇一年十月三日、第十四回「世界統一国開天日」の敬礼式が、真のご父母様を中心として韓国の漢南国際研修院で行われました。敬礼式の後、真のご父母様が御言を語られました。


    億千万世の歴史をかき分けて出てきた言葉「祝福の中心家庭」

 世の中の歴史を見れば、先祖がこのようになっていますが、私たちは逆になるのです。最後に生まれた人が先祖になるのです。それがだれかというと、真の父母の代身として、すべての天の御旨と摂理の御旨、世上万事を知って、礎石を置くことができる人です。そのような人にならなければならないのです。それがメシヤです。家庭的メシヤ、氏族的メシヤ、国家的メシヤ、世界的メシヤ、天宙的メシヤです。分かりますか?

 堕落によって(メシヤが必要となり)、そのメシヤとは何かというと、真の父母であり、個人的な真の父母、国家的な真の父母、世界的な真の父母、天宙的な真の父母です。その基盤を通して神様が出てこられるのです。

 塔を積み上げれば、その頂上に象徴的な表示としてダイヤモンドなどを置くのですが、そのような位置に神様がいらっしゃらなければならないのに、それがすべて崩れてしまったのです。全体勝利の代表として表象となるべき神様が、めちゃくちゃになってしまいました。地に落ちて、身動きすることができない、このような神様を解放しなければならないのです。だれのゆえにそのようになったのかというと、天使長とエバとアダムがそのようにしたので、天使世界の改編とともにエバ世界を解放し、アダム世界を解放しなければならないのです。それをなすことができる基準は何かというと、結婚です。祝福だというのです。

 間違った結婚をすることによってそのようになったので、真の父母が来て、真の愛、真の生命、真の血統を通して、それを引っ繰り返して、打ち込み、勝利圏を立てるのです。祝福というのはそのようなものです。ですから、祝福を自分の思いどおりにすることはできません。祝福には、旧約時代、新約時代、成約時代があります。成約時代は、旧約と新約のすべての所願が安着することができる時代なのです。

 成約時代は、祝福を受けて、すべての万物の中心存在として設定されるのです。そして、アダム家庭が祝福を受けた後に愛し合い、彼らの中心に、その愛に、天の血統の種が永遠に植えられるのです。そして、神様の愛の根、生命の根、血統の根が生じ、それが成長して大きな木になるのです。

 最近では、細胞の繁殖というものがあるではないですか。葉の中に、そのような木がたくさん入っているのです。そのような生命体と同じように、全人類が一つの木のようにならなければならないのですが、そのようになっていないので、すべて分かれ、すべて落ちていってしまうのです。千万の葉が生い茂っているのですが……。

 皆さん、柿の木のようなものは、どれほど青くて鮮やかですか? そこにたくさんの葉がついていたとしても、その葉はすべて個別的で、それぞれ違います。すべて違うのです。先祖が違います。千万の種類が、すべて使い物にならない雑種になっているのです。そのような柿の木になったというのです。偽りの柿の木です。これを蕩減して引き上げるのです。引き上げるのは、創造よりも何千万倍も大変だということを理解しなければなりません。

 そのような功労の基台を経て、数多くの宗教圏がつくられてきました。政治圏と宗教、国と宗教が怨讐です。国はいつも迫害をしたのです。

 アダム家庭において、カインがアダム家庭を破壊したのと同じように、カイン圏である政治圏が、アベルを犠牲にして、アダム家庭理想を破壊し続けてきた歴史でした。それは破壊の歴史であり、混乱した歴史であり、地獄に行かざるを得ない歴史です。これを分立させる役事をしてきたのです。それは簡単なことではありません。一日や二日で、できることではありません。数千万年を経ながら、なしてきたのです。

 そして、旧約時代を経て……。旧約時代はそうではないですか? 祭物歴史です。すべて割いて、サタンを分立させるのです。神様が思いどおりにすることはできないのです。神様は、半分にもならないというのです。十分の一です。九つすべてがサタン圏です。一、二、三、四、五、六、七、八、九数までは、サタン数なのです。九数です。この九数と六数は、逆さまになっているのです。これがいちばんの怨讐です。

 六数は何かというと、アダム家庭のおじいさん、おばあさん、お父さん、お母さん、子女たち夫婦であり、そして、孫までで八数です。段階は四段階で、八数です。八人家庭を中心として八数です。八数になってこそ定着するのです。

 ですから、四位基台というものは、六人が一つになり、そこに孫が出てきて、その孫から種が広がってこそ、これが新しい……。これが範疇です。哲学でいう範疇は、全体の模範的な規範のことをいいます。アダムの息子・娘を中心として、そのアダムの息子・娘は十人でも生むことができ、いくらでも生むことができるのです。いくらでも広がっていきます。広がっていくアダムの孫は、おじいさんの愛、お父さんの愛、三大愛を受けて繁殖するのです。そのようになってこそ、天の国の血族になるのです。

 皆さんも同じです。霊的に見れば、縦的な神様が一代であり、アダムが二代であり、その息子・娘が三代です。横的に見れば、真の父母も一代、二代、三代で、これがすべて九〇度です。霊界と肉界が九〇度に合わなければなりません。それで、地は四数で、天は三数で、合わせて七数です。それゆえ、三段階というのは四系列になるのです。地上に定着するためには、三段階を越えなければなりません。四系列を行けるようにしなければなりません。これが四つあってこそ、三段階ではないですか。

 皆さんすべてが、おじいさんとおばあさんの愛の結実体です。そのことを知らなければなりません。お父さんとお母さんの愛の結実体です。それだけではいけません。二代だけではいけません。そこに、三代、六人の父母の結実体となって、はじめて七数が立つのです。四数と七数。このようにして七数が連結します。七数が完成していたならば、そこに種として植えられたものは、どこに行っても……。

 栗は、どこに植えても栗の木が出てくるのであって、松の木が出てくることはありません。種の区別は厳格なのです。そのことを知らずに共産主義は、ただそのまま発展していくと思っているでしょう。必ず愛の門を通らなければ、上がっていくことはできません。種の繁殖というのは、愛の門が異なるのです。それを自分勝手にして、上がっていくことができるのですか? アメーバから、そのまま上がっていくことができますか? 数千段階を、そのまま上がっていくことができますか? 別の愛の門を通って、三世が出てくるのですか? これを否定して、そのまま上がっていくことはできません。種の規範を侵犯することはできないのです。松の木が 榛 の木になることはできません。

 それと同じように、神様を中心として、三代の父母の結実として植えられたものが、四代で定着するのです。四数が地に植えられるのです。神様の代身である真の父母においては、三代圏の結実として四代目に、定着することができる種となるのです。そのような種となるために今、皆さんが何をしているのかというと、「祝福の中心家庭」という言葉が出てきたのです。それは、ただそのまま出てくることはできません。億千万世の歴史をかき分けて出てきた、という事実を知らなければなりません。

    先生がこれを清めるために、どれほど受難の道を経てきたか

 皆さんが霊界に行けば、聖人、賢哲に教えてあげなければなりません。孔子様にも教えてあげなければならず、イエス様にも教えてあげなければなりません。イエス様には家庭がありません。そうすることができる家庭です。

 今まで野良犬のように世の中に染まって自分勝手に生きていた、そのような世界とは違います。第四次アダム圏というものは、神様を代身することができる純潔です。絶対純潔です。絶対純潔、唯一純潔、不変純潔、永遠純潔! その基準を立てていかなければならないのです。それをどれほど汚してきましたか? 先生がこれを清めるために、どれほど受難の道を経てきたか分かりません。何のことか分かりますか?

 純潔運動本部、どこに行きましたか、金奉泰! (「はい」)。定着したのですか? 強力に推し進めていかなければなりません。(「分かりました」)。薛勇洙! 来ていますか? (「はい」)。純潔運動本部に関するすべてのことを書きなさい。学者や中高等学校の校長、歴史的な看板をつけた人を中心として、純潔に関することをどんどん書きなさい。

 純潔本部が手本になれば、日本の人たちも称賛して、「韓国の純潔に従わなければならない」と言うでしょう。アメリカ人も純潔運動本部に従っていかなければなりません。すべての伝統を伝授してあげなければなりません。韓国と日本が別々にするのではありません。韓国と日本とアメリカが一つの国でなければなりません。一致化させなければならないのです。分かりますか? 自分勝手に生きることはできません。

 先生は韓国に生まれたのですから、韓国で暮らせばよいのに、どうして世界を歩き回ってこのようなことをするのですか? 南極に、北極に、東西を分かたず歩き回るのは、遊び歩いているのですか? 見物して回っているのですか? そこをふさいでいる壁を崩してしまわなければならないのです。そうして、あなたたちが受難の道を行くことなく……。祝福を受けて一つになれば、どこにでも行くことができるというのです。

 先生について来ようとすれば、個人時代、家庭時代、氏族時代、民族時代、国家時代、世界時代……。このような公式的な集会は苦労が多いのですが、「だれが何回来た」という事実が、すべて霊界に記録されるのです。その「一度来た」ということが、どれほど価値あることなのか知っていますか? 「先生の食卓に参席し、集会の場に参席して御言を聞いた」というすべての事実が、天上世界の歴史の教材になっているのです。(真のご父母様を)生涯全体の標準として訓練されなければなりません。

 第一の核が何かというと、「神様が私の父だ」ということです。堕落していなければ、神様はアダムとエバの父です。それを否定することはできません。自然を見ると、すべての環境に現れた万物自体が称賛し、仕える中心核として侍ってくれているのです。全員、そのようになっていないではないですか。言葉だけで言っています。

 皆さんが金氏の中でメシヤ、金氏の代表になったならば、一族がそのメシヤに会いたいと、皆さんが先生を慕った以上にならなければならないのです。一つにならなければなりません。一丸とならなければなりません。一丸となったその結実圏内において、それを相続し、国がそのような系統につながれば、その国が天上世界に連結されるのです。

 いい加減に暮らすことはできません。今回の開天節は十三周年です。十三数です。神様の王権を樹立したのも、二〇〇一年の一月十三日でしょう。西洋では、十三数は最も悪い数です。春夏秋冬の四季、十二か月を中心として、その中心だというのです。中心数です。それゆえ、オリンピック大会を終えて……。本来は、先生の誕生日までの十二数です。その時から十三年目であり、三〇〇〇年に入る最初の年に王権樹立をしたということは、驚くべき事実です。分かりますか? (「はい」)。

 皆さんにとって最も貴いものは何かというと、自分の妻、息子・娘、自分の国ではありません。財産でもありません。王権樹立です。このために、国と人類と宗教圏がどれほど多くの血を流し、どれほど犠牲になったか分かりません。そのふさがれていた所願の御旨が、ついに現れたのです。漠然と願ってきたことが、実体対象圏となったのです。伸びた紐が一か所に集まるのと同じです。相対的立場で即刻、相対基準を結び、天の前に立つことができるのです。

 皆さんが、どうして祝福の中心家庭ですか? 何年、生きましたか? 祝福の中心家庭が、何千年、何万年、何千万年を経て……。それほど不可能なことです。天が苦労し、ため息をつき、すべての峠をかき分けて、自分の位置をつかみとってくれたのですから、涙なくしては生きることができないはずなのに、野良犬のように生きているのですか? 何のことか分かりますか? (「はい」)。

    一番の頂上にいる者が、一番の底辺に行く

 祝福の中心家庭が、どれほど恐ろしいか知っていますか? 今まで神様は、祝福の中心家庭、一つを探し出すことができずに、受難の道を歩んでこられたのです。家庭を祝福してあげることが、どれほど大変だったでしょうか。あらゆる人を祝福してあげたからといって、遊び事だと思っているのですか? 父母が祝福するというので、自分勝手に連れてきて結婚させることができると思っています。推薦されてもしてあげることはできません。父母がいくら願ったとしても通じません。一番の頂上にいる者が、一番の底辺に行くのです。

 頂上と底辺は、何かというと怨讐です。怨讐同士では、「自分は頂上で、あいつは底辺だ」と言うではないですか。そのような思想、概念をなくさなければなりません。神様の前にそのような概念があるので、それを埋めるのが神様の苦労です。

 十字架で亡くなるイエス様が、槍で心臓を突き刺そうとする怨讐に対して、十字架上で「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです」と赦しを請い、愛した、ということはどういうことですか? 狂ったとしても、世の中にそのような狂人がどこにいますか? 怨讐を愛したのです。

 怨讐であるイスラエルの王宮の王子・王女と、ローマの王子・王女が結婚しなければなりません。世の中でもそうでしょう。強大国があれば、弱小国家は親戚関係を結んで生きようとするのです。同じ極同士は怨讐ではありません。

 先生もそうしました。天国の理念がどうなっているかということを知っている先生の家庭と結婚した人たちは、よいものを食べることができず、飢え、苦労した人たちです。先生の名前で、世界のだれとでも結婚することができます。

 自分勝手に探し回って、三十六家庭同士、高い家庭同士で結婚することはできません。「自分たちでしよう」という話も、自分たちだけでしたのであって、公式的な場では、そのように言うことはできません。今まで神様がそうでした。サタン世界で最も苦労し、死ぬほど苦労した人を中心として、その血族を通して結婚しようとするでしょう。そうですか、そうではないですか? この者たち! (「そうです」)。

 自分の子供をよく育てて大学に送り、博士にして、何をするというのですか? 先生は、苦労すべき先生ですか? 先生の生涯は、骨相学的にも苦労するようにはなっていません。本当に、全く! 国の逆賊が行く道もすべて行き、聖人が行く道もすべて行ったのです。そのようなことを分からずに、自分勝手に何をしようというのですか? 自分勝手にしてうまくいくかどうか、してみなさい! 逆さまに打ち込まれます。

 今から、結婚する相対はだれがなるのかというと、自分が高い位置にいれば、低い位置に行くのです。郭錠煥! 分かりますか? (「はい!」)。

 私たちの機関で高い位置についたり、位置の高い人と結婚しようとしたり、高い位置を夢見ている、そのような人たちは、みな(御旨に)反対していくようになります。御旨がそうです。聖子と殺人魔、三十三人を祝福してあげたではないですか。世の中のどこに、そのようなことがありますか。
 アダム家庭において、カイン・アベルに等差が生じました。引っ繰り返ったのです。カインが上がっていったのです。サタンの血統が、なぜ上がっていったのですか? これは、一番の底辺に下がっていくようになっているのです。そうでなければ、神様の血統が立つことができません。これは理論的です。

 分かりましたか? この二世たち! 二世のあなたたちが、裕福に、平安に暮らそうというのならば、全員、問題だというのです。国がこうで、自分の父母が不足で成し遂げることができなかったので、それ以上に苦労しなければなりません! 父母を救ってあげ、国を救ってあげ、「それ以上に行く!」と思わなければならないというのです。「楽にやっていこう」と思っているでしょう。はっきりと知らなければなりません!

 最後は、愛の道を中心として立て直すのですが、愛の道においては、真の愛と偽りの愛は反対になるのです。地獄に下りていったのです。今まで天の愛はありませんでした。私が現れるまではなかったのです。真の父母が現れて、初めて、上に上がっていくのです。上に上がっていくのが、第一ではありません。上がっていき、下りていって、地獄を解放するのです。先生が地獄を解放してあげましたか、あげていませんか? (「されました」)。あなたたちも同様です。その一家、一族、韓国民族に地獄があります。フリーセックス、ホモ、レズ、エイズ、これを除去していたならば、今ごろは抜け出ているのです。

 愛の哲学が、どこに発生するかというと、怨讐と怨讐が結婚し、その二人の怨讐の父母が、怨讐同士が闘わずに永遠に平和に暮らすことを願い、また、平和を愛する模範となることができるように願い、神様の前に、千年、万年、反対していたサタンが福を祈ってあげることができ、神様の前に、千年、万年、切実に願い、一つになってこそ、帰っていくことができるのです。このとてつもないことをおいて、自分勝手に行動してはいけないというのです。それはいけません。霊界に行ってみなさいというのです。

 祝福家庭を安物だと思っています。この者たち! どこかの旅人が来て道端で風呂敷を広げて、それがよいものだからといって、一緒に食べることができるのですか? マッチングは、昔、先生がしたようにするのです。いくら自分たち父母同士で約婚したとしても、それではいけません。それは条件です。条件としてそのようにするのです。必ず国と国が、春夏秋冬に公式的な日を定めて行うのです。人が多くなれば、毎日、午前と午後に時間を決めておいて、その時間に参席し、そこで国の代表が何百名ずつかに分けて行うのです。マッチングはすべて、教会の公認を受けなければなりません。

 それなのに、何ですか、自分勝手にやろうというのですか? この狂った者たち! 分かりましたか? (「はい」)。郭錠煥は、はっきりと教えなさい。六大州なら六大州、世界なら世界、何千名、何十万名でもかまいません。国家を混ぜて、一列にサッと並べて番号をつけて行うのです。六大州で結婚することによって、血統が混ざるのです。親戚関係になって混ざれば、争う者たちはすべて解体されてしまうのです。分かりますね? (「はい」)。

 韓国人だからといって、「私は日本人とは親戚にならない」と言うことはできないのです。今後は、抽選でするかもしれません。白人は黒人とするのです。それを「嫌だ」と言うことができますか? 兄弟です。アダム家庭の一父母の血族から分かれた兄弟です。それは事実です。そのような意味で(怨讐であっても)自分の側だと考えるのです。そうすれば、中心になります。天の国の歴史的な表象になることができ、伝統になり得る核になることができるのです。そのことを知らなければなりません。

 自分勝手にすれば、息子・娘から讒訴されます。頭の大きい人(責任者や長のつく人)たちは、警戒しなければいけません。郭錠煥、分かりますね? (「はい」)。

 三十六家庭から、今後、教えてあげた原理の基準を中心として、「家庭形成に違反することが、何々」と、家庭に関することをすべて表示して付録としてつけ、天国に入っていく時に、それに合わせて自叙伝を書かなければなりません。あの国に行ってそれが違っていれば、完全に引っ繰り返されて、追い出されるのです。適当に考えてはいけません! あなたたちが呼吸することまで、すべて見ているのです。この者たち!

 先生があなたたちのように暮らしてなせるのならば、どうしてこのような暮らしをしているのですか? 先頭に立って苦労しているのに……。「先生は苦労しているが、私たちは苦労しない」……。この者たち! 蛇が大きくなろうとすれば、十八回以上、脱皮しなければなりません。あなたたちは、何回脱皮しましたか? 百八十回、千八百回、脱皮しなければ、堕落のどん底から抜け出すことはできないという事実を知らなければなりません。

 真のご父母様がペイントを塗ってあげたのです。体が真っ黒なので、絹を着せてあげました。そのようなことを知らずにいます。頭の大きい人も、小さい人も、同じだというのです。ペイントを塗ってあげ、祝福を受けたのです。それなのに一番だと思っています。今後、先生のいる部屋に勝手に入ってくることはできません。霊界の天使たちが擁護して直ちに……。

    息子・娘の結婚問題を正しく行いなさい

 すでに全員が祝福の中心家庭になっています。あなたたちが行くべき道と、私が行くべき道は違います。今からあなたたちは出ていって、国を収拾して国家基準に上がってこなければなりません。先生がそれをしてあげることはできないのです。頂上に上がっていくのです。神様の王権まで連結されています。それをそのままで上がっていくことはできません。個人時代において闘い、大蕩減して復帰してこなければならず、家庭時代……。七段階、八段階をすべて経てこなければなりません。闘ってそれを経てくるまでは、闘ってその結果をもってこなければ、接ぎ木する道理がありません。

 家庭的メシヤが氏族的メシヤに、そのまま接ぎ木することはできません。闘って勝たなければならないのです。八段階のことを知っているでしょう。出ていって闘わなければなりません。個人時代、家庭時代ならば、出ていって闘い、サタン世界が反対する所で、その家庭全体が自然屈服し、「私たちの町から出ていかないでください」と言う時に、長子権を復帰するのです。そのようにサタン世界を復帰して上がっていくのです。何のことか分かりますか? 家庭から上がっていくのです。

 また、氏族時代においても、闘って、上がっていくのです。郡なら郡に行って闘い、反対される所で闘い、そこで「私たちの中心になってください」と言われてこそ、兄になり、兄として弟を連れてきた後、そこから民族時代に上がっていくのです。その原理を講義してあげなかったようですね。明確にしてあげなさい。ただそのままで上がっていくのではありません。出ていって闘わなければなりません。先生はそのようなことをすべてしたのです。それゆえ、その系列をすべて知っています。

 ですから、先生を絶対に信じるのです。家庭時代においても絶対に信じるのです。引っかかることがありません。氏族時代においても、絶対に信じれば越えていくのです。どのようなことでもするのです。「できない」という言葉はありません。自分の父母までも、「祭物として捧げなさい」と言えば捧げなければなりません。自分の息子・娘は問題ではありません。自分の妻は問題ではありません。神様の前では、復帰のためならば、どのようなことでもしたのです。先生の前でも、どのようなことでもするのです。

 そのようなとてつもない事実を束ね、神様の王権を樹立することが、一生の念願であったのです。永遠、永生路程の念願であったというのです。

 神様が「文総裁。何々をしなさい」と、そのように命令することができますか? その問題が生じれば、解決できるまで、神様は離れていなければなりません。文総裁が勝って越えていかなければならないのであって、神様が協助すれば、サタンが黙っていますか? 一人です。一人。あなたたちには、すべて教えてあげました。父母がいるので、すべて教えてあげたのです。それを聞き流して、腐った御言にしてすべて埋めてしまい、四十年間、そこに突っ込んでおいたというのです。訓読会をしていなければ、どうなるところだったのですか?

 金鎮文は病気ですか? (「今はもう完治しました」)。つらそうですね。(「もう大丈夫です」)。休みたいと思いませんか? (「今はもう完治したので、そのようには思いません」)。休みたいと思えば病気になるのです。先生もそうです。少しでも休みたいと思えば、五万種類の病気にかかります。足を伸ばして休むことができません。「一度死んで生き返った」と考えるのです。「一度死んで生き返った」と考えれば、死ぬほど疲れても乗り越えることができます。そのように考えるのです。痛ければ、反対にもっと痛むようにするのです。先生が生涯で、八十を越えても病院に行ったことがありますか?

 最近、お母様を見ると、先生が八十を越えたので、小さな薬局のように薬たんすを置いて、先生が長生きすることを願っています。それを飲んだからといって、長生きするのではありません。あまりにも精誠を尽くすので、私が飲んであげるのです。お母様に尋ねてみてください。食事の前、食事の後、休む時、トイレに行ってきても、どこに行ってきても、どんどん薬が出てくるのです。なぜ、そのように薬がたくさんあるのか分かりません。(笑)それを飲んだからといって、よくなるのではありません。それを信じて生きていては、長生きできません。

 息子・娘の結婚問題を正しく行いなさいというのです! 泥棒になるなというのです! 自分たちの息子・娘を貴く思って、他人の息子・娘よりも優秀にして、「国の大統領にしよう」と思うのもいけません。途中で折れてしまいます。見ていなさい。今私は、そのような家庭がどのようになるかと思い、見ています。私が教えたことが間違っているか、間違っていないかを見てみると、間違いなく当たっているのです。自分勝手にすれば、間違いなくそのようになります。

 私は、自分が言ったことは絶対に守ります。自分が言ったことを、自分が一番恐れるのです。永遠に道がふさがります。ですから、​訓読会をする時には、助詞が一つ違っていても、すぐに分かります。霊界に行くまでには、それをすべて正してから行かなければならないのです。​

 そのように理解して、子女たちを正しく育て、天の前に祝福して、立派に捧げることができなければなりません。子女だけでなく、三代です。おじいさんとおばあさん、お父さんとお母さん、孫、三代が一つになって、真の愛の結実になるのです。霊界に行けば、おじいさん、息子、孫の三人が、一つの家庭として暮らすのです。最小で、三人が一人に見えるのです。

 栗の木の種を植えれば栗が実るのですが、その栗のいがの中には、三つ入っているもの、一つ入っているもの、二つ入っているものがありますが、味は同じでしょう。同じことです。三代が一人に見えるのです。それは嘘ではありません。

 一生涯、純潔を守って生きたならば、夫の中に妻が入るのです。夫に「妻はどこにいるのですか?」と尋ねる必要もありません。「あなたの妻はどこにいるのですか?」と言えば、見つめているその夫の中から、「私はここにいる」とあいさつするのです。隠すことはできません。そのような世界に行こうという者たちが、がらくたのようになり、地上で暮らしていたその習慣性のままではいけないというのです。分かりましたか? (「はい」)。

 警告です! きょうは十四回です。過ちを犯せば、このような式典に思いどおりに参席することはできません。霊界の指令がなければ駄目です。あなたたちは、勝手に漢南洞に来ることはできません。自分勝手に来ることはできないというのです。私が呼ぶ人以外は来ることができません。そのような時が来ました。

    嫌いな人同士が親戚関係になっている

 自分たちが祝福の中心家庭だと言うならば、息子・娘を分家させなければならないでしょう。そうでしょう。虎も二年たてば、その子供たちを噛んで追い出してしまいます。最も恐ろしいのが母親です。そうであってこそ、自分の行くべき道を行くのです。あなたたちも同じです。サタン世界に行って、そのようにしなければなりません。それを連れたまま暮らさなければなりませんか、追い出してしまわなければなりませんか? (「追い出さなければなりません」)。追い出さなければなりません!

 教会に集まってけんかばかりしている者たちを追い出してしまわなければなりません。苦労して開拓しなさいというのです。開拓すれば、国王が理解してくれます。分かりますか? 神様が理解してくれるというのです。真のご父母様は、地上の国ではなく、永遠な霊界に行って責任をもつのです。先生が会ってくれると思って、好きなように訪ねてきたでしょう。今まではそのようにしてきました。

 先生がどれほど感覚の鋭敏な人ですか。芸術的な分野や文学的な分野、すべてに素質があります。サッと見れば、すぐに善し悪しが分かります。絵を見ても、すぐに分かるのです。サッと見れば、アンバランスなのが分かります。完全なものは和合することができるのです。それゆえ、原理が偉大だというのです。それを知らなければなりません。原理を知っている人は、何でもできないことがありません。「できない」と言う人は落第生です。

 亨進を見れば、運動もすべてするのです。空手でも何でも、最近では中国の拳法までするのです。いつの間に学んできたのか、私のところに来て、「お父様、私はこのようなものを学びました」と言うのです。「それで何をするのか?」と尋ねると、「それで何をするも何も、世の中には、私よりも優れていると思っている人が大勢いますが、私は自分のほうが優れていると思っているのですから、何かが優れていなければならないのではないですか」と言うのです。

 また、子供たちが「お父様。あの人は今後、統一教会に反対すると思うので、あの人には接しないでください」と言うのです。「私も知っている」と言うと、「お父様。あの人に近づかないでください」と忠告するのです。サタンがここにいないと思いますか? すべて(神様の)相対だと思いますか? しっかりしなければなりません。分かりますね? (「はい」)。正しく越えていかなければなりません。

 先生は、どんな人でも連れて歩くのではありません。今までは乞食を連れて歩き、殺人魔やそれ以上のチャンピオンのような人を連れて歩きましたが、いつまでもそのようにするのではありません。系列があります。黄善祚! (「はい」)。三十六家庭からすべて会議して、記録に残すことができる人が何人いるか、批判して選別しなさい。何のことか分かりますか? (「はい」)。そのような時が来ました。

 ですから、私の息子・娘も全員、イーストガーデンから追い出しました。顯進までです。イーストガーデンにはいません。ワシントンにいます。追い出したというのです。

 アダムとエバに相続権がありますか? 万物の相続です。この自然です。今回の修練会の総結論は何ですか? 「自然に帰りなさい」と言ったでしょう。そのように言いましたか、言いませんでしたか? (「おっしゃいました」)。自然に帰らなければなりません。きょうも、そのことを強調するのです。自然に帰りなさい。

 太陽を見習いなさいというのです。何億年間、一秒も狂っていません。やあ! 朝夕が季節によって違います。何千年間狂うことなく、朝夕、同じ公式で動き、北の世界でも、南の世界でも、同じ公式で動いています。あなたたちはそうですか? 天国に入っていくときに、かかし(=役に立たない人)のようになって、入っていくつもりですか? 中身がなく皮だけだというのです。

 息子・娘を結婚させたいと思う人、手を挙げなさい。それでは、息子・娘によい結婚をさせたいと思う人、手を挙げなさい。怨讐とするのです! ピタッと、そのようになっています。今まで祝福した人たちを見れば、嫌いな人同士が親戚関係になっています。訪ねてみなさいというのです。

 先生が町内のおじいさんのように喜ぶことだけを言えばいいのに、一番年を取った先生が、なぜそのようにしなさいと言うのでしょうか? そのようにすれば、峠を越えるのです。一番高いエベレストの山頂を、エレベーターに乗って、サッと上がっていくことができるのです。いっぺんに上がっていきます。この谷間からあの谷間に、越えていくのです。分かりますか? 人は、無限に高くなることができるのです。愛する心で尽くすのです。「心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ」と言ったのです。心を尽くす者は、いくらでも越えていくことができるのです。

 この博士は、孔子が一番嫌いだったでしょう。孔子は顔立ちが悪いのです。男性として見れば、ハンサムではありません。しかし、霊界に行ってみれば、美男子に見えます。違って見えるというのです。輝いているのです。見たくないと思っていた黒人も、黒くありません。より高いところに行くことができるのです。

 行けばあいさつをしなければなりません。御旨を知った人は、知っている顔で現れるのです。自分の好きなように変貌することができます。それゆえ、サタンの代わりに来て、誘惑するのです。ですから、原理を知らなければならないのです。自分の本心、正しい心をもつのです。三代が結ばれれば、三代を引っ張っていくことはできません。八人が一つに結ばれているのに、だれが引っ張っていくのですか?

    時代が変わる

 このような式を私が守らなければなりませんか? 時代が変わるのです。あなたたちでしなければならないのではないですか? 息子・娘をたくさん生んで、その息子・娘が世界に散らばって暮らすようになれば、全員が父母のところに来ますか? 父母の誕生日は、自分たち同士で集まってしなければならないでしょう。そうではないですか? 六大州それぞれに分かれていれば、六大州すべてに私が行くことはできないので、自分たち同士で集まってするのです。また、そのように許諾しなければなりません。

 そして、語ってあげた御言を二番煎じにした(=訓読した)としても、その二番煎じの薬を本物だと思って飲めば、本物になるのです。本物よりもよいというのです。あなたたちが精誠を尽くして、徹夜祈祷して語る言葉よりもよいのです。

 皆さんは昔、十年、二十年前に文総裁が三時間話したことを、「何のことか一つも分からない」と言ったのです。分からない立場に立っていたので分からなかったかもしれませんが、今、数十年前、五十年前に語った御言を見てみると、その通りになっていますか、なっていませんか? (「なっています」)。

 郭錠煥もそうではないですか? (「その通りです」)。先生よりも自分のほうが優れていると思っていたのです。劉孝元もそのように思っていて、私から雷を落とされました。原本の一ページだけでも解釈してみなさいというのです。一ページでも解釈できる何かがありますか? それで、私が十五ページをサッとしてあげると、「ああ、先生のほうが優れています」と言うのです。文章を書くならば自分が書かなければならないと思っていたのです。

 では、先生は、御言を正しく語りましたか、語れませんでしたか? (「語られました」)。イエス様が語った言葉を、今になって理解できるのです。それゆえ、五十年前のことを理解できますか、この者たち! 行ったり来たりしましたか、一方通行ですか? それが違います。騙すことはできません。時代が変遷するとおりに従っていくことはできません。それに歩調を合わせることはできません。真理は変わらないのです。私はそのことを知っている人です。

 あなたたちは、原理を覚えて講義すると……。この者たち! 自分の言葉や、ありとあらゆるものをつけて、まだらなものにして、白紙にカラスが糞をしたものを「白紙だ」と言っているのです。「それをすべて片づけなさい」と言うと、ここにいる人たちがみな反対しました。講義するという安物たち、全員反対したでしょう。講義は必要ありません。だれでも講義することができます。色分けされたもので、全員が講義することができるのです。「それをつくってはいけない、つくれば大変なことになる」と言ったでしょう。何が大変なことになるのですか? 自分たちがどれほど、泥棒しましたか?

 あなたたち、そのようにしてみなさい。ついて行きますか、ついて行きませんか? 今回も、アメリカの有名な牧師たちが来たでしょう。その中でも、名のある牧師を十人くらい選んで、チャートで講義すると、「ああ! よい」と拍手して、「今、生き返った」と言ったそうですね。(「理解しやすかったそうです」)あなたも講義をそのようにしてきたようですね。(「はい。私も覚えてやりました」)。それゆえ、良心の呵責を受けて、ぶつぶつ言っていたのでしょう。(笑)良心の呵責を受ければ、そのようになるのです。自信がなくなります。

 今回、開天節を中心としたその歴史について、どれほどたくさん話しましたか? すべて話したでしょう。(「はい」)。これを中心として、王権即位式をするために、お母様を先頭に立てたのです。いくら愚か者でも、自分で出世の看板をつけて築いた位置に、自分の妻を立てるような男性が、世の中のどこにいますか? 文総裁だからこそ、そのようなことを知って立てるのではないですか。​

 母の解放と女性時代というものが、自分たちのためにあると思っているのですか? 天運が唾を吐けば、すべて滅びるのです。過ぎ去ってしまいます。九二年から女性時代を宣布することができる内容、そのバックグラウンドが、どれほど広壮ですか? 神様も否定することができず、それを守ってくださり、「そうだ」と言われるのです。それをそのまま過ぎ去らせることはできないようになっています。それゆえ、たくさんの宣布をしたのです。

 あなたたちは、一代でいくつの宣布をしますか? 自分を中心として、天地の前に、天宙の前に、「宣布いたします」と言うことができる日を、何日くらいもつつもりですか? そのような日がありますか、ありませんか? (「ありません」)。

 「祝福の中心家庭である私たち」という言葉はあり得ません。祝福の中心家庭の中心は、一つです。二つあるのですか? 中心は二つですか、一つですか? (「一つです」)。すべて一つです。「私の御旨」です。「私たち統一教会の御旨」ではありません。「私の国」です。「私たちの国」ではありません。

 男性として完成した人が「私」になり、女性もそのようになってこそ、「私たち」という言葉を言うことができるのです。夫婦を中心として、愛を中心として息子・娘を生んでこそ、「私たち」という言葉が出てくるのです。家庭というものを中心として、神様も「私たち」と言い、息子・娘がいて「私たち」という言葉を使うのです。

 あなたたちは天の国に行っても、息子・娘もなく、家庭もない者たちだというのです。それなのに「私たち」という言葉を使うことができるのですか? 深刻な問題です。

 皆さん全員、一番になりたいでしょう。中心になりたいでしょう。中心になることを許諾しました。マラソンのチャンピオンたちが競争の場に出ていくときには、「自分が一等になろう」と思って出ていくのであって、「びりになろう」と思って出ていくのですか? 「びりになろう」と思って出ていけば、百回やっても、永遠にびりです。一等という匂いさえも、嗅ぐことはできないでしょう。

 そのような特権的な、祝福の中心家庭だれだれの名前。私自身も、祝福の中心家庭文総裁の名前で祈祷を捧げようと思います。中心が、個人的中心、家庭的中心、国家的中心と、すべて変わるのです。私が中心家庭になれば、だれと競争するのですか? 個人的中心家庭、家庭的中心家庭、氏族的中心家庭、民族的中心家庭、国家的中心家庭、天地で神様の代身として愛する息子・娘を、だれが苦しめるというのですか?

 李相軒氏が、「王権樹立した後、霊界に大革命が起きた」と言ったでしょう。王権樹立した後、「文総裁が孝子の中の孝子だ」ということを知るようになったのです。私が孝子ですか? (「孝子です」)。何の孝子ですか? 悪口をよく言う人が、どうして孝子なのですか? なぜ、悪口を言うのですか? 「孝子になりなさい」と、悪口を言うのです。孝子でなければ、孝子になろうという人に悪口を言うことはできません。忠臣でなければ、忠臣になろうという人を教育することはできません。そのように考えればよいのです。

 聖人になろうという人が聖人になれないので、悪口を言われなければならないのです。気合を入れてもらわなければなりません。孝子、忠臣、聖人、聖子が、ここにいます。今、心で「なろう」と思っているので、築き上げなければならないでしょう。悪口を言うことしか、することがありません。悪口を言う先生に、そのような資格があると思いますか、思いませんか? (「あると思います」)。

 私が立てた形態には合いません。いくら合わせようとしても、霊界にそのような位置はないのです。先生が入っていく天国には、そのような位置がないので、引き返していかなければなりません。すべて蹴飛ばしてしまいます。ふらふらしている世の中に通じるからといって、統一教会にも通じるのではありません。

 今回もリトル・エンジェルスでの講演の時に、私がありとあらゆる人を招待すると、喜んで集まってきましたが、その中には犯罪者もいました。いつもそのようにすると思いますか? いくら厳しい冬だとしても、春が訪ねてくれば、監獄にも春の光が差し込むようになるのです。何のことか分かりますか? 王宮において、王子の位置、王の位置、玉座にも、春の光が差し込むのです。監獄の死刑場にも、春の光が差し込むというのです。私には、春の光をもたらし、それを浴びせてあげ、触れさせてあげる責任があるのです。

 きょう私は、この場に来ながら、サッと歴史を一度振り返って考えてみました。先生に対して、「生きる!」とか「死ぬ!」とか言っていた人たちが、過ぎ去っていきました。自分の息子・娘、統一教会の人たちを収拾しようとすれば、この人たちも収拾する責任があるのです。一度捜して調べてみなければならないと考えています。

    統一教会の総論は、​絶対信仰、絶対愛、絶対服従​

 霊界の先祖たちは、生まれた土地、故郷の地に再臨していくのです。万民が再臨するのです。イエス様の能力以上です。祝福の行事をすることによって、楽園以上、天国に行くことができる先祖をつくるのです。それが理論に合う話です。

 あなたたちは、自分たちの土地であなたたちよりも苦痛を受け、善に生きて死んでいった人を知っていますか? それ以上にならなければなりません。恨に恨を抱いて死んでいった人が、霊界から地上に再臨するのです。私たちが暮らしている所に来て、協助するのです。その人を兄のように侍り、王のように侍ろうと考えるのです。それを感じなければならないという事実を知らなければなりません。

 あなたたちの主人はだれですか? 神様でしょう。国のために、すべてを犠牲の祭物にすることができるのです。そのように考えるのです。あなたたちは、どれほどたちの悪い者たちですか? 草も生命体でしょう。草の中で、虫を捕まえて食べる草を知っていますか? 虫と草は親戚です。

 あなたたちはどれほど植物を犠牲にしましたか? 野菜を食べるでしょう。野菜も血を流しますか、流しませんか? 切れば水が出ますか、出ませんか? それは血です。あなたたちの血と違うものではありません。同じです。野菜を好きなように切り、炒めて食べていますが、食べさせるために生まれたと思いますか? 愛を受けるために生まれたというのです。愛ゆえに万物が生まれたのです。

 それゆえ、野菜も自分の主体と対象において、愛を訪ね求めていくのです。その二つが一つになり、継続して実を結んでいくのです。それは、主人に吸収されるためです。人の生殖器に入っていって、赤ん坊をつくる器官の細胞になるために生まれたというのです。その実が拡大して、人類が繁殖するのでしょう。そうですか、そうではないですか? (「そうです」)。

 どれほどたくさん犠牲にしましたか? 草を見ると申し訳なく思うでしょう。木を見ると申し訳なく思うでしょう。土を見ると申し訳なく思うでしょう。砂も、鉱物質として自分が吸収したのです。それに、水を見ると申し訳なく思い、太陽を見ると申し訳なく思うのです。生命の要素です。そして、愛です。すべてのものが愛を訪ね求めていくのです。

 私が南米に行ってみると、そこには蚊がどれほど多いか分かりません。蚊が多いことを心配していると、稚魚たちがその蚊を食べて生きていたのです。稚魚です。卵から生まれたたくさんの稚魚に、何を食べさせるのですか? 蚊が昼も夜も、無尽蔵にいて、一日中そこにいるので、それを捕まえて食べるのです。「私は蚊を嫌っていたが、稚魚のえさとして与えられたものを嫌っていたのだなあ」と思ったのです。すべてそのようになっています。すべてために生きているのです。

 ワニの子供でも、口の大きな魚にパクッと飲み込まれてしまいます。そのことを知っていますか? サメの子供も、サバでも何でも、パクッと飲み込んでしまうのです。そして、今度は「おまえは私の子供を食べたから、私はおまえを食べる」となるのです。それゆえ、お互いに不平を言うことはできません。口が大きなものは、口の小さなものをすべて飲み込んでしまいます。

 魚に歯がありますか、ありませんか? (「ありません」)。(「ないものも、あるものもいます」)。あるものもいるでしょう。あるものは、骨を食べなければなりません。分かりますか? 骨を食べなければ栄養素が不足するのです。骨まで食べる体質になっているものは歯があり、丸ごと飲み込んで消化することができるものは歯がないのです。ストライブド・バスは歯があるでしょう。魚を捕まえて食べやすいように、そのようになっているのです。カモメは歯がありますか、ありませんか? 飲み込んでしまうのです。

 あなたたちも、女性は男性に引かれていき、男性は女性に引かれていき、寄り添って暮らしているではないですか。夫が必要ですか? 女性が必要ですか? (「必要です」)。

 そのように、ために生きるところにおいてのみ、愛の垣根が大きくなるのであって、「私のために生きなさい」と言うところには、愛はありません。穴しかありません。ですから、私たち統一教会の総論は、絶対信仰、絶対愛、絶対服従です。服従とは何ですか? 絶対服従とは、このくらい残しておいて「私は嫌だ」というものですか? 死ぬほどしても、もっとしなさいと言うのです。

 一周ぐるっと回って、もっとしようとするので上がっていくのです。一周飛び回ってきたものが、行くところがないので上がっていくのです。葛の蔓のように上がっていって、また大きくなるのです。そして、また上がっていって、また大きくなるのです。もっとために生きようとするので大きくなるのです。一周回って実が実り、必要がないという時には切ってしまい、新しく実を植え、循環していくのです。

 あなたたちも息子・娘を生まなければならないでしょう。息子・娘が必要ですか? それはなぜですか? そのようにしなければ人類が滅びます。いなくなるというのです。「息子・娘を生まない」というのは、人類の滅亡を宣言することです。赤ん坊を一人も生むことができなければ、二人とも滅びるでしょう。滅びますか、滅びませんか? 終わりです。終わってしまうというのです。未来がありません。独身生活をしてみなさい。どのようになりますか? 無人の境地です。

    高いところにいる人と低いところにいる人、聖人と殺人魔

 さあ、結婚問題において、だれと結婚しなければならないと言いましたか? 高いところにいる人は? (「低いところにいる人とです」)。聖人はどうですか? 殺人魔とです。その時は、どのような時かというと、終わりの日です。すべて終わりの日です。すべてが明けてくる時です。その説明は、私がしてあげたでしょう。(「はい」)。

 神様も、サタンも、人類も、満水になりました。満水になったのです。すべて満水になりました。このように入ってきた者も、このように入ってきた者も、回っていくのです。このように回ってきた者がいれば、反対から入ってきた者もいるので、満水になった時にはサッと回るのです。このように回る群れがいると同時に、あちら側では、このように回るのです。回り回るのです。回る相対が、「ああ、私が一番の主流で回らなければならない」といって回ることができますか? 傍系で回らなければならないのです。そして、水平になるのです。

 水がすべて満ちて、神様もここまで来ました。ここまで来たのです。神様も、水が満ちれば問題になる(=おぼれる)のです。だれが救ってくれるのですか? サタンもその水で死になさいと、ほっておくでしょうか? 行って踏みつけますか、救ってあげなければなりませんか?

 その中で死ぬ人がいれば、魚たちが飲み込んでしまいます。大きいものも、小さいものも、ありません。平準です。魚が「ああ、これは聖人の肉だ。むしゃむしゃ。これは殺人魔だ。ぺっぺっ」と言うでしょうか? 平等圏です。大きいものも小さいものも、大きなものは飲み込み、小さいものは食べるのです。それが回るのです。それゆえ、そのような時には、だれが神様を救ってあげるのですか? サタンと神様が闘っているのです。

 ご自身もそのままいれば、水に入っていっていなくなるのであり、サタンも……。それゆえ、闘いますか、闘いませんか? その闘いをだれが止めるのですか? 神様が止めることができますか? サタンが止めることができますか? これは嘘ではありません。闘いを止めることができるのは、真の父母しかいません。なぜ、闘いが起こったのですか? 偽りの父母ゆえに起きたのです。偽りの父母ゆえに起きたので、それを救ってあげることができる人は真の父母だというのです。

 それで、神様に「このような所で暮らしたいのではないですか? そこで暮らすには、水から陸地に上がっていかなければならないのですが、陸地に上がっていこうとすれば、どのようにしなければならないのか知っているのでしょう。自分一人では、上がっていくことができないでしょう」と言うのです。自分一人では天国に行くことはできません。再臨主、真の父母、完成したアダムである再臨主が来て、「このようにしなさい」と言うとおりにしてこそ生きるのであって、そのようにしなければ生きることはできないのです。

 「では、神様ご自身も、これこれこのような問題で今、陸地に上がっていきたいと思うのではないですか? だれがそれをすることができますか? ご自分ではできないので、今まで恨をもって嘆息してきたのではないですか。自分を解放するのは、自分ではなく真の父母であることを知っているでしょう」と言えば、「知っているも何も……」と言われるのです。

 「私がだれですか?」「真の父母だ」。「私がだれなのか、知っているのではないですか」「知っている」。「だれですか?」「真の父母だ」。「それでは、真の父母の言うことを守って、生きたいですか? それとも死にたいですか?」と言えば、「死にたい」と言うでしょうか? 「生きたい」と言うのです。「それでは、私の言うとおりにしてください」。

 怨讐を自分以上に愛するのです。怨讐と親戚関係を結ぶのです。死にそうになった時、「輸血をしなければならない。怨讐の血を輸血すれば生きることができるが、どうしますか? 生きますか、死にますか?」と言われたら、どうしますか? 「生きることができるならば、そのようにする」。
 では、輸血したその血が私を生かしてくれたならば、その血を憎まなければなりませんか、愛さなければなりませんか? 何と答えますか? (「愛さなければなりません」)。そのような立場です。

 それは、私(真の父母)が責任をもって、そのように輸血するようにしてあげるのです。その輸血をしてあげるサタンに、「神様がおまえの血の恵沢を受けて生きることができた」と言えば、どのように言いますか? 神様がサタンを救ってあげなければなりませんか、救ってあげてはいけませんか? 救ってあげなければ、神様が……。

 そのようにすれば二人が陸地に上がって、闘うでしょうか、抱き合って泣くでしょうか? 闘いますか? 怨讐になって、生きるか死ぬかの闘いをするでしょうか? 感謝して抱き合い、お互いに慰労するでしょうか? そこで一つになるのです。

 では、あなたたちがサタン世界の息子・娘とこのような立場に立ち、お互いに生かしてあげることができるその王が現れたならば、王の命令どおりに生きればよいというのです。それは真の父母しか、する人がいません。真の父母の特権です。神様にもできません。私がするのです。ですから、王権即位式をしてあげたのです。千年、万年の所願成就をしてあげたのです。

    統一教会全体の数億千家庭の前に中心家庭になる

 それでは、平和はどこから始まるのですか? 平和とは、水平になるのと同じように、平均になることです。怨讐を愛し、怨讐のために生命を捧げることができる立場に立ってこそ、平和になるのです。結婚までも怨讐の息子・娘と結婚し、結婚した翌日、以前のようにいがみ合うのではありません。翌朝から、親戚としてお互いに尊重するのです。その息子・娘は、千年、万年、王子として栄えるというのです!

 そのようになってこそ、そこから天国が生じ、そこから平和が出発することができるのです。あなたたちがそのような心をもてば、天国に入るのです。そのようにしなければ、天国に入ることはできません。先生が嘘をついているかどうか、行ってみなさいというのです。

 それをすべてなして、地獄を撤廃するのです。十二月三日に楽園と地獄を撤廃したのです。それは言葉だけではありません。そのようになるのです。あなたたちがそのように動けば、そのようになります。

 今回の使徒パウロのメッセージを聞いたでしょう。(「はい」)。王権樹立をして霊界が変わったというのは事実です。先生が「このようになりなさい」と言えば、そのようになりますか、なりませんか? (「なります」)。「あなたたちがこのようにすれば、地獄に行く」と言えば、地獄に行きますか、行きませんか? (「行きます」)。大統領でも「地獄に行く」と言えば、行くのです。私の息子・娘でも、「出ていきなさい」と言えば、出ていくのです。手本となれるように反省して悔い改めれば、一次、二次、三次まで赦すことができます。旧約時代のイスラエルを赦してあげたでしょう。新約時代も赦してあげたでしょう。成約時代も赦すのです。

 入籍祝福とは、どういうことですか? 息子・娘を復活させ、重生式、復活式、祝福式をするのです。そのような何かがあるのです。ただ大ざっぱな計算で、天の国が訪れてくると思いますか? そのようなことはありません。夢のような話でしょう。訓読会で先生がした宣言文を読んでみると、その時は何も分からなかったとしても、すべて過ぎてみると、これは恐ろしいことです。

 いつも先生はこのような道を来たのですが、どれほど経費が必要で、どれほど闘いが必要であったか、だれかそのことを考えた人がいますか? 相談できません。一人で……。先生一人でこのようなことをしてきたのです。ですから、大王陛下の神様も感服して、「私に似て、私がしなさいと言うとおりにして、このように越えてきた」と言うのです。あなたたちもそうです。あなたたちも先生を手本として、先生が必要ならば、訪ねていって関係を結ぶのです。同じです。天が命令してくれれば、行くべき道が明らかではないですか。

 今日、祝福とは何かというと、霊界をすべて解怨成就したでしょう。三十二代までですか? (「三十五代くらいになります」)。三十六代までですね。すべてしたということです。世の中のだれが、そのようなことを考えるのですか? それはそのようになるのです。祝福をして、「三日行事までしなさい」と言ったのですが、それをしましたか? 郭錠煥! (「はい」)。自分の先祖たちのことです。(「それは解怨式をする時にすべてしました」)。皆さんの死んだ赤ん坊の霊たちを三日行事まで……。

 そして、統一教会から出ていって罪を犯して、蕩減して、死んだ男性、女性たちも全員生かしてあげるのです。それは嘘ではありません。三日行事まですべてします。それは霊的にするのです。肉的基準において、自分を中心としてお兄さんたちを祝福してあげなければなりません。「私を中心として天国に入っていきたいのならば、私の言うとおりにしなさい」と言うのです。三年間、一つになって過ごすのです。

​ あなたたちが夫を生んであげたのでしょう。お母様の代身です。先生から見れば、妾と同じです。それゆえ、先生を思慕するのです。天の血筋を受けた男性は、天上にはいません。これを接ぎ木して、三日行事をするのです。生んであげて植えなければなりません。​

 そのように三日行事で天地のすべてのものを解くのですが、高速道路を築いておいたので、そのようなことが可能なのです。私には多くの恨があります。この貴い祝福が……。祝福を受けるために先生が、どれほど苦労しましたか? 世の中の、女性の受難の道、男性の受難の道、すべてを被ったのです。国を取り戻すために世界的な聖人たちが努力したすべてのこと、それ以上の立場を経て、すべての秩序を立てたのです。

 霊界に行ってみなさいというのです。父母に侍っているのならば、父母の言うとおりにしなければならないでしょう。

 皆さんは、皆さんの先祖の霊たちと、地上の一族の国民を連れて歩くのです。雁が飛んでいくとき、千万の雁がいても、一羽の長に従い、広く広がりながら従っていくのです。長は二人ではありません。分かりますか? 金家なら、金家の族長を中心として一つになって、国に接ぎ木し、その国を世界に接ぎ木するのです。大統領が総生畜献納祭を捧げなければなりません。そのようにしてこそ、世界に接ぎ木されるのです。これは、必然的な条件です。

 接ぎ木することができる内容は、統一教会の中にすべてあります。分かりますか? 真の父母の前にです。真の父母の言うとおりにすれば、ガチャッ、ガチャッと、一瞬の内に接ぎ木されます。他人が七年かかるものを、七日間で接ぎ木することができるのです。言うとおりにすればできるのです。

 一晩で国を復帰することができます。切って、接ぎ木すればよいではないですか。そのようにすれば反対がありません。私は反対されながら、それを消化しながら大きくなりましたが、サタンも大きくなりました。あなたたちは反対のない中で、接ぎ木する木を挿しさえすればよいのです。それが死んだ木では死んでしまいます。火で燃やされるしかありません。分かりますか? (「はい」)。

 統一教会全体の数億千家庭の前に、中心家庭になるのです。先生に侍って暮らすのです。先生に侍って暮らした歴史的な事情は、霊界での教材になります。知らないことを教えてあげるのですから、必要なのです。ですから、従ってきて、一つになるのです。

 このように話したわけですから、聞くなら聞き、やらないならやらず、みな四方八方に散らばって世界で暮らしなさい。​​​​​​​​​​




一休さんのような機知(トンチ)ではありません。
奇知=人とは異なる知恵
すなわち神様の知恵
世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。
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Last updated  2024.05.25 17:56:59
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