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奇   知   外   記

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2024.05.31
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​▲第42回「真の子女の日」の敬礼式後、ろうそくに点火される真の父母様​​


第四十二回「真の子女の日」記念礼拝の御言(No.2/4)
― 天一国(天宙平和統一国)宣布のみ言 ー

成約九(二〇〇一)年十一月十五日(陰暦十月一日)、韓国・中央修練院大講堂


 今日、この地上に生きている人たちは、良心を否定するでしょう?  体が願うとおりにしているのです。 体は何かというと、「自分が一番優秀である。」と言うのです。父母もなく、神様もなく、夫も女性もなく、すべて否定するのです。
 ですから、”個人主義王国時代”が来たので、その立場は、天の国を失ってしまい、神様を失ってしまい、 自分の先祖を失ってしまい、自分の国を失ってしまった立場です。そうして、家庭においては、祖父母を否 定し、父母を否定し、自分たち夫婦も否定し、息子、娘も否定するのです。
 その結果、神様も完全に否定し、天の側から見ると神様ご自身が、すべてを否定するという終末現象が起きているのが、現在、わたしたちが暮らしてい る世の中の姿であったというのです。そこには、希望 というものは、一点一画もありません。息子も、娘も、夫も、父母の前に希望がありません。
 ですから、自分自身で嘆いて彷徨し、その挙げ句、 解決策がないので薬を飲んで自殺してしまうような、 自らを滅ぼす’わな’に陥らざるをえない状況になっています。そのようなこの終末時代において、その嘆息圈 からどのようにして抜け出し、堕落によって失ったものをどのようにして奪還し、解放の世界に向かうのか、という宿題が残っているのです。

 このような宿題を解くことができるものが何かというと、父母には、二つの父母があるということです。 そのことを知らなければなりません。
 堕落した父母が偽りの父母であり、心と体が一体となった男性が、神様の本然的愛に連結され、女性も、心と体が神様的な性相的、形状的実体、アダム的な形状的実体、二つが一つになった心と体が・・・・・・。
 これは、四人の人と同じです。それが神様の絶対、 唯一、不変、永遠の愛を中心として、わたしも絶対的となり、あなたも絶対的であり、夫も男性も絶対的で あり、妻も女性も絶対的であり、息子も絶対的であり、娘も絶対的であり、夫婦も絶対的な夫婦になるのです。 しかし、そのような位置を失ってしまいました。
 それを再び取り戻してこそ、その位置に戻っていくことができるので、それを成就するために、神様は救援摂理や再創造の役事をしてこられたのです。そして 今、その位置に再び戻って、それを清算しなければならない時代が来たのです。
 今は、自分を中心として、願いや希望を持つことができない世の中です。今まで、米国の国民は、「自分は、 米国国民である。」と言って誇っていましたが、 引っ繰り返ってしまいました。「先進国」という言葉を言ってはいけない、というのです。どれが本物なのか分かりません。上が下なのか、下が上なのか、上なのか下なのか分からないということです。
 善悪ということについてですが、それを「悪善」と言いますか、「善悪」と言いますか?(「善悪です。」)それでは、「地天」と言いますか、「天地」と言います か?また、「父母」と言いますか、「母父」と言いますか?「女子」と言いますか、「子女」と言いますか?
 逆さまになっているものがあります。逆さまになっているものは何かというと、「上下」と言うときには、 父母を表し、「左右」は夫婦を表すのですが、「左右」は、本来とは逆さまになっています。「右左」にはなっていません。そのことを知らなければなりません。
 それは、なぜでしょうか? 良心は、ありのままを 率直に告げるようになっています。終末になれば、必 ず良心が、"自分宣言”をするようになっています。ですから、「私は罪人である。間違っている。そのことは正しい。」と言わなければなりません。
 共産党は、赤です。赤いものは、危険千万であり、 嫌いです。白色は、何ですか? 安全である、という のです。すべて、そのようにありのまま率直に告げるのです。 サンノム
 サタン世界は、「この野郎 (쌍놈)。」と言って、悪口 を言うでしょう?しかし、悪口は、悪いことばかりではありません。サタンが最も嫌う“双(쌍ーカップ ル)”になるのです。分かりますか? 神様を中心とし た“双(쌍ーカップル)』が最も憎らしく、最も恐ろしいのです。ですから、サタン世界は、そのように悪口を言うのです。(韓国語の「野郎 [쌍놈)」と「双 [쌍]」 の発音の一部が似ていることから)
​ ですから、わたしたちが真と偽りを分別するとき、 自分の心と体の中には、“真”と“偽”が定着している ということを知らなければなりません。何が定着しているのですか? ”真の父母”と“偽りの父母”です。 このようになるのです。“真の父母”と“偽りの父母” が定着しており、”真の夫”と”真の妻”が、逆さまに なっています。ですから、”偽りの父母”です。​
 “真の子女”とは反対の“悪の子女”、“悪の夫婦”、 "悪の父母”、“悪の愛”と一つになっている世の中で あるということを知るようになるとき、ここで真なる 愛を捜し出すためには、根源からすべて否定しなけれ ばならないのです。
 多く宗教は、より深く信仰し、求めていくようになれば、出家を求められることがあります。「家と国を捨てて乞食のような立場になり、地獄の底に降りていきなさい!」と、そのように、「否定しなさい。」と言わ れるのです。そして、「独身生活をしなさい。」と言い ます。
 最も憎むべきことは何かというと、神様の御前で、偽りの愛を始めたということです。これで世界を蹂躙し、神様を蹂躙したので、千年、万年たっても、これを見るのは嫌なのです。ですから、否定しなければ、 否定の否定をしなければならないというのです。

 それゆえに、今日の統一教会も、先ほど訓読したみ 言(一九六八年十一月二十日、第九回「〔真の〕子女の 日」に語られたみ言「『〔真の〕子女の日』はいかなる日か」)の中でも、詳しく話してあげていますね? 子女から父母を取り戻し、「(真の)父母の日」、「(真の) 子女の日」を中心として、実体から形状実体、心情世界まで完全に否定して、新しい本然の世界に帰らなければなりません。
 アダムとエバは、神様を中心として、三代を実現することができませんでした。ですから、三代を成し遂げなければならないのです。
 それでは、祝福とは何ですか? 皆さん。祝福とは何かというと、神様は第一創造主であられ・・・・・・。分かりますか? 神様は、何創造主であられるというのですか? (「第一創造主です。」)アダムとエバは、何ですか? (「第二創造主です。」)
 アダムとエバは、第二創造主なのですが、第一創造主であられる神様は、アダムとエバを生みましたが、 第二創造主であるアダムとエバは、第三創造主を生むことはできませんでした。それは何かというと、神様が三代の孫を持つことができなかったということです。 孫です! 分かりますか? なぜ、孫を持つことができなかったのかというと、 アダムとエバが、神様と同じように息子、娘を生んで第二創造主として完成することができなかったからです。
 そしてまた、アダムの息子も、第三創造主の立場に立ちます。それで、第三創造主になろうとすれば、おじいさんの愛とお母さんの愛、二つの愛を受けなければなりません。おじいさんの愛は霊的世界を代表し、 お父さんの愛、父母の愛は、この現実世界の愛です。 天上世界と、現実のサタン世界を代表する二つの愛が、アダムとエバを中心とした息子が受けなければならない愛です。
 ”心的”世界の完全相続を成し、”体的”世界の完全相続を成せば、父子関係の二代の因縁をすべて相続したことになるので、天上世界と地上世界、二つの世界を受け継ぐことができるのです。
 それは、どういうことであるのかというと、 アダムとエバを中心としたものよりも、第三創造主となるアダムとエバの息子も、息子、娘を生んで、初めてそこから種ができて広がっていく、ということです。神様が、いくら偉大であられるとしても、創造は、アダムとエバしか成すことはできませんでした。分かりますか?
 アダムとエバは、結婚してから、どうなると思いますか? 子供を何双くらい生むと思いますか? 先生 でも、十三人の息子、娘を生んだので、それは、十三双を生んだことと同じです。アダムとエバが、百歳以 上、何百歳までも生きたならば、息子、娘が、どれほどたくさんいたでしょうか? 三十六双は、問題あり ません。
 ですから、アダムとエバの孫は、そして息子は、神様よりもりっぱであり、アダムよりもりっぱであるということです。それゆえに、神様もご自分が愛される 相対は、自分よりもりっぱであることを願われ、アダムも、愛する相対が、自分より以上にりっぱであることを願うのです。
 神様も同じです。神様の愛の相対は、アダムとエバです。神様は、そのアダムとエバが、ご自分よりもりっばであることを願われ、アダムとエバも、自分たちの息子が、自分よりもりっぱであることを願うのです。
 同じように、やはりアダムも、自分の相対はエバなのですが、エバがアダム自身よりもりっぱであることを願い、アダムとエバのふたりが生んだ息子が、自分たちよりもりっぱであることを願うのです。同じことです。
 ですから、神様も、願われた所願が何かというと、 アダムとエバの創造が目的なのではなく、三代目となるアダムとエバの息子、娘、そしてさらに孫が、理想の創造目的であったのです。アーメン! このようにならなければなりません。そこで完成するのです。そこで初めて、種が種として完全になるのです。
 そこでは、すべて父母となり・・・・・・。そうではないでしょうか? 霊的父母、肉的父母、縦横の父母がいて、 肉的な夫婦が、未来における霊的な夫婦となり、肉的な新郎新婦時代、肉的な約婚時代、肉的な息子時代、 肉的な子供時代、肉的な赤ん坊時代、すべて連結されるのです。
 神様は、八大心情圏の主人になることができませんでしたが、そのようにして本然の血統的関係が完成されるはずであったのです。エバの腹中にいる息子、娘に対して、神様が、喜びながらエバのおなかに耳をあてて赤ん坊が動きまわる音を聞こうとされ・・・・・・。皆さんの夫が、そのようにするでしょう? 最初の子供を宿したときは、特にそうです。
 神様は、エバの腹中に宿った赤ん坊に対して、皆さんが祝福を受けて宿した赤ん坊を、皆さんの夫が愛する以上に愛してみることができたでしょうか、できな かったでしょうか? 愛してみましたか、愛してみることができませんでしたか? (「愛してみることができませんでした。」)してみることができなかったので幸福ですか、不幸ですか?(「不幸です。」)不幸なのです。
 神様は、すべてを失ってしまわれました。八段階の愛の主人であられる神様が・・・・・・。エバが赤ん坊を生むとき、エバの陣痛のときにも、その主人であられるべき神様が主人ではありませんでした。他の主人が、すべてを持っていきました。 また、エバが赤ん坊を生んでから育てるときにも、そのエバが生んだ赤ん坊をひざの上に乗せて、三年なら三年、赤ん坊が言葉を話すときまで、そのような時期にも、赤ん坊を愛してみることができなかったのす。なぜでしょうか? 血統が違うからです。怨讐になっているのです。

 もう明日、あさってには結婚するはずなのに、怨讐が、その妻を奪っていって赤ん坊を宿してしまった、という立場です。そのようなときに、その新郎が妻を訪ねて行った場合、その赤ん坊に関心が行くでしょうか? また、その妻をほうっておくということがあるでしょうか? 

 その子供でも何でも、妻でも何でも、殺したい思いではないでしょうか? 皆さんも、そうでしょう? 夫に対する怨讐がいた場合、会えば殺してやりたい思いになりますか、助けてあげたい思いになりますか? 殺したいような思いでしょう?

 ですから、神様にとって、堕落した人間世界には、 ご自身の相対としての"エバ”というものは、一人も いません。アダムもいないのです。失ってしまったのです。
 それでは、どうすればよいのですか? 再創造しようとすれば、どのようにするのでしょうか? 再創造して、堕落しなかったとき以上に愛するということは、 神様には、死ぬことよりも嫌なことです。死ぬよりも嫌なのです。

 それでは、どのようにすれば、これを救援することができるのでしょうか? 神様の戦略戦術は・・・・・・。神様が、人間を滅ぼすなどして、ご自分がしたいとおりにすれば、人類の種がなくなってしまいます。永遠に、この地上では、人間が主人です。ですから、そのようにすれば、創造世界の主人が生まれる道がなくなってしまうのです。 
 ですから、神様が責任を持たれて、悲しい、悲しい峠を越えるとしても、主人の位置を再びつくって、これを立てようとされたのが、千辛万苦の苦労をして野生のオリーブの木を真のオリーブの木に接ぎ木する道だったのです。
 しかし、それは、野生のオリーブの木にもなりません。ボブラや他の木が、野生のオリーブの木になることは、野生のオリーブの木が真のオリーブの木になることよりも、もっと大変なのです。
 神様は、そのような苦労をされて、野生のオリーブの木までつくってあげ、世界的な歴史において、宗教を通じて野生のオリーブの木畑を、天の側の野生のオリーブの木畑に変化させてきたのです。そうして、それが人類の半分以上になれば、そこに主人である一つの真のオリーブの木が来られて、野生のオリーブの木を切ってしまって、一度に神様が・・・…。
 しかし、神様の所有権だからといって、思いどおりにサタン世界を打って、奪ってくることはできません。 ですから、それは、自然屈伏させて、天の側の野生のオリーブの木となったものを切ってしまい、一つの真のオリーブの木に接ぎ木して、すべて真のオリーブの 木畑にするためなのです。
 あぜんとするようなことです。それは、真のオリーブの木を願われる神様が、そのようにする道しか、接ぎ木するしかなかったという事実です。神様は、実体を愛することができなかったのです。
​​ ですから、しかたなく真のオリーブの木をつくり、 神様は、「わたしに似なさい、似なさい。」と言われながら、復帰摂理を進めてこられる過程においても、失ってしまわれたアダムとエバを創造理想として見詰め続けられ、その二つの心を一つにされるのです。

 そのようにして、「"絶対愛”を中心として、父母の中の父母であり、王の中の王であり、新郎の中の新郎であり、子女の中の子女になろう。」と言うことのできる家庭をつくらなければなりません。そのような家庭をつくる基盤が、この地上に現れることによって、初めて神様が臨在され、本然の愛を中心として主が来られ、真の父母が来られるのです。​​
 アダムとエバの家庭、一家庭だけではありません。 皆さん。「第四次アダム圈『祝福中心家庭!」それが、 簡単な言葉でしょうか? それが、どれほど大変なことか分かりません。そして、それは、アダム家庭一つではないのです。全世界の峠を越え、数千万、数億の 家庭を代身した勝利の覇権を中心として、皆さんが、すべて平等な価値を備え、「祝福中心家庭」として……。
​​​ それは、アダムが、堕落せずに完成して、祝福を受けたものと同じです。そうして、それを中心として、それまで何千万年もの間、空いていた天の国の倉庫が、地上に真の父母が来られることによって、すべてされるのです。すべてを蕩減復帰して、これを接ぎ木し、野生のオリーブの木畑を真のオリーブの木の家庭につくりかえ、それを一度に合わせるのです。 ​

​ それゆえに、神様ご自身もそうであられるのですが、そのために真の父母は、神様よりも、どれほど途方もない十字架を独りで背負ってきたのかということを皆さんは知らなければなりません。それが、「祝福中家庭」です。分かりますか?​​​
 今、「祝福中心家庭」は、一つですか、数億ですか?数億ですが、すべて価値は、平等であるというのです。そこで、これから先祖が、一等、二等、三等、四等と、決定されていくのです。アダムとエバの子供も、今までの千代万代の子供も、その価値はイコールです。

 しかし、そのように同じ価値を持っているのですが、 先祖的系列が、すべて異なるのです。国家的系列や民族的系列が、それに従って決定され、先進国家、中進国家、後進国家の形態が展開していきます。このよう な一代圏内の「祝福中心家庭」の中で、それが生じる のです。

 ですから、ここで、天の国に行くことができる人、 楽園に行くことができる人、というように決定されるのです。霊界には楽園がありました。その楽園に監獄が生じます。神様の国を中心として、違反したすべての人たち、法を守らない人たちは、永遠の地獄としてなくなることもありうる世界ですが・・・・・・。

 しかし、たとえその地獄に入っていくとしても、その刑をすべて蕩減すれば、服役を終えれば、すべて帰ってくることができることと同じです。
 それを自分の一族が協助し、自分の先祖も、国まで協助して、解放的後援をすることによって、永遠に地獄には行くことはないというのです。千万の苦労をして、それを克服して越えていかなければならないということです。
 ですから、本然の世界に入っていくことが、どれほど大変でしょうか? 皆さん一代で、統一教会を二十 年間信じたということは、問題にならないというのです。分かりますね?
 それでは、神様が捜し求められるものは何かというと、第三代まで堕落せずに、神様から祝福を受けることによって、神様の家庭が定着することです。そのためには、「神様の国」の王であられる神様の愛をたっぷりと受けることができる、そのような家庭にならなければなりません。
 それが、家庭においては、おじいさんが過去の霊界を代表し、父母は現在を代表し、息子、娘は未来を代表するのです。これが三つです。
 それでは、家庭を中心として見れば、おじいさんは霊界を代表し、父母は、この時代を代表し、息子、娘は未来を代表するのですが、この息子、娘は、おじいさんにとっての孫に当たるので、おじいさんの愛と父母の愛を受けなければなりません。
 わたしも、じっと考えてみると、自分の息子、娘が生まれて育てるときには、あたふたとよく分からなかったのですが、孫が息子、娘よりも、もっとかわいいと感じられるのです。
 最近の韓国を見てみれば、おじいさんとおばあさんが、「ああ、早く結婚して、わたしに孫を抱かせておくれ。」と願うでしょう?なぜ、そうなのかというと、 神様は、”おじいさん”に当たるからです。おじいさんであられる神様です。ですから、おじいさんは、神様の立場を代表して、霊界から派遣された全権大使と同じであるというのです。

 それは、わたしたちの家に来て、神様の代わりに伝統を正すのです。堕落してはいけないということです。そのような天の国の全権大使です。天の国の実体の王として来ているのが、おじいさんであるというのです。 分かりますか?

Family 20021 30  

<第四十二回「真の子女の日」記念礼拝の御言(その3/4)に続く>


 父母とは、何でしょうか? この時代の王です。この時代です。現世において、父母はだれなのかという と、王です。現世です。
 わたしたちの家には、二つの世界の王がいらっしゃるのです。祖父母、それから自分の父母、それから自分は三代目に当たります。三代は、天の国を相続するために必要です。おじいさんから愛を受ければ、相続することができ、父母から相続することができるのです。二つの世界の先祖の愛を中心として……。
 それが何かというと、霊界と肉界の愛の中心代表者の結実が、アダムとエバの息子、娘の立場であったということです。これを失ってしまったので、天の国は、ぽかんとすっかり空いてしまい、地上もすべて失ってしまったのです。これを再び、埋め合わせていくためのものが、祝福家庭であり、子女の立場であるということを知らなければなりません。何のことか、分かりますか?
 ですから、皆さんの時代において・・・・・・。先生は、このすべての世界、サタン世界において蕩減し、すべてのサタンを整理しておきました。個人時代も、家庭時代も、氏族時代も、もう迫害はありません。

 先生は、迫害を受けながら、それらをすべて整理したので、




一休さんのような機知(トンチ)ではありません。
奇知=人とは異なる知恵
すなわち神様の知恵
世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。
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Last updated  2024.06.06 19:19:15
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