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奇   知   外   記

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2024.10.02
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​文鮮明先生御言選集 20020324

- 三月二十四日 聖日礼拝の御言(No.3/3)​

真のご父母様の御言
三月二十四日 聖日礼拝の御言
二〇〇二年三月二十四日、米国・ニューヨーク州ベルベディア
 

このみ言は、2002年3月24日、米国のベルベディア国際修練所で行われた聖日礼拝で、真のお父様が語られたみ言を翻訳、整理したものです。
編集の都合上、一部割愛しました。

(『ファミリー』2002.5月号)


Family 2002.5 32

 尹(世元)博士も、そうです。教授職をしたからと いって、尹氏内において、まず僕と同じ立場に下りて いくのです。最初は、僕です。そうして、八段階の道理の法則を通して、僕から養子、庶子、子女の立場に上がっていくのです。そのようにしようとすれば、すべてが歓迎しなければなりません。橋を架けなければなりません。はしごを架けなければなりません。それゆえに、個人完成するためには、家庭において試験し、家庭のためにすべてを投入し、その家庭が、すべて自分に従って来るようになるとき、自分は家庭の中心の位置に行くのです。そうすれば、おじいさん も、父母も、そのような自分を先頭に立ててくれるのです。そうですか、そうではありませんか?(「そう です。」)
 それで、そこにおいて、家庭がそのようになれば、氏族、一族を中心として、一番端に行って、家庭から氏族まで愛しながら、水平線をつくらなければなりません。そして、その全体が、一方に偏らずに回っていってこそ、自分の中心の位置と中央とを合わせて、中心の位置に接ぎ木し、ここで、縦横を垂直に合わせた所から上がっていって、発展するのです。
 ですから、はしごを架けて、これが個人から氏族、端から中央まで経ていかなければならないのです。蕩減法が、分かりましたね? (「はい。」)それは、金氏 なら金氏の氏族を復帰しなさい、ということです。そのようにしなければ、国まで行くことができません。中心は、すべて、わたしが定めてあげました。
 個人完成、家庭完成、氏族完成、民族完成、このようにして復帰していき、民族の反対を受けずに、平和大使と族長を教育しておいて、統一教会の指導者、総会長、この三人が一つになって、旧約時代、新約時代、成約時代に越えていきなさい、というのです。
​ そのようにすれば、神様の主管圏の八段階、神様の玉座まで解放することによって、不可避的に、そのように行かなければなりません。そして、兄弟を抱き込み、母を抱き込み、母を中心として、サタン世界に繁殖したその一族を収拾し、自分を中心として、母と息子、娘が一つにならなければならないのです。​
 そのようにして、氏族の中心になってこそ、アダム家庭において崩れてしまった立場を復帰することができます。そのように、全体を代表して氏族圏内で勝利の覇権をつかむとき……。

 その夫は、何ですか?  男性たちは天使長です。男性は、家庭に居ながら息子、娘を利用して、酒を飲み、放蕩しようとします。それは、だれによるものなのでしょうか?
 ですから、真の父母の思想を母が受けて、息子、娘を再び生み変え、真の父母を中心として、分立された家庭の兄弟が一つになり、母が一つになり、その三人が、父を逆さまに立てておかなければなりません。
​ わたしたちが聖酒式をするとき、真のご父母様の聖酒を、女性に与えるでしょう?  女性に与えて……。信仰の息子、娘を中心として、心と体が一つになりなさい、というのです。心と体が一つになり、女性を中心にして、逆さまに復帰していくのです。​
​ ですから、真のご父母様が教育していることは、カインとアベルと母が、完全に一つにならなければ、自分の夫を迎えることはできないということです。 世界の高い位置にいる人も、低い位置にいる人も、 文総裁を真の父母として歓迎するのです。​
 「真の父母」という言葉は、悪いものだと思っていたのですが、真の愛があり、真の父と真の母がいるので、これは、本当に良いですね。今まで、偽りの父母を中心として暮らしていた西欧の人たちの息子、娘には、今、真の父母がいるので、希望が満ちています。

 真の父母がいなければ、かわいそうでしょう?  どこに行くというのですか?  故郷がありません。どこに行くのですか?  全員、放浪するのです。

 この八段階は、分かりますね?  尹(世元)博士も、これをすべて行かなければなりません。この頭の大きい者たち(=責任者たちのこと)は、全員、そうです。

 先生が、この米国に来てから三十四年です。(米国にいるのは、)二〇〇四年まで、です。きれいに終わらせて、荷物をまとめて帰るときには、わたしが投入した何百倍、何万倍の利益を、神様の御前にささげなければならないのであって、損害を出したまま行くことはできません。
 ですから、この十四万四千(の祝福で)、教派を一つにするのです。イエス様の弟子は、皆、同じ弟子です。弟子を中心として、三代圏を成すことができなかったイエス様までも……。
 イエス様も、三代で長兄になっているというのです。 しかし、長兄になっていても、何も分かりません。地上で、真のご父母様に侍ることを、イエス様の所に行っ
て教えてあげる……。今、行って、教育しているではないですか?  霊界は、統一されています。
 ですから、あなたたちが、地上で、そのような責任を果たすことができなければ、「おい、この偽者め。先生が、あれほど教えてあげたのに、何をしたのか? こいつめ!」と言われるのです。
 それゆえに、”すべて、自分が責任を持っていこう。” と考えてみなさい、というのです。国の逆賊として全体が反対し、十二年たてば、蕩減すべき状況が変わります。分かりますか?
 家庭を失ってしまっても氏族を取り戻し、氏族を失ってしまい、民族を失ってしまっても国家を取り戻し、国家を失ってしまっても世界を取り戻すようになっています。
 ですから、ジグザグになるのではないですか?  そ のように理解して、この体を占領しなければなりません。心と体は、一つです。統一です! 「統一。」と言ってみてください。(「統一!」)
 エデンの園では、神様から、ペアになっているすべてのものは、ために生きる愛を中心として、ために生きるようになっています。すべてが、ために生きるのであって、自分勝手にすることができるようにはなっていないのです。
 ところが、アダムに分別がなかったがゆえに、そのようになったのであって、アダムが(真の愛でエバを) 愛することができていたならば、山を歩き回りながら、 自分が主人になるために、うさぎ狩り、きつね狩り、魚釣りをしたでしょうか?  愛が分かっていたならば、 そのようなことはやりもしなかった、というのです。

 アダムは、愛が分からなかったので、そのようにしたのですが、天使長は、相対もなく、周辺を見ると、すべてのものがベアになっています。すべてがベアになっていて、春夏秋冬の季節に従って……。

 アダムが十六歳で堕落したならば、(天使長は、それまでの)十六年間、周辺のペアが、子供を産んで群れを成し、一族を築いて暮らすのを見ていたというのです。ところが、天使長には相対がいません。
 しかし、神様が、アダムとエバを祝福してあげる時まで、神様ご自身が(アダムとエバを)育てることはできません。天地を創造された神様は、投入して忘れることにお忙しいので、それを管理し、保護することができるようにつくられたのが、天使長だったのです。

 ところが、天使長がじっと見てみると、アダム自身も分別がなく、自分に女性が必要であるということが分からなかったというのです。アダムは、ただ野原に出て行って走り回り、かえるの子どもから魚、ねずみ、うさぎのようなものを捕まえたりしていたのです。

 きつねのようなものを追いかけて、夜遅くまで歩き回り、明け方に起きてはついて行き、三日くらいついて行けば、いのししでも疲れて起き上がることができません。そのようなことを知るようになるので、アダムは、明け方から飛び出して行って、昨日、追いかけたきつねを捕まえるために、山に駆け上っていくというのです。
 ですから、そのようなアダムに、エバがついて行くことができるでしょうか?  エバは、「お兄さん! 私を連れて行って。」と言いながら、泣いたというのです。 分別がつくまで、思春期になるまで、エバは何度も泣いたのです。
 その時は、裸で暮らしていたでしょう?  裸で暮らしていたのです。裸で暮らしていたので、天使長も裸で暮らし、エバも裸で暮らしていたのですが、エバが泣けば、天使長はそんなエバを背負ってあげたでしょうか、背負ってあげなかったでしょうか?
 また、天使長が抱いているときに、エバは泣き疲れて、天使長のひざの上で眠ったでしょうか、眠らなかったでしょうか?
 天使長が考えてみると、春夏秋冬、一年中、周辺のものは、すべて雄と雌が一つになって、さまざまな子どもが産まれ、まだらの子牛がいたり、ありとあらゆるものが産まれて、父親を中心とし、母親を中心として、一族を築いていくのを見ていたのです。そのようなとき、どれほど楽しそうに見えるでしょうか?
 ですから、エバが自分のひざの上で眠っているときエバの陰部と天使の生殖器が触れるときが、「なかった。」と言えるでしょうか?  そのようなとき、“ああ、私も、あの雄と雌のように、一度愛してみれば、子どもがたくさん生まれてくるのではないかなあ。”と、考えたでしょうか、考えなかったでしょう か?  答えてみてください。考えたでしょうか、考え なかったでしょうか? (「考えました。」)
 アダムが出て行って、エバがついて行くことができずに、泣き疲れてすやすやと眠り、目が覚めると、天使長のことをアダムであると思って、首に抱きついて、 「ああ、少し抱いてほしい。」と言いながら、ありとあらゆることがすべてあったのです。
 そのとき、エバの体は、天使長に対して秘密がありません。また、天使長に対して、エバも同じ(気持ち) なのです。自然界の昆虫から動物、すべての生物が、 そのようにしながら子どもを産むのと同じように、自分も……。
 アダムは、(そのようなことが分かりません。天使長は知っていたので、エバが、自分のひざの上で眠っているとき、お互いの陰部が触れ合うとき、力を「えい!」と、入れさえすれば、愛の関係が成されるということを思っていたのです。そこに関心があったでしょうか、なかったでしょうか?
 男性たち。忠清道の人。どうですか? (「はい。」) 自分が天使長なら、そのようなことに関心があったでしょうか、なかったでしょうか? (「関心があります。」) 関心があれば、そこに注目して、”触ってみたい。”と 思い、女性も、出ているものに触ってみたい。」と思ったのではないですか? (「はい。」)
 そして、愛し合えば子供が生まれるのですが、霊的存在の天使長が、自分も、霊的にのみではあっても、 エバと愛し合えば、このように子供が生まれるのではないか。”と考えるとき、”そのようにしてみたい。”という衝動が走ったでしょうか、そのような心が起きなかったでしょうか? (「そのような考えが起きました。」)
 ですから、すべてがために生きる愛、神様もために生きる愛、すべての動物もお互いにために生きて、そのようにするのにもかかわらず、これは独り、天使長だけが、瞬間的な”自体自覚性”を持ったというのです。”自体自覚”です。「やあ、このようになれば、どうなるだろうか?」と思うのですが、そのような心の思いを……。

 皆さんも、だれかが自分のことを呼んでも、愛の関係に対して恋い慕っているときには、自分のことを呼ぶ声を聞くことができずに、忘れてしまうではないですか?

 ですから、神様が、「取って食べてはいけない。」と おっしゃったということよりも、”「取って食べてはいけない。」と言うので、その結果はどのようになるのか、 気になる。”ということを、深刻に考えたのです。そうして、そのようなときに、抱きながら力を入れれば、すべて終わるのです。このように堕落したというのです。
 そこは、絶対にために生きることができる環境であったにもかかわらず、瞬間的に感じる衝動的愛の力が、 瞬間を感じる自覚的な力よりも強かったので、我知らず行動することによって、堕落せざるをえない立場であったということを、肯定しなければなりません。

 梁昌植氏。(「はい。」)そのような立場にいれば、自分は、どうすると思いますか? (「……。」)ああ、尋ねているではないですか? (「相当に危険です。」)(笑い) 「相当に危険だ。」というのは、また、どういうことですか?  少し良いことは良いようですね、この人は。

 そのようになるのは、間違いありません。それを「朱に交われば赤くなる」というのです。「白鷺は、からすが遊んでいる所には行くな」という……。それが、 「朱に交われば赤くなる」ということではないですか?  危険性があるというのです。
 ですから、「火遊び」というのです。西洋にも、「火遊び」という言葉がありますか? (「play with fire' です。」) 火遊びしていて、風が吹いてくれば、すべて燃やしてしまい、ほこりまで、灰までなくなってしまうのです。恐ろしいことです。ですから、そこには”自体自覚”というものが……。
 瞬間的に”自体自覚”した愛の衝撃によって、我知らず行動してしまう危険性があり、神様は、人間がそのような存在であることをご存じであったので、「取って食べてはいけない。」と、勧告されたのです。神様がご存じなかったのではないのです。
 このように、瞬間的な”間違った自覚”が起きて、神様までも、宇宙も完全に引っ繰り返ったのです。血筋がそのようになったので、それを引っ繰り返して、本然の位置に戻すことが、どれほど大変でしょうか?
​ それで、これ(体)を否定しなければなりません。 体を殺さなければ、生きることができる道を捜し出すことはできません。「ヨハネによる福音書」第八章四十四節を見れば、「あなたの父、悪魔」と出ているでしょう? 「悪魔の血筋」と出ているのです。​
 ですから、サタンの血筋であるということを否定する道理はありません。このような血筋を、世界的に否定しなければならない神様は、どれほど、ぼう然自失されるでしょうか?  あなたたちが、神様の立場ならば、どれほど、ぼう然としますか?
 それゆえに、愛で過ちを犯したので、偽りの父母となり、偽りの愛、偽りの生命、偽りの血統となって、サタン世界になったので、すべて”地獄化”です。天国に行った人は、一人もいません。

 それは、救世主が来て清算しなければなりません。そのメシヤである真の父母は、数多くの宗教指導者たちが犠牲の代価を払い、その中に来るのです。​真の父母は、永遠に一つです、​
​ そのような、永遠の前から永遠の後まで、真の父母になることができる存在が、アダムとエバでした。ところが、創造理想の中で、神様が捜し求めておられる真の父母であるアダムとエバを失ってしまいました。 堕落して壊してしまったのです。壊してしまったので、それを成就しなければ、正すことはできません。​
 その時までは、神様は悲惨です。死んだ息子、娘を復活させなければならないのです。しかし、神様ご自身も、それをなさることはできません。
 ですから、人間が無知から堕落したので、人間が覚醒してこれを捜し出し、千辛万苦の苦労をして、天の秘密と心情世界を明らかにして、堕落した世界の秘 、地獄のをすべて埋めてしまい、天上世界の門をすべて関けることができるようにしなければなりません。
 そのために、内外の内容を明確に語った真の父母,、堕落していない本然の基準に立つ、主人の立場を備えることのできる真の父母が、この地上に来なければならないのです。それで、神様が一代であられ、真の父母が二代であり、真の父母によって祝福を受けた人たちが、第三代圏に入っていかなければなりません。

 神様は、失ってしまわれた三代圏の家庭基盤を取り戻されるのです。それが、統一教会において、真の父母を中心として、真の父母の家庭を中心として、第三代圏に接ぎ木しておいて……。

 接ぎ木して、皆さん自体が、そのままではいけませ ん。先生の息子、娘の前に、家庭的に十二家庭が絶対的に一つになってこそ、イスラエルの定着が展開するのです。
 また、イエス様の時代の百二十人が、それぞれの家庭において息子、娘と一つになり、そして百二十家庭 全体が一つになって、王として侍ることができてこそ 復帰されるのです。それは、とてつもない内容です。 選民圏にメシヤをお迎えし、メシヤを中心として、カ インとアベルが家庭的に一つになってこそ、復帰され るのです。
​ ですから、個人から世界まで、天地まで、完全に復帰された、そのような家庭基盤の上に、真の父母、真の神様、天地父母が解放されるという理論は、不可避の理論であるというのです。​
 それゆえに、これを促進化させようとするので、家庭を超えて氏族を編成し、三億六千万双を超えることによって、三十億以上の人類を超えることのできる家庭基準を中心として、偽りのオリーブの木畑にある木を切ってしまい、真のオリーブの木の畑に接ぎ木することによって、一時に……。

 米国の人口が二億八千万であるなら、その二億八千万人が、「私たち米国国民は、キリスト教文化圏であるので、何日の何時、レバレンド・ムーンを通して祝福を受ける。」と言えば、そのとき、天の国にすべて転換されるのです。一時間で、何千、何億万を復活させることができます。それが、サタン世界にはないことなのです。
 そのようにして、一時間で天下の万民が、何億もの人が祝福を受けるのです。それは、すべて兄弟です。神様の兄弟のように、どこの国、どこの伝統よりも、 世の中の何よりも、お互いのことを貴く思い、兄弟の因縁を自分の一族よりも、自分の国よりも、もっと尊重視することができる群れにならなければなりません。そうでなければ、天の御前に、三代圏の神様の息子、娘、兄弟友愛の圏を捜し出すことはできないのです。

 世界の指導者たちを育て、一度に平和大使として送って、天の解放圏に杭を打ち込めば、台風が吹いてきても、大きな艦船が、そこに結ばれて、台風を避けることができるのです。

 ですから、今は、個人救援時代ではありません。家庭救援時代になり、氏族救援、民族救援、世界人類救援時代です。今は、六十億人類を、一週間以内に復帰することができるのです。
 そのようなことが、私たちの目の前に訪れてくるので、先生は、時を争って、そのような環境をつくるために、あらゆるものを投入しては、そのことすらも忘れながら、今までやって来ました。そのために、世の中に手を出さなかったものがなく、 く、やらなかったことがないという事実は、当然のことです。アーメンです。(「アーメン。」) 
Family 2002.5 40 <完>

​​


一休さんのような機知(トンチ)ではありません。
奇知=人とは異なる知恵
すなわち神様の知恵
世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。
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Last updated  2024.10.02 23:38:08
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