|
カテゴリ:自然・ネイチャーのおはなし
北杜市須玉インター付近の七里岩動画映像
中央道須玉ICから韮崎ICに向かう右手にみえる七里岩。八ヶ岳が山体崩壊してできた28kmほど岩屑(がんせつ)なだれの跡だ。2019年11月19日撮影。YouTube。 https://www.youtube.com/watch?v=8udT2C1JtQU&feature=youtu.be (不適切な表現などについては意に反するものですのでご容赦ください) 資料】 火山、地震と山体崩壊そして土石流と岩屑流など 日本列島の地下( 火山 )マグマの分布(磐梯山の火山による水蒸気爆発による山体崩壊など) YouTube 八ヶ岳の古阿弥陀岳噴火と山体崩壊 韮崎岩屑流(がんせつりゅう)は盆地を越えた(高理科教室 やまかいの四季 2000年9月3日、№104) pdf(http://www.ypec.ed.jp/yamakai/yamakai%20104.html) 八ヶ岳は富士山よりも高い山だった pdf 日本最大の天然ダム(千曲川・八ヶ岳大月川岩屑なだれ)の事例調査-砂防フロンティアの自主研究の紹介-財団法人砂防フロンティア整備推進機構 井上公夫・坂口哲夫・西本晴男 pdf(https://www.sff.or.jp/content/uploads/H22Gakkai01.pdf) 平安時代に起こった八ヶ岳崩壊と千曲川洪水 群馬大学教育学部早川由紀夫 pdf(http://www.histeq.jp/kaishi_26/HE26_19_23_05_Hayakawa.pdf) 信州発考古学最前線vol.39~52「仁和の洪水」その4 信州発考古学最前線vol.39 pdf(http://kamosikamiti.my.coocan.jp/note/saizensen/H15sum.html) 「信州発考古学最前線」2002年9月から2003年9月まで約1年間ホームページ連載記事 pdf(http://kamosikamiti.my.coocan.jp/note/saizensen.html) 山体崩壊 ウッキペディア 鳶山崩れ ウッキペディア 鳶山崩れ(とんびやまくずれ)は、1858年4月9日(安政5年2月26日)の飛越地震により発生した、立山連峰・鳶山の山体崩壊である。鳶崩れ(とんびくずれ)、大鳶崩れ(おおとんびくずれ)ともいう。1707年に静岡県で起きた大谷崩れ、1911年に長野県で起きた稗田山崩れとともに、日本三大崩れのひとつとされる。 飛越地震と立山鳶崩れ 伊藤和明防災情報機構会長 pdf 鳶山(標高2,616 m)ウッキペディア 鳶山(とんびやま)は、富山県中新川郡立山町にある飛騨山脈(立山連峰)の山。 飛越地震 ウッキペディア 飛越地震(ひえつじしん)は、1858年4月9日(安政5年2月26日)午前1時頃、越中・飛騨国境(現在の富山・岐阜県境)の跡津川断層を震源に発生したM7.0 - 7.1と推定される地震。安政飛越地震とも呼ばれる。「飛越」とは飛騨と越中を並びさす言葉である。 稗田山崩れ ウッキペディア 稗田山崩れ(ひえだやまくずれ)は、1911年(明治44年)8月8日に発生した、現在の長野県北安曇郡小谷村にある稗田山が崩壊した災害。1707年(宝永4年)に静岡県で起きた大谷崩れ、1858年(安政5年)に富山県で起きた鳶山崩れとともに、日本三大崩れのひとつとされる。 大谷崩 ウッキペディア 大谷崩(おおやくずれ)は、静岡市葵区の大谷嶺(おおやれい)の南斜面にある、1707年(宝永4年)の宝永地震によってできた山体崩壊である。 1858年に富山県で起きた鳶山崩れ、1911年に長野県で起きた稗田山崩れとともに、日本三大崩れのひとつとされる。 富士山の噴火史 ウッキペディア 富士山の噴火史(ふじさんのふんかし)現在見えている山の外観は約1万年前から噴火活動を開始した新富士火山であり、その下に約70万年前から活動していた小御岳(こみたけ)火山と約10万年前から約1万年前に噴火した古富士火山がある。約70万年前、現在の富士山の位置に小御岳(こみたけ)火山が活動を始めた。約10万年前から新たな活動時期に入った。この時期を古富士火山と呼ぶ。北東麓側で富士相模川泥流(1万7000前から1万4000年前)などの火山泥流が複数回発生した。東京周辺には、関東ローム層と呼ばれる褐色の細かい砂質の土が広がっている。これは古富士火山から飛んできた火山灰が主体の土である。貞観大噴火 864年6月から866年初頭にかけて活動青木ヶ原溶岩を形成した噴火で、山頂から北西斜面約10Kmの(現在の長尾山)から大量の溶岩流出とスコリア噴火とを起こす。 仁和地震 ウッキペディア https://ja.wikipedia.org/wiki/仁和地震 仁和地震(にんなじしん)は平安時代前期に起きた南海トラフ沿いの巨大地震と推定される地震である。仁和3年7月30日申刻(ユリウス暦887年8月22日16時ごろ、グレゴリオ暦887年8月26日)、五畿七道諸国を揺るがす大地震が発生した。『日本三代実録』には、京都において諸司の舎屋や民家の多くが潰れ死者も出し、五畿七道諸国に亘り官舎の倒壊、津波による多数の溺死者を出したとする記録がある。余震は8月末ごろまで記録されている。 日本の地質百景 http://chishitsu-100kei.world.coocan.jp/page031.html 地震と津波 地震と津波 (本文) 2019年11月に放送されたNHK特集番組でガリレオ・ガリレイは都市を俯瞰した見取り図を描くために地上面の寸法を計測していたこと明かした。ガリレオ・ガリレイは人体の仕組みを知るために解剖を熱心にしていた。心臓の便の動きはカルマン渦の作用によることも突き止めたのだ。カルマン渦の作用から流量を測定するのが渦流量計だ。渦の発生は圧力変動をもたらす。変動の回数を数えて流量を求める。未知の解明と計測とは一体である。 富士山は爆発によって高くなった山だ。八ヶ岳は地下マグマの上昇にともない水蒸気爆発などによって山体崩壊して低くなった。かつては3,000メートル級の山だった八ヶ岳はそれより低かった富士山より高い山だった。20万年前の事実だ。八ヶ岳が山体崩壊した証拠はある。北杜市付近の国道20号沿いの七里岩であり韮崎岩屑(がんせつ)なだれだ。七里岩の由来は七里つまり28kmほどの長さで岩屑が盛り上がっていること。韮崎岩屑なだれは甲府盆地の南の中道町や豊富町付近に達している。八ヶ岳から40kmの距離に達していた。 20 万年に発生した八ヶ岳が山体崩壊と韮崎岩屑なだれの跡地に人が住むようになった。3万年前の地層の長坂町橫針・前久保遺跡からはナウマンゾウを解体するのに用いられた石器、槍先やナイフの形をした石の道具が出土している。韮崎には縄文中期の坂井遺跡がある。南に富士山、西に鳳凰三山、北に八ヶ岳がみえる平坦地には水が湧き出す浅い谷もある。縄文人はこの場所を好適地とした。時代が下れば武田家は韮崎に新府城を築いた。坂井遺跡は新府城の南に1㎞にある。七里岩上平坦地は縄文人の暮らしの場所であり、100メートルの崖の上の平坦地は天然の要塞であるために戦国期には新府城や能見城が築かれた。 善光寺平で武田信玄と上杉謙信が相まみえた。川中島の流れは下って信濃川になる。上流は千曲川などだ。千曲川は八ヶ岳などの水を集めて流れる。八ヶ岳は20万年前に山体崩壊して現在の高さになった。赤岳は標高2,899メートルだが南アルプスや北アルプスのような3,000メートル級の山の連なりであったと推定される。八ヶ岳は何度も崩れている。地震によっても崩れる。西暦887年8月22日におきた五畿七道の地震(南海-東海地震)でも崩れた。地震で強く揺すられたことで北八ヶ岳の火山体は山体崩壊した。天然ダムは302日後の仁和4年5月28日(西暦888年6月20日)に決壊して千曲川の下流100km以上の地域に「仁和の洪水砂」を堆積させた。決壊した岩屑なだれの堆積物は下流の小海町八那池から馬流付近の河谷を埋積し、比高20~50メートルの河成段丘を形成した。段丘面や千曲川の河床には八ヶ岳起源の巨礫が多く残る。千曲川の中・下流は平安時代の条里遺構の上部を「仁和の洪水砂」が覆う。 大規模な山体崩壊は天然ダムを形成する。ダムが決壊によって千曲川流域を岩屑なだれが流下する。洪水は平野を形成する。人が住むようになると平野を利用する。人には洪水は災いである。平地に住むと人は洪水に脅(おびや)かされる。山地に住むと山崩れは恐怖の対象だ。丘陵地に住んでいると活断層が走っていることがある。日本人は農業で暮らしてきたから日当たりの良い平坦地は畑にして人は山にひっついて暮らした。漁師は海辺で暮らした。津波の記憶は直ぐになくなるので何時でも漁師の家は海辺に建つ。危険領域を記すハザードマップとは住んではならないところで人が暮らしている神への冒涜(ぼうとく)の証のようだ。 2019-11-21-the-nature-of-japan-where-the-ground-splits-and-the-mountains-collapse-and-floods-hit people-article-editorial- お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2019年12月01日 14時43分50秒
コメント(0) | コメントを書く
[自然・ネイチャーのおはなし] カテゴリの最新記事
|
|