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GHQ最高司令官マッカーサー元帥と日本国天皇裕仁 1970年に学生であった者の青春の記-その26- 執筆 森龍之(もりたつゆき) その後の諜報員ユーリー・ラストヴォロフ 1954年ソ連の軍事裁判所は、欠席裁判でラストヴォロフに死刑を言い渡した。同僚のワシーリー・ソコロフは、諜報部を解雇され、ソ連共産党から除籍された。アメリカ亡命後、ラストヴォロフには、架空の履歴が与えられ、CIAの顧問として働いた。1950年代末には、解職され、電気会社のマネージャーとなった。1959年、アメリカ上院の特別決定により、アメリカ市民権を取得。アレン・ウェルシュ・ダレスは、ラストヴォロフの功績に対して感謝状を贈っている。 米ソが国益のため日本人をスパイに仕立る 米国人情報少佐ポール・ラッシュによる日本人スパイ組織の事実は加藤哲郎の書に詳しい。ソビエトの大使付け諜報員ユーリー・ラストヴォロフの諜報活動は先に述べた。日本では内閣総理大臣、新聞社の幹部など重要人物が米国の諜報員にされていたのだ。社会のしかるべく地位にいる人は密かに迫る工作員に用心しなくてはならない。
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最終更新日
2022年04月13日 00時00分20秒
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