悪霊列伝
悪霊列伝【電子書籍】[ 永井路子 ] 本書には悪霊の生々しさを期待したのだが結局著者は悪霊について, 世の中には、生きている間じゅう不当な扱いを受けつづけ、恨みを呑んで死んでゆかざるを得なかった者がいる。 それらの者が死後、祟りを及ぼす悪霊となる、と昔の人は考えたが、これは逆にいえば、悪霊とは不当な仕打ちをした加害者が、内心の恐れと後めたさのために作りあげた虚像ともいえるだろう。としてそのおどろおどろしさから逃げてしまってそのうえ怨霊たるに至る説明が不十分なことから何やら半端な書物で終わってしまった。 同じような表現を桓武天皇の項でも書いているが, そう言うのではないか。 そうなのだ、悪霊は、じつはその本人とはほとんど関係はないのである。 むしろ悪霊は、それを恐れる人の魂の中に棲む。 そのことを何よりもよく物語っているのは、桓武の生涯にほかならない。として悪霊,怨霊の興味をそいでしまっている。 これでは何のための表題悪霊列伝なのか。 つまりこれはネーミングの原則ですな。 私が言うと読み手に対する撒き餌。 菅公天満の項では, そして、人々が賀茂と八幡神社ばかりを崇め、自分を物の数と思わないようだが、どんな神でも、自分を押伏せることはできない、とまで豪語したという。 こういう経過があって、右近の馬場に作られた社が、やがて北野天満宮になるのである。として北野天満宮の成り立ちについてほんの少しの小ネタを交えているけれどこれは京都のガイドブックに書かれている程度のことである。 少なくとも表題のことを書きたいのであればおどろおどろしさがほしかった。 さもなくば表題を怨霊にされた歴史上の人物たち的な書き方でよかったのじゃないのか。 さて本当に怨霊はいなかったのか。 不幸なこと災いが次から次から襲来したら誰でも怨霊のせいだと考えるのではないのか。 私はその表現がこの本には不足していたと思う。 さて本書には続編もあるのだけれどどうしたらいいのやら。 かなり考えてしまう。