選択本願念仏集
選択本願念仏集 法然の教え (角川ソフィア文庫) [ 阿満 利麿 ] さて本書は,法然上人のバックボーンになった善導和尚の観経疏を読んで,称名念仏が阿弥陀仏の本願にして正行であることを書いたものであるけれど,なかなか難しくて簡単に理解できそうにない。 何より難しさの根底にあるのは果たして世尊が阿弥陀仏のことを説いたのであるかどうかのエビデンスがはっきりしないと言う事だ。 それにしても法然上人は, 私、法然は、昔この『観経疏』を(八度も)読んで、ほぼ善導の意図するところは理解できたので、たちどころに念仏以外の行を捨てて、念仏だけに帰依するにいたった。 それ以来今日まで、自ら信じることはもちろん、他の人に勧める場合でも、ただ念仏だけをつとめとしてきた。と観経疏を読んで念仏のみを勤行とした。 それは, 善導の考えによれば、念仏は阿弥陀仏の本願にもとづく。 ゆえに、念仏は真実として証明されているのだ。 ほかの行はそうではないから証明ということがないのである。からだ。 世尊との関係としては, 釈尊が諸行を後世に伝えようとされなかったのは、阿弥陀仏の本願にないことだからである。 また念仏だけを後世に残そうとされたのは、阿弥陀仏の本願によるからである。 今、善導和尚が諸行を廃して人々を念仏に帰依せしめようとされた理由は、念仏が阿弥陀仏の本願である上に、釈尊が後世に伝持せよと、命じられた行だからである。とする。 出だしは,仏説であるとするのだ。 善導和尚は念仏以外にも,観仏やら経の暗誦,読誦なども勧めたが, 法然は、最終的には、ひたすら念仏をして往生を願うほどの人間には、「三心」は自然と具わるものだという理解に傾いてゆく。ということで,念仏以外何もなしという教えを確立していったわけだ。(5/23記)