空海を生きる
空海を生きる【電子書籍】[ ひろさちや ] それにしても,ひろさちやという仏教学者の幅の広さを感じる。 空海から日蓮までですか。 道元や法然、親鸞も含めて一分の隙を見せない。 言えることは,どれも仏教でありまるでひろ教とでもいえるようなひろさちや独自の世界観を感じ宗派を超えた仏教の一元性を感じることができるということである。 たとえば それに対して空海が創造した真言密教においては、わたしたちは大日如来の子どもだから、それでいいではないかと考えるのです。 仏の子どもは仏なんです。 蛙の子はオタマジャクシと呼ばれていますが、オタマジャクシは蛙なんです。 オタマジャクシは成長して蛙になります。 オタマジャクシが成長して鯰になるわけではありません。 だから、仏の子は成長して仏になります。 いや、すでに仏の子は仏なんです。 すでに仏なんだから、それでいいではないか、というわけです。 それが空海の考え方です。というもの。 このスタンスは,たしか道元禅師のときも語っていたことだ。 さて私は,本書を読んで感じたことがある。 それは, この真言密教は、じつは空海が創り出したものなんです。(略) けれども、密教(真言密教)の哲学的なものは、わたしは空海の創造だと思っています。の一文を読んだからだ。 この文章の前後にひろさちやは,空海は大日如来の言葉を外国語として理解したが,我々凡人は,その外国語を理解できないから密教なのだという話も,書いている。 私はここからふと思ったのだ。 空海は,もしかしたら空海教を作ったのではなかったのかということ。 それならば空海は,世尊と同等ということになるのでは,ないのか。 とすると真言宗は結構新しい宗教ということになる。 今まで世尊を宗祖として考えていた仏教が,大乗に入り世尊の教義を中心にして新しい宗教が,次から次へと作られたのだ,大乗とはそういうことだという気がしてきた。(7/17記)