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カテゴリ:雑感・日記
随分と旧聞の話になりますが、自民党の元衆院議員・中川昭一氏が就寝中になくなってからもう二カ月になりますか。逝去後、身近な人に対する人となりを報じた報道に触れ、中川氏なりに「身近な人を大事にしたい」という心境を知る事ができました。自身の後にご子息を「跡継ぎ」にする事には、自身や父の一郎氏が大変なおもいをしているだけあって「それはダメだ」と拒否していた部分が、特に印象深いですね。
政治をするとなると、どう考えても自分の意に沿わない事-言ってしまえば『反対意見』-に向き合います。そういうのをうまく取り込み、あるいは意に介せずに動ける方ならいいのでしょうが、信念が強ければ強い分、それを維持する事、あるいはそれでいながら反対意見・あるいは否定的な意見に向き合うこと、それ自体が大変なストレスにもなりえます。一部には冷ややかに「中川(酒)」などと表現されていたほどの酒好きだったのも、それが原因なんでしょうか。 ただ、彼の政策、あるいはして来た行動に関してはとてもじゃないけど、のめない事も多くありました。 特に、もっている権力をカサに来て、遮二無二反対側の意見を押し潰そうとする行動。代表的なものは、従軍慰安婦を扱った番組に対して、安倍晋三氏とともに圧力をかけた事。自分の意見を持つ、広げるという事と、反対側の意見を世に発する事と。反する意見でも、世の中に発信し、それを元に議論する、というならまだしも、その意見を発する事すら妨害しようとした行動は、なくなったからとこれでおしまいというわけにはいきません。 また「核武装化」発言も、世の中が「反核」で進んでいる状態、それが何で生み出されたかと言えば、実際に原子爆弾を食らい、破壊的な爆発力に、後々まで残る後遺症。そして、その両方の場面で見せつけられた惨状。 それを考えたらいずれこの原爆は無くさなければならないものだし、使うことを許さない状態を作ることが政治家の役割なはずですが、それを無視してああいう暴論を吐いた事。「核肯定論」に力を持たせようとした事も見逃してはならない事です。 財務大臣をしていた時の「酩酊会見」に関しては、政策云々以前に一般的な社会人としての問題になると思います。これ以上語る事はありません。 これまでの自民党型政治に苦しめられた人にとって、8月の総選挙で自民党が大敗した事は一つの成果でした。 しかし、それはその後の政治を「よりマシ」にしていくためにあるもので、今まで苛政を課してきた勢力には、そのことに対しての批判はあれ、それを実行して来た個人の、個人的な部分にまでどーこー言う事はないし、ましてや「死亡」という、これ以上にない悲しい事に関してまでザマあ見ろ、という事に関しては、その立場に立つ趣味はありません。 同時に文中で書いた通りの様な重大な誤りに関しては、なくなったからと曖昧にする事なく検証し、同様の事態を繰り返させない事が必要になります。 何にしても、一番つらかったのは家族の大黒柱をなくし、辛い思いをされているご家族のみなさまであり『その時』の寸前に辛い思いをした本人ではなかったでしょうか。いまさらで難ですが、お悔やみ申し上げます。 ご感想はこちらへお願いします。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2009年12月03日 09時53分37秒
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