地球人スピリット・ジャーナル2.0につづく
「日本共産党」
民主戦後日本に生まれた限り、一国民として積極的にその民主主義とやらに参加したいし、責任ある言動をしたいとは思っている。しかしながら、それを直接行使する機会というものは決して多くはない。私にとっては、その主なものは公職選挙に投票に行くくらいだ。
成人して選挙権を得てから、私は国内にいる限り、全ての投票に行っている。特段の固定的な支持政党はないので、その時その時、自分でベストと思える人に投票している。ベストではなくてもよりベターな人、ということになる。選挙のやりかたもだいぶ替わり、政党を支持するシステムが導入されてからも、その時々に熟考して投票している。
ハッキリ言って私は典型的な浮動票派だ。いままであらゆる政党に入れてきた。自民党、民主党、公明党、社民党、旧社会党、その他、今は消えてしまった政党とか、瞬間的に登場するミニ政党にも投票してきた。もちろん、共産党も、私の投票行為の範囲内にあり、どのような活動をしてくれているのかは、常に関心のあるところだ。
キョウサントウ、という言葉のひびきは独特だ。子供時代から青年時代、そして子育て期間をすぎて、こうして50才代に突入してからも、その時々でその言葉のひびきは変化しつづけてきた。そして、この本を読んで、ある意味、今、一番、共産党という政党に親近感を感じている、と言っていいかもしれない。なかなか、おちゃめな政党なんだなぁ、とうれしくさえなる。
私がこの本に感動するのは、日本共産党という政党の内部暴露というより、それを決断した筆坂さんという人物の人生がここに表現されたということについてだ。テレビでも見ていたが、戦後1948年生まれというから相当にまだまだお若い。この年代で、ナンバー4の位置まで昇りつめていたのだから、すごいなぁと思う。そして、ここまで来た経過がそれぞれであったとしても、この方の感性には、私はかなり近いものを感じる。すくなくとも、言葉が通じそうだ、という極めて安心感のようなものを持った。
時代性や地域性を考えた場合、このような文書を公刊すれば、出版を妨害されたり、本人が抹殺されたりする可能性もないとは言えない。でも、そこで敢えてこのような一冊を出すということは、そうとうに勇気がいったことだと思う。
この本が存在することを考える時、この時代性というものを感じる。政党という組織、トップダウン的な組織の在り方、革命というもののとらえかた、そして、ひとりひとりの人間とのつき合い方。なにも日本共産党だけが老朽化しているわけではない。インターネットがこれだけ普及し、「個」というものがこれだけ強調される時代になって、あらゆるものが見直しを迫られている。すくなくともこの政党も例外ではなかった、という証にすぎない。オープンなネットワークが求められているのである。
いろいろなことを言ったらきりがない。このブログの中では、この本はブログ・ジャーナリズムのカテゴリに分類される。まさに、このような内容が展開されているところが、ブログ的だと思う。そして、一人の人間がせいいっぱい生ききってきたという意味ではアートだと思う。新書本もいろいろでているが、この本のように、自分を語り、社会をも語る、と言う本は少ない。もっというなら、この視点からグローバルなスピリチュアリティを語って欲しかったな、とも思うが、それは最初から、ないものねだりだろうか。