![](//image.space.rakuten.co.jp/lg01/35/0000135435/96/imgdf9bd056zikdzj.jpeg)
地球人スピリット・ジャーナル2.0につづく
「自由訳 イマジン」 ジョン・レノン & オノ・ヨーコ 新井満訳 2006/08 朝日新聞社
イマジンという曲ができてからすでに35年、ジョンが急死してからすでに26年の年月が経過している。戦争が激化したり、12月8日が近づいたりすると、いつもこの詩が思い出される。誰となく歌いだし、どこからとなく聞こえ出す。最近ではYou Tube でもイマジンが見れる。
この自由訳では、新井満が、ヨーコの詩に刺激されてジョンが作ったというこのイマジンの詩のイメージを、原詩のイメージをそこなうことなく、むしろわかりやくひろく美しく「訳」している。写真も素晴らしい。
レノンさんのことを考えると、古代ギリシャのある哲学者が言った言葉を思い出します。人間には、三種ある。一番目は「死んでいる人」。二番目、死んではいないが、「ただ生きているだけの人」。厳しい言い方ですよね。で、レノンさんは三番目の人だと思うのですが、「海に向かって旅たつ人」というんです。p78
自分の誕生日を逆算してみると、父親と母親が1945年の8月15日に愛し合って生まれただろうと推測する新井満。
本当に
あるかどうかもわからない
そんな天国に
わくわくさせられたり
そんな地獄に
びくびくさせられたり
そういうことって
ばかばかしいことだと思わないかい?
なぜなら
ぼくの人生の主人公は
誰でもないぼく自身なんだから
誰からも誘惑されないし
誰からも脅迫されもしない
大切なことは
ぼくがぼく自身の心と頭で判断し
決断すること
そして今を
どう生きるかってこと p14
この詩を読んでいて「ぼく」という第一人称がすごくきれいに聞こえてくる。便宜上、このブログでは第一人称を「私」にしてしまったのだが、どうも自分で決定しておきながら、名刺とネクタイをイメージしてちょっと堅苦しい感じがする。もっと自由に「ぼく」と書いて、TシャツとGパンのあの時代のやわらかいイメージを思い出す必要を感じた。