地球人スピリット・ジャーナル2.0につづく
「ヒンドゥー・ナショナリズム」 印パ緊張の背景
中島岳志
この本、2002年7月に発行されている。9.11前後のインド社会にあって、そのヒンドゥー・ナショナリズムを追っている。当時20代後半の日本青年として、その感性と行動力が輝いている。ターゲットは、RSSという団体である。
RSS・・・民族奉仕団。1925年に創設されたヒンドゥー・ナショナリスト団体。1948年、マハートマ・ガンジー暗殺に関係したとされ非合法化。のちに1975年、インディラ・ガンジー政権によって再度非合法化される。1980年以降、インドで急速に組織を拡大。 表紙見返し
私もインドに行ったことがある。過去3回、合計17ケ月ほどインド大陸にあって、インド人達と触れ合えるチャンスはあったのだが、十分インド社会を理解しているとは言えない。ましてや、その中のヒンドゥー・ナショナリズムの動向を嗅ぎわける探求心などなかった。
筆者は若き学究として、RSSの現代の実際の活動を追いつづける。それは研究者としての対象物を見つめつづける外側の眼だ。しかし、その活動を集中しつづける中で、内側を見つめる眼も育っていく。
彼の話を聞きながら、私の脳裏にある言葉がこだました。
「バラバラでいっしょ」
世界にはさまざまな文化や宗教があり、多くの差異が存在する。また、同じ国や地域の人間同士でもさまざまな差異が存在する。身近な仲間や家族の間でも、やはりさまざまな差異が存在する。しかし、その中にはさまざまな差異を越えた普遍的な真理が存在する。
我々は、「バラバラ」であることを強調すれば、単なる価値の相対主義に陥ってしまう。かといって「いっしょ」であることを強調しすぎれば、価値の一元的な押し付けになってしまう。このような差異を認めながらも、それぞれの内に宿る普遍的な真理を見出すべきことを端的に表現したのが、この「バラバラでいっしょ」という言葉である。
私は、B君の話の中に、「バラバラでいっしょ」の精神を感じた。そして、彼と私の思いが地続きであることを強く感じた。 p266
RSSに見られるヒンドゥー・ナショナリズムが、相対しようとするものは、ムスリムであり、旧英国支配主義であり、社会の現代化だ。あるいは、拡散しつつあるヒンドゥー・アイディンティへの歯止めとして自らの機能を果たそうとする。時には暴力的にさえなる。テロリズムとして批判するムスリムに対し、自らがテロをも厭わない情熱を持っている。
地球はひろい。インドもひろい。ひとつの原理やひとつの団体が、なにごとかを統一してしまうなんてことはないだろう。いままでもなかったし、これからもないのだ。それはインドに限らない。地球、どの地点においても、何事かの原理を押しつけようとしてしまっては、なんの解決にはなりやしないのだ。武力的侵略、経済的侵略、精神的侵略、文化的侵略。どこまでが許されて、どこからは批判されるべきなのか。その線引きは難しい。まずできないだろう。
しかし、もし地球のあちこちが、この「バラバラでいっしょ」の地続き感覚でネットワークとしてつながり、階層化して深みを増し、系統ジャングルとして存在しえたら、未来のある地点において革命が成就するなんて虚妄な希望を持つ必要はないだろう。いまこここそ、楽園なのだ、という感覚がきっとよみがえってくるはずだ。