地球人スピリット・ジャーナル2.0につづく
「一万人のブッダたちへの百話」
マ・ダルマ・ジョティ 2001 原書 1994
これも県立図書館から借りてきた本の一冊。Oshoとの20年以上にわたる記録を、著者自ら記憶をたよりに100の物語として語っている。インド・ボンベイに住む1966年当時26歳だった女性が、Oshoに魅せられて送った半生記がつづられている。私がOshoについて知っていることがらは、英語になって発表されたものや、英語を通じて世界向けに語られたものがほとんどだが、私が知らない、その地点にいたるまでのインド文化圏での30代から40代までのOshoの素顔が生き生きと表現されている。
Oshoが私の方を見て微笑んだのでカセットの録音ボタンを押しました。「メレ・プリア・アートマン---愛する者たちよ」と挨拶する、Oshoの美しい声が聞こえてきました。深い沈黙が訪れ、oshoの声だけが、Oshoをハートで受け入れる用意のある者たちの渇きを癒すように、講堂内で響きわたっています。p71
英語ではBeloved Onesと表現されたOshoの呼びかけは、メレ・プリア・アートマンというヒンズー後で60年代中盤から使われているのだった。
Oshoの後を歩いていると常に、仏陀の後ろを歩いて手いるように感じられます。クランティにこのことを話してみました。私たちは神智学協会がクリシュナムルティに対して行った実験について話し合いました。そしてブッタの魂は、Oshoの身体を乗り物として選んだのだという点で、私たちふたりは同意しました。p101
このことについては、1988~9年に多く語られたが、すでに周辺では1960年代からこういうことが語られていたのだった、という貴重な証言だ。70年前後にOshoが超越瞑想のマハリシ・マヘーシュ・ヨギと出会った時のくだりも書いてある。
マヘーシュ・ヨギの弟子のひとりがOshoの言葉を聞きたいと希望しました。一瞬の深い沈黙が訪れ、Oshoは目を開き、私はOshoのことばを録音するために手にマイクを持ちました。このときまでOshoが西洋人の集まりに向かって英語で話すのを聞いたことがありません。英語で語られる初めての講話なのかもしれません。それは講話というよりも対話のようです。Oshoが「ゴールそのものが存在しないのだから、道という問題も起こらない。どの道もあなた自身から遠ざけさせる。あなたは夢をみているに過ぎない・・・」と語っています。p117
和尚の初めての英語でのレクチャーがマヘーシュ・ヨギのもとに集まっていた西洋人たちへの質疑応答だったとは、興味深い。
マヘーシュ・ヨギは非常に居心地の悪い思いをしている様子です。超越瞑想という教義をもとにする彼のビジネス全体が崩されようとしているのです。Oshoに最後まで語らせずに話に割り込んで、Oshoのアプローチは異なるが同じことを意味していると弟子たちに説明しようとしました。私はマヘーシュ・ヨギの愚かさにただ驚きました。彼はOshoが語ったことに妥協して自分を守ろうとしているのです。p117
Oshoは常に「コカコーラ・コカコーラ・コカコーラ」というジョークのマントラで超越瞑想を笑い話にしてきたが、目の前でやられたマヘーシュ・ヨギはどんな顔つきをしていたのか、ちょっと想像すると可笑しくなる。Oshoはたくさんの本を呼んでいた。2時間のうちに7~8冊の本を読み、しかもタイトルも著者の名前も本の内容も憶えていたという。
単なる好奇心から「Osho、光明を得た後で、どうして様々な課題について書かれているこうした本の全てを読んでいるのですか?」と質問しました。Oshoは「私にとってこういった本を読むことは、最も骨の折れる仕事なのだ。マハヴィーラは何日間もかけて断食したが、それもこのようながらくたを読むことに比べたら何でもない。マハヴィーラ以降人類は大きく変わった。現代の知識人と話をするには、彼らのレベルから語らなくてはならない。彼らは知的満足を得て初めて、知性を超えているそれを理解できるのだろう」と言いました。
それから私に警告しました。「こういった種類の本を読むことに夢中にならないように。私の本はエッセンスだ。真実を探求する者たちなら誰でも導くのに十分だ」それから更にこう言いました。「宗教の名において出されている古い本の全てに未来はない。こういった本は全て、未来の若者たちを魅了することのできる私の本に取って替えられるべきだ。p154
この本に書かれている100話のうち80話までは、英語ではほとんど表現されてこなかった1971までのことだ。ほとんどがインド人の人々との間で行われていたことだった。Oshoもまだ30歳代である。社会での能力を生かして、プーナ1のコミューンの中で会計の仕事をするように言われた著者は躊躇するが、Oshoはこういう。
経理の仕事はもう20年間も外の世界でしてきました。うんざりです。私が経理の仕事は気が進まないことを言うと、Oshoは笑って「ここでは異なったものになる。指先で遊ぶだけでゼロを経験できるのだからね。あまり深刻にとらえないように」と言いました。Oshoは三つのM「Mathematics(数学) Music(音楽) Meditation(瞑想)」について詳細に語りました。私は目を大きく見開いて、じっとOshoのことを見つめながら一心に耳を傾けました。音楽と瞑想と数学とが何か関わりがあるとは、私はこれまでに考えたことがありません。Oshoが「数学は頭、音楽はハート、そして瞑想はビーイングだ。その三つが調和して働くときにすべてが遊びになる」というのを聞いていました。p198
91話以降になってようやく、アメリカのコミューンの話が出てくる。そしてワールドツアーなど、いままで書かれていることについては、ほんの数話にまとめられている。このブログに関係する1986年7~8月については94話にならないとでてこない。
1986年8月16日「ラジニーシ・ウパニシャッド」という名の新しい講話シリーズが英語で始まりました。Oshoは、マスターと弟子の関係性を中心に私たちから出された質問に答えています。この講話シリーズは私が気に入っているシリーズのひとつです。Oshoは初めて、マスターと弟子の関係性に関する多くの秘密を明らかにしています。p218
100話目で1990年の1月に起きたことが書いてあり、シンプルにこの本は終わっている。とても貴重な本だ。私は最近、60年代にOshoが自らの声でインド人たちをリードしたダイナミック瞑想時の録音を使った瞑想を体験した。呼吸法を指導しながら、「ジョウティ、ジョウテイ!」と叫ぶ、30代の若きOshoの声が響く。ヒンズー語で、「深く、深く」という意味だそうだ。