「放浪のダダイスト辻潤」
俺は真性唯一者である 玉川信明セレクション 日本アウトロー烈傳1
2005/10 社会評論社
先日読んだ「評伝・山岸巳代蔵」が含まれているシリーズの第一作にあたるのがこの本になる。著者、玉川に興味を持ったついでに読むことになった。読んで見れば、評伝・山岸と視点なり造本、編集された経緯などはほとんど同じだが、シリーズの第一にあたるだけに、こちらのほうがより玉川の思い込みが強いと言っていいのだろうか。
このような形でなければ、私はダダイスト辻潤について考えることはなかっただろうが、このブログにおいては、ダダイストの登場は初めてではない。ダダカンことダダイスト・糸井貫二についてもちょっと触れていたことがあった。
この本、このブログでは、どのカテゴリに属するのか考えたが、スピノザつながりで「マルチチュード」にいれてみることにする。女学校の英語教師をしていたとき、生徒の伊藤野枝と知り合い、やがて一軒の瀟洒な家を見つけて同棲することになる。
辻はこの三畳に、床の間には竹田の墨絵の観音様を飾り、反対側の壁には神代杉の額縁にはめられたスピノザの肖像をかけ、独りたてこもって妄想をたくましくしたり、雑書を乱読していたのである。 p84
伊藤野枝は、辻潤との間に二人の子供をもうけながら、アナキスト大杉栄のもとへと走り、そのあと辻潤は何人かの女性との間に性愛を重ねる。この本で、玉川はその辺を追うのだが、そのアプローチの仕方は、山岸と福里ニワとの関係を克明に追う姿や、Oshoについて、「和尚(ラジニーシ)性愛を語る」(もっとも私はまだ読んでいないが)を書いた玉川の、もともと持っている性愛についての執着に通じるところを感じる。
ダダはスピノザを夢見て
いつでも「鴨緑江節」を口吟(ずさ)んでいる
だから白蛇姫に恋して
宿場女郎を抱くのである p221
辻潤については、70年前後からのアナキズムの再考の時代の中にあっても、まだまだ研究がすすでいないと、玉川は言う。反戦思想、非戦思想に絡ませながら、こういう。
周知のように辻潤は第二次世界大戦中みごとに戦争非協力のみならず反対の態度をつらぬくことができた。あの狂ったような一億総転向の渦中にあって、なぜ彼のように内気な小心者がそのような芸当をなし遂げることができたのか!? その秘密を知るだけでも今日辻潤研究がなされる値打ちがあると思うのだが、その重要な理由の一つとして、この時のキリスト教と社会主義の勉強が挙げられねばなるまい。p74
この辺にマルチチュードとの相対関係につならなる機縁を感じるのだが、玉川は巻頭でオーマル・ハイヤムをこのように引用している。
北は荒寥たる野に於いて一人の道士を見たり、彼は異教信者にもあらず、又真の信者にもあらず、彼は富を有せず、信条を有せず、又「神」をも、真理をも、法律をも、智識をも有することなし、斯の如き勇気ある人はこの世界又は他の世界の何処にありや。 オーマル・ハイヤム p13
玉川がダダイスト辻潤を通して求めていたのは、Oshoのいうところのゾルバ・ザ・ブッタであったのかもしれない。
62歳で二年半鬱病を患って以降というものは、自分の感性が如何にも鈍感になってきて、創造、転回、奔放の世界にもすっかり縁遠くなってきたことを実感せざるを得ない。これから何年生きるか知れないが、その間に再び以前のような刺激に充たされた時間がやってくるかどうか、疑わしいものである。
しかし年をとってグルの中のグル、バグワン・ラジニーシの影響もあるのかも知れないが、仏教なるものの真髄が次第にハッキリしてきた思いはある。1997/12 p422
グルの中のグル、という言葉は、ちょっと使いにくい言葉ではあるが、マスター・オブ・マスターズという言葉は確かにある。玉川は玉川として、彼の人生を生きながら、優れた先人達に道を尋ね、晩年においてOshoにその思いを託したとすれば、彼が必ずしも生前Oshoとまみえなくても、形としてはそう自称他称しなくても、まさに真の一人のサニヤシンであったのかも知れない、と思ったりする。