「人工知能のパラドックス」 コンピュータ世界の夢と現実
サム・ウィリアムズ著 本田成親 2004/12 工学図書 原書2002
原題は ARGUING A.I. The Battle for Twenty-first-Century Science 議論する人工知能 21世紀への戦い、という意味であろうか。A.I.とはartificial intelligence まさに人工知能。
ジョン、マッカーシーは「人工知能」(artificial intelligence )という用語を使いはじめたのがいつ頃からだったのか、いまでははっきり思い出すことはできないといっています。「人工知能」ちう言葉が科学専門用語として公式に認定されたのは、1956にダートマスで開催された人工知能に関するサマー・カンファレンスの場においてのことでした。マッカーシーはこの会議の幹事長でしたが、そのとき彼自身には、この用語の草案者が自分であったという明確な認識はなかったようなのです。p51
ということはすでに半世紀前にこの名称がでてきていたということになる。
マッカーシーは初めて「人工知能」という用語を使ったときの思いについて、「私はマストに旗印を高らかに掲げ、自分たちの研究目標が何であるのかを誰の目にもはっきりとわかるように示したかったのです」と語っています。p60
しかし当時は誰もが強い関心をもって応じたわけでもなかったし、どちらに転ぶかわからない「運まかせのクラップゲーム」のように不安を抱いていたのだと言う。1965年頃、MIT教授ドレイファスは「錬金術と人工知能」と題して、人工知能の批判研究報告書を書いたという。彼はいう
かつての錬金術師たちの二の舞をえんじないためにも、私たちはいまこそ自らの立脚点を見極めなければなりません。人間の理性の働きというものを徹底的に分析して状況に左右されることのない明確かつ不安な諸要素にまで分割し、特定のルールに従ってそれらの要素を機械的に演算処理し復元をはかるなどということが可能なものでしょうか。 p69
そのようなA.I.批判を浴びながらも確実に科学は進歩し、21世紀になって、その成果が現れつつある。そのプロセスについてこの本に詳しい。
ハイテクの世界には宗教の世界とたいへんよく似たところがあります。ハイテク産業はその製品の売れ行きについて長期的な展望を立てることが困難であるという事情を抱えているため、この製品を絶対的に信頼し使い続けますという消費者の誓約をたくみに引き出すことによってその場をしのいでいくしかありません。そういうわけですから、あの手この手でユーザーの洗脳に努めたマッキントッシュの「販売促進伝道師」らの暗躍や、チャットを通じて「ウィンドウズ教」の聖なる教えの伝道に尽くしたマイクロソフト教会の宣教師らの忠誠ぶりにまつわる裏話には事欠きません。p93
この辺になると、半分笑い話としてきくこともできる。この本に展開されている歴史はパソコンの歴史と隣り合わせで同時進行してきたことがわかる。では、リナックスに対する記述がないかと思って探してみたらありました。映画『2001年宇宙の旅』を43回も見たというスタンフォード大学のストーク教授は、共同参画者を呼び込み、日常的な知恵の断片を寄せ集めそれらを普遍的な知識ベースにまとめあげることを目指している。
GNUイーマックス(Emacs)やリナックスのような人気のあるフリーソフトウェア・プロジェクトに啓発されたストークは、そのプロジェクトにでもできるだけ多くの人々に参加してもらいたいと考えているようです。
「私たちはできるかぎり多くの人々の知識を取り込み蓄積していかなければなりません。オープンソース・プロジェクトを検討してみるうちに、私は二つの重要な傾向があることに気づきました。プロジェクトごとの共同参画者の数は時を追うごとに増大しつづけています。1970年代のイーマックスの場合、共同参画者はおおよそ100人くらいでした。そして、リナックスの場合は一万人以上の研究協力者が集まりました。私は、将来的には一億人にも及ぶ共同参画者を集めることができるようなプロジェクトを遂行したいと考えています。」と彼は述べています。p205
ぶぶぶ、一億人の参加するプロジェクトとは凄い。でもすでにウィキペディアなどはそのようなものに近づいていく可能性はでてきたと言えるだろう。あるいは、限りなく1000万人に近づいているSNSもある現在である。一億人を魅了するプロジェクトがぜひでてきてくれることを願う。
ストークはいまひとつの傾向についても指摘しています。それは、共同参画者の数が増えるにしたがって、参加者一人ひとりの平均的な専門知識レヴェルが下がってきているという点です。ストークは、「20年代ほど前にフリーソフトウェアを作っていた人たちは真の意味でのハッカーでした。しかしながらいまからは誰もがその種の仕事に貢献することのできるようなシステムづくりが必要です。私たちがやらなければならないのは、できるだけ多くの数の人々を集め、彼らが容易に仕事に専念し貢献できるような環境をつくることなのです」とも語っています。p206
この本はとても面白い内容だ。だが、なんだか読みにくい。何故だろう。予備知識がもうひとつ足らないこともあるだろう。人名や書名が錯綜していることもあるだろう。内容が抽象的なこともあるかもしれない。しかし敢えていうなら、既知→未知→不可知、という図式の中で、この本は、科学から哲学、そして宗教ともいえる部分にも、迫ろうとする姿勢があるからだろう。
「コンピュータ世界の夢と現実」という副タイトルをもつ本書は、まさに現実と夢の間をいったり来たりしているようだ。