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カテゴリ:シンギュラリティ
「S-Fマガジン」2005年12月号
ニュー・スペース・オペラ特集 早川書房 「S-Fマガジン」を読むなんて久しぶりだ。ほんとに何十年ぶり。そのおっかけの対象は「シンギュラリティ」。この言葉が気になり始めたのは、ハート&ネグリの「マルチチュード」を追いかけていた時。この「マルチチュード」というキーワードで「現代思想」が特集を組んでいた。「SFマガジン」のシンギュラリティの特集と同時期の2005/11月号だというのも、なにかの機縁を感じる。 どちらかというと軽く新鮮な読み物を求めて新書を出会い頭に読んできたが、そうか、雑誌という手があったか、と改めて再認識。雑誌だと、お手軽すぎて読み足らないという感じがしないでもないが、T字的に範囲を広げては、局所的に掘り下げる、というノウハウには向いていると思う。 加藤逸人という人が「シンギュラリティ以前、以後」P56という解説文を書いている。この段階では、ストロスの「シンギュラリティ・スカイ」邦訳はまだでていなかった。ついでにその続編「アイアン・サンライズ」の邦訳は昨年末にでている。こちらもとりあえず読んでおこうと、予約しておいた。 さて、この文章は4ページの短い文章だが、さまざまなSF作品を紹介している。これだけシンギュラリティを書いた作品があるのか、とあらためてびっくり。だが、紹介されても、ここから一気にSF世界に突入とはいかないだろう。このブログの現在のタイトルは「地球人スピリット・ジャーナル」だ。地球人というイメージは、二本の足で大地に立っている一人の人間だ。もちろんロボットでもないし、シンギュラリティ「以後」に宇宙に住んでいる生命体のことではない。だから、時系列的にも、空間的展開にも、このブログのボーダーラインはこの辺にある。 「キリスト教原理主義者にはラプチャー(携挙)があり、未来学者にはシンギュラリティ(特異点)がある」 筆者の知り合いのゲイブリエル・メサのなにげないゲイブリエル・メサのなにげない掲示板への書き込みを見て、つい笑ってしまった。 ダーウィンの進化論に対する反発として生まれたインテリジェンス・デザインの、進化は偶発的な科学反応と自然淘汰によってもたされるのか、それともそこに何らかの意思が介在しているのかという議論と、かたやテクノロジーの行く先に想定されたヴィジョンが、キリスト教的終末論における救済と対比される状況が、おなじ背景から生まれてきたもののようでおかしかったのだ。 そもそもシンギュラリティという発想は、まともな科学なのか、それとも、高度に発達した科学は魔法と区別がつかないというアーサー・C・クラークの言葉や、ティヤールド・シャルダンの神学的な進化の終着点「オメガ・ポイント」を、ヴァーナー・ヴィンジが高度ネットワーク時代向けに書き換えたものなのだろうか。p56 「<特異点>とは何か?」ヴァーナー・ヴィンジ 向井淳訳 p60は、なかなか興味深い文章ではある。もともとは1983年のNASA関連のシンポジウムで発表されたものであり、1993年に「Whole Earth Review」に改訂版が掲載されているという。 ○概要 30年以内に我々は人間を超えた知性を創造するための技術的な手段をもつようになるだろう。そしてそれからすぐに人間の時代は終わるだろう。 このような進展は避けられるだろうか? もし避けられないならば、我々も生き延びられるようにに事態を誘導できないだろうか? こうした疑問を調査した。いくつかの考えうる解答(およびいくつかの将来的な危険)をここに示す。p60 これがまともな科学の世界で語られているのだから、ただ事ではない。この文章は13ページほどの短い文章なので、あっという間に読めてしまうものだが、本日は、まもなく外出しなくてはならないので、後日、この続きを書くことにする。 つづく お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2009.02.04 21:01:33
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